レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ年表(後で作品の画像にリンク予定)
レオナルド・ダ・ヴィンチ ミケランジェロ
1452年 レオナルド生まれる
16歳くらいでヴェロッキオに師事する。
1472年 フィレンツェの画家組合に登録。(20歳)
1472年〜1475年 ヴェロッキオと共作で「キリストの洗礼」を描く。
1475年 受胎告知」(ウフィッツィ美術館蔵)作成。 ミケランジェロ生まれる
1481年 「東方三博士の礼拝」(ウフィッツィ美術館蔵)の作画を請け負うも未完のまま翌年ミラノへ。
1482年 ミラノ公スフォルツァに仕えながら工房を開く。(30歳)
1483年〜1486年 岩窟の聖母」(ルーヴル美術館蔵)を描く。
1488年 ギルランダイオに弟子入りする。(13歳)
1490年頃 ノートに「ウィトルウィウス的人間」を描く。
1492年 庇護者であったロレンツォ・デ・メディチ死去。(40歳)
1496年 ローマに移る。
1498年 最後の晩餐」(サンタマリア・デレ・グラツィエ教会蔵)を描く。(46歳) 「ピエタ」と「バッカス」を作成。
1499年 ルイ12世が率いるフランス軍が侵攻。ミラノを逃れる。
1500年 マントヴァ、次いでヴェネツィアに移り、暮れにはフィレンツェへ再び戻る。
1501年 フィレンツェに戻る。フィレンツェ政府の依頼を受けてダビデ像の制作にかかる。
1502年 教皇軍総指揮官チェーザレ・ボルジアの元で軍事顧問兼技術者として働く。
1503年 フィレンツェに戻る。「モナ・リザ」の作成にとりかかる。
1506年 モナ・リザ」(ラ・ジョコンダ)を描きあげる(未完とも言われている)。フランス軍が退去した後のミラノに移る。 ローマ教皇ユリウス2世によりローマへ呼び戻される。
1508年 バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じられる。(4年後完成)
1510年 聖アンナと聖母子」(ルーヴル美術館蔵)を描く。(58歳)
1513年 ローマに移る。 フィレンツェのサン・ロレンツォ教会の設計を命ぜられる。
1513年〜1516年 洗礼者ヨハネ」(ルーヴル美術館蔵)を描く。
1515年 フランス王フランソワ1世がミラノを占領。和平交渉の結決役に任命される。
1516年 フランソワ1世に招かれ、フランスに移住。シャンボール城や螺旋階段の設計をしたとされる。
1519年 アンボワーズ城近くにあるフランソワ1世に与えられた「クロ・リュセ」で死去。(67歳)
1527年 フィレンツェ共和国の築城長官に就任。
1536年〜1541年 最後の審判」を描く。
1546年 サン・ピエトロ大聖堂の建築主任になる。
1564年 死去。