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超高速船ジェットフォイル「愛」号。水中翼で浮き上がって航行するため水の抵抗が少なく、時速約80kmというハイスピード。
しかも波の影響を受けず、あまり揺れない。こうして停泊しているときは波の影響でユラユラと揺れるが、航行中は新幹線と同程度の揺れくらいで、ほとんど船酔いの心配はない。大島まで1時間45分。 |
船内の様子。座席まわりはちょっと手狭な印象。特に後ろの座席に座る人と近すぎる感じがする。
わたしたちは1階の最前列だったのでわりと広々としていた。
遅刻した乗客がいたため、5分ほど遅れて出発。数週間前に行ったばかりのお台場の横を抜け、レインボーブリッジの下をくぐって東京湾を進む。このときで時速50キロ。
湾を出ると約80キロで航行するというから、とても早い。北海道行きのフェリーなんて最高で約40キロだから、いかにトロトロしていたかよくわかるだろう。 |
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昨夜 3時間しか寝ていなかったわたしは、航行中ずっと爆睡。気がつくと、大島が近づいてきていた。
空は雨雲に覆われ、三原山も霧に包まれている。
三原山は1986年11月に噴火を起こし、溶岩が元町へと迫るなか全島をあげての脱出劇となった。
このときのドキュメントがNHK「プロジェクトX」でも放送された(2002年)ので、ご記憶の方も多いことだろう。 |
| 三原山は日本で最も古い噴火記録(日本書紀)をもった火山で、伊豆大島と姉妹島のハワイ島キラウエア火山、イタリアのストロンポリ火山と並んで世界三大流動性火山として有名。海抜764m(昭和61年の噴火後)、富士火山帯に属し、典型的な三重式成層火山で、安永6年から同8年(1777〜1779年)にかけての大噴火と昭和25・26年の噴火、昭和61年11月の噴火によって現在の内輪山から火口原の姿ができた。昭和61年の噴火では、三原山の北西斜面上及びカルデラ床に4筋の溶岩流が形成された。 |
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■到着:午前10時 伊豆大島 |
元町港に到着。ゆーらゆら揺れる不安定なタラップを渡り、大島の大地へと降り立つ。
天気は曇りだが、雨は降っていない。非常に湿度が高くて蒸し暑かった。
堤防に宿からの迎えの車が来ていたので、マイクロバスに乗りこむ。運転するのは、お世話になる宿のご主人だ。 |
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宿は岡田地区にある民宿「朝海館」。古くてきれいとは言えないが、広さは十分。
わたしたちは大所帯ということで、離れの一軒家を丸ごと借り受けることになった。
同じ商工会の大島支部会長で町議でもあるご主人が、食事や観光案内、車のレンタルにいたるまで、なにくれとサービスをしてくださり、なによりありがたかった。なまじな旅館やペンションなどに泊まるより、はるかに快適に過ごすことができた。
また、この大島では宿泊助成金が観光協会から出ているので、ぜひ利用してください。詳しくはこちら。 |
浅海館のHP
http://www.izu-oshima.or.jp/~asamikan/ |
■観光:大島一周 |
ご主人がマイクロバスを走らせ、大島を周回するコースを案内してくださった。同じ東京都だからか、けっこう馬鹿にしていた(失礼)大島だが、ワイルドな自然あり、花街として栄えた漁港ありの、楽しいツアーだった。
*間伏地層切断面 |
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長さ1キロに渡って続く間伏地区の地層切断面。150万年もの昔から、幾度となく噴火してきた三原山の溶岩層が重なってできたもの。
地球のバームクーヘンという表現がぴったりの、くっきりとした地層面である。
バスから降りて眺めている大人たちのそばで、子どもたちが地層の一番下、数万年前の地層のあたりを無心にほじる。まだ人類が地上に現れるはるか以前の地層に、そうとも知らずに触れている子どもたち。壮大なロマンを感じたひとときだった。 |
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伊豆大島の周回コースは、東京の山手線とほぼ同じ長さだと言われる。島の北と南とで天候がぜんぜん違うというのが、とてもおもしろかった。
