ローマ市街観光Part5 
1日自由観光 Part2〜カラカラ浴場
 次の見学場所は、中心街からちょっと外れた所にあるカラカラ浴場。地下鉄B線のチルコ・マッシモ駅から徒歩5〜6分ほどだが、コロンナ広場でタクシーを拾って乗りつけた。
 このカラカラ浴場、入浴施設以外にも今でいうところのジムや、劇場、スタジアム、プール、礼拝堂、遊歩道なども完備していた総合娯楽施設であった。
 212年から216年にかけてカラカラ帝(186年〜217年、在位211年〜217年)の命により造営された。
 長さ225メートル、幅185メートル、高さは38.5メートルほどで、ローマではディオクレティアヌス帝の浴場に次ぐ規模を誇り、一度に1600人の市民を収容できた。
 あちらこちらに2千から3千の浴槽が設置されており、冷室、温室、熱室などの部屋に分かれていた。そのシステムは、地下で石炭を燃焼させて水を加熱するというものであった。
 カラカラ帝は本名をマルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌスといい、カラカラは通称だそうだ。その「Caracalla」という綴りを見ると、カラカラというより「カラカッラ」と発音するほうが正しいように思う。
 193年、父セウェルスが皇帝になり、211年に他界。カラカラは弟ともに共同皇帝の座に就いたが、やがて不仲となったためにこれを毒殺した。
 その行為を非難したアレクサンドリアの市民たちを殺害し、またカラカラが暗殺されるまでに約2万人を虐殺させるなどしたため、市民からの評価は低かった。
 一方で212年、アントニヌス勅令を発布してローマ帝国領内のすべての自由人にローマ市民権を与えたり、大規模な娯楽施設を作らせるなどした。またウィキペディアの記述によると兵士と共に徒歩で行軍し、土木作業にも汗を流し、兵士の給与を上げるなどしたため、軍内部では人気があったという。
 こうした逸話の後者部分だけ見てみると、彼は基本的に気さくでいいヤツだったかもしれないと、ふと思う。弟の毒殺や市民の大量虐殺といった汚点は古代ローマの英雄にはわりとありがちという気がするし、彼だけが著しく残虐だったわけではないのではないだろうか。
 興味深いのは、殺害されるのを恐れて呼び出しに応じない弟を母親を介しておびき寄せ、その母の眼前で毒殺したというエピソードだ。この状況が、独眼竜で知られる伊達政宗が弟を殺害したときによく似ている。
 日本の英雄として人気のある政宗もカラカラと同じことをしているんじゃないかと書いたら、政宗ファンに怒られるだろうか。 
 で、市民のためにこんな壮大な施設を作らせたカラカラって本当はいい人だったのでは・・・いやいや、あまりの評判の悪さに人気取りをしただけだろう・・・などと思うのだが、やっぱり人殺しをいっぱいやってしまったという汚点はいかんともしがたい。
 とにかくとても大規模な建物群が連なって建っていて、ポンペイ遺跡で見たスパとは比べものにならないくらいスケールが大きい。 
 もっとも、遺跡の残り具合という点ではポンペイには遠く及ばない。ほとんど形をなしていない壁のみの廃墟ばかりで、どこが浴室だったのかさっぱりイメージが湧いてこない。
 壁を覆っていた大理石の装飾も天井もないため、いくら想像力をフル回転させても当時の面影を偲ぶのは難しいのだ。
 ところどころ不完全に残されている床のモザイクだけが、ありし日の華麗な姿を思い起こさせてくれる唯一の手がかりだ。
 ちなみにローマ市民はお昼休みにはシエスタをとって昼寝をし、夕方ちょっと働いて、あとは浴場で汗を流す習慣があった。このカラカラ浴場は娯楽施設であると同時に、社交場でもあった。
 キリスト教の思想に支配されていない頃のローマは、おおらかで自由な生活を謳歌しており、なんとも羨ましい限り。
 しかし、こうした娯楽施設は当然のことながら売春の温床ともなり、退廃を生みだす場でもあったという。
 ありし日の建物を再現した絵と彫像の写真が道ばたに掲示されていた。イタリア語なので、どの部屋がどういう使われ方をされていたのかまったくわからなかった。せめて英語で各部屋に表札みたいなものを付けるか、地図と解説を記したパンフレットを作ってくれたら面白かったと思うのだが。
 期待以上の規模でありながら期待ほど面白くなかった。そんな印象を抱いたカラカラ浴場であった。
 この浴場、6世紀の「ゲルマン民族の大移動」によって侵入してきたゴート族により破壊されてしまい、ヨーロッパからは次第に入浴習慣が失われていった。
 周囲は緑が濃く、公園として利用されている。見学客もまばらで、少し不安になるほどだった。
 高校時代の世界史の教科書にも載るほど有名なはずの遺跡だが、日本人観光客の姿は見かけなかった。
 ちなみに、ここでは夏の夕方からオペラが上演されるという。
 
 草の上にいたツートンカラーのカラス。さすがファッションの国、イタリア。カラスの装いもちょっとおしゃれだ。
 日本のカラスも黒一色じゃなくてこんなんだったら、もうちょっと可愛いのに。
地下鉄に乗る
 さて、カラカラ浴場を出たわたしと息子は、市街地の方に向かって歩いていった。タクシーを拾いたかったが、浴場前にタクシースタンドはなかった。
 有名な観光地なのだから、日本だったら何台かのタクシーが待機していそうだが、イタリアでタクシーを掴まえるのは至難の業である。
 その名も「カラカラ浴場通り」をパラティーノの丘に向かって歩いているうちに、地下鉄の駅に辿り着いた。B線のチルコ・マッシモ駅だ。
 このラインに乗れば、一本でホテル近くの地下鉄テルミニ駅まで戻ることができる。そう思って、わたしたちは階段を下りることにした。
 そこへ、初老のイタリア人男性が何か話しかけてきた。しかしイタリア語だったため、何を言われているのかわからない。諦めた彼は、まあいい、というように道路を横断して反対側に渡っていった。
 わたしは後になって、彼の言いたかったことが理解できた。
 わたしたちは間違えて反対側のホームに降りようとしていたのである。切符売り場の人に「この電車はテルミニ駅に行きますか」と英語で尋ねたところ、テルミニ行きは反対側だと言われ、やっとそのことに気づいた。
 しかも厄介なことに上りと下りのホームは別々に分かれていて、いったん地上に出て道路を渡らないとテルミニ行きのホームに行けない。おそらく日本人がテルミニとは逆方向に乗ることは考えにくいため(反対側はイナカでめぼしい観光地がないから)、おじいさんはそのことを言いたかったのだろう。
 なのに、わたしったら。その親切を理解できずキョトンと間抜け顔をさらしてしまった。(つーか、おじいさんには英語で語ってもらいたかった)
 さて、道路の反対側に渡って再び地下に降りる。下りとは違って、そこは無人の改札だった。というか、人が座る窓口はあるのだが、誰もいないのだ。もっとも有人だからといって、そこで切符を買えるとは思いにくい。
 そこで切符を券売機で買うことにしたのだが、それはコインでしか買えない機械だった。なんと、お札で購入できないのだ。間の悪いことに、その時わたしは切符を買えるだけのコインを持っていなかった。
 添乗員さんに「券売機は色々と不便なのでタバコ屋さんなどで買っておくといいですよ」と言われていたのを思いだして、わたしたちは再び階段を登ってタバコ屋さんを探して地上を歩いた。
 だが、チルコ・マッシモ駅周辺にタバコ屋さんはなかった。探せば別の店に置いてあったのかもしれなかったが、わたしは聞いて歩くことをせず、そのまま次の駅、コロッセオまで行ってしまうことにした。
 歩くのが嫌いな息子はタクシーに乗ろうだのなんなのと不満たらたらだ。
 だが、流しのタクシーに乗ることが困難なイタリアで、周りにはタクシースタンドもない。チルコ・マッシモ駅のあたりは道路が走るだけで閑散としており、何もないのである。
 ぶーすか文句を言う息子とともに、ようやくコロッセオの近くまでやって来た。
 道路の向こうに昨日見学した「コンスタンティヌスの凱旋門」が見えてきた。
 コロッセオ駅の入り口は凱旋門よりさらに向こう、コロッセオ近くにある階段を登った場所にあった。
 階段を下り、いよいよ地下へ。大した予備知識もなくイタリアでの初地下鉄体験である。緊張する。
 改札口の手前にキヨスクみたいな売店があって、そこのお姉さんに切符を買い求めることができた。確か、「Ticket」というような表示があったように記憶している。しかし、たかが地下鉄の切符くらいで、この苦労。疲れているのに一駅も歩いてしまって、日本がいかに便利な国かよくわかる。
 フランスではチップやトイレのためのコインで苦労したし、ヨーロッパではとにかく山のようにコインを用意していないといけないのだ。 
 イタリア語の表示に従ってテルミニ行きのホームに辿り着く。ホームには何人かの人影があり、日本人の姿はない。
 しばらく待つと列車がやってきた。
 2ヶ月前、このローマの地下鉄A線で列車同士の衝突事故があり、死者を出したというニュースがあった。またスリなども多いと聞いていたので、かなりおっかなびっくり、バッグをしっかり前に抱えての乗車であった(ちなみにパスポートとクレジットカードは胸に下げたパスケースの中)。
 が、老若男女問わず普通に乗っており、さほど不穏な雰囲気はない。少なくとも映画などで描かれるニューヨークの地下鉄のような、恐ろしげな人たちは一人もいなかった。
 列車は無事に2駅目のテルミニ駅に到着。わたしたちは何事もなく地上に戻ることができた。
トラットリア
 わたしたちはいったんテルミニ駅前に戻って昼食をとることにした。
 駅前のアーケードなどを覗いていくつかのレストランを物色したが、一番よさそうなこのトラッテリアに入ることにした。
 イタリアではもっとも高級なレストランをリストランテと称し、値段も割高。次にピザッテリアとかトラッテリアといったレストランがあるのだが、この店には、その3種類の名称全部が書かれていた。
 店内はごくカジュアルで、客たちも気楽な装い。英語を話す客、イタリア語を話す家族連れなどで賑わっており、日本人はいなかった。
 わたしはさっそくビールを注文し、パスタを2皿頼んだ。ワインも飲みたかったが、昼間から酔ったら困るので我慢することにした。
 ウェイターは特に愛想がいいわけでも無愛想というわけでもない。呼べばすぐ来てくれるが、駅に近い場所柄のせいか極めて事務的な感じだ。
 ボンゴレ・スパゲッティの味はなかなか。さすがに本場と言いたいところだが、まあこれくらいなら普通に日本で食べられるでしょう。
 それでもローマでの初単独ランチは結構楽しかった。


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