岡田地区の宿を出たときは大変な雨だったのに、南の方に来ると晴れ間さえ見られ、こうして隣の島の姿まで見えた。
雲の合間にのぞいているのが、新島、神津島などの七島群。晴れていれば、もっとたくさんの島が見えるという。
そしてご主人によれば、大島の集落ごとに方言も違い、顔立ちも気質も少しずつ異なっているのだという。
会って話せば、どこの集落かだいたいわかるそうだ。ちなみに宿のある岡田地区は漁村なので、少々荒っぽいのだとか。 |
*波浮港 |
昼食にやってきた、波浮港。
わたしの世代で知っている人は皆無だが、おじいさん世代で「波浮の港」と言えば誰でも知っている有名な漁村なんだそうだ。
都はるみの「アンコ椿は恋の花」で、「三日おくれの便りをのせて〜船が行く行く〜波浮港♪」と歌われている、と書けば、「ああ〜」と思い当たる方も多いだろう。
また野口雨情の詩「波浮の港」も有名だそうだが、これはかなり上の世代でないと、知る人は少ない。 |
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爆裂火口を掘削した天然の良港のため、明治から昭和初期にかけて遠洋漁業などの基地として栄え、花街としても賑わった。
川端康成の小説『伊豆の踊子』に登場する踊子たちが住んでいたところでもある。
旅館の宴席では、踊子たちが華麗な踊りで楽しませたという。
明治・大正期の建物が残る旧港屋旅館、明治期の民家である旧甚の丸邸、踊子が間借りしていた宿や港屋旅館へと通った踊子坂などが残されていて、鄙びた街並みが心に染みた。 |
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| 旧・港屋旅館前で記念撮影してから、中を見学。入館は無料。時間は9時から4時までである。驚いたことに建物は三階建て。もちろん木造だ。 |
玄関を入るとすぐ目の前にある電話ボックス。「二番」というのがどういう意味なのかわからない。
二番目の電話というのか、番号が二番なのか・・・。とにかく、こうした歴史的な遺物が保存されていて、たいへん貴重だ。
下の2枚は座敷に置かれてある人形。左側のは、「伊豆の踊子」の主人公・薫のモデルとなった女性らしい(名前は忘れた)。
右側のは、踊り子を呼んでの宴会風景だと思われる。なんだかお化け屋敷っぽくて、ちょっと怖い。 |
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*波浮港・西川寿司店での昼食 |
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これも由緒のありそうなお寿司屋さん。時期が悪かったのかネタはいまいちだったが、時代を感じさせる雰囲気はなかなかよかった。 |
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何をしているのかと思えば、どうやら楽器を叩いているようだ。港に野口雨情の「波浮の港」にちなんだ石碑があり、鍵盤を順に叩いていくとメロディが奏でられるという仕掛けらしい。 |
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お昼を終え、再びマイクロバスに乗りこんで周回道路を上っていくと、波浮港を一望できる絶景ポイントに出た。
きれいなひょうたん型を描く波浮の湾はいつでも波が穏やかで、全盛期にはぎっしりと漁船で埋め尽くされていたという。
左の画像にもあるオレンジ色の大型船は、ゴミなどを島から運び出す運搬船だという。 |
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峠には、星野哲郎・作詞の「アンコ椿は恋の花」の詩が刻まれた石碑もある。
2番は、「三原山から吹き出す煙
北にたなびけば想い出す
惚れちゃならない都の人に
よせる想いが灯りともえて」という歌詞。
なるほど、これは波浮の芸者さんか踊り子かわからないけど、都会から来た男に惚れて恋しいという歌だったんだな。知らなかった。 |
海からちょこっと突きでた様が筆に似ているから「筆島」と名付けられた、小さな岩。
どうでもいいことだが、丸で囲まれた部分にはトンボがくっきりと写っていた。縮小する前の画像だと羽ばたきの様子まできれいに写っていたので、嬉しくなって思わず○で囲んでしまいました。(クリックすると拡大されます。あまり鮮明じゃないけど) |
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