ローマ市街観光Part2 
昼食
 ヴァチカンを出ると、フィレンツェで別れた運転手さんがバスとともに待っていた。フィレンツェから一人で運転し、わたしたちの荷物とともにやってきたのだった。そのバスでローマ市内にあるピッツァ専門店へ移動。
 地元の人たちも訪れる、なかなか良い感じのレストランだ。
 全員が横に長い一つの席に通され、トイレに行くのにも四苦八苦。でも、和気藹々でとても楽しいランチだった。
 前菜の菜っ葉?がやけにしょっぱい味付けで、場所によってさらに塩がかかりすぎ。
 急いで大量に作ったからかな。
 メインのピッツァが来た。けっこう大きくて、丸ごと一枚が一人分。
 こんなに食べられるかな〜と最初は思ったが、パリッと歯ごたえのよいピッツァは大変おいしくて、結局ぜんぶ食べてしまった。
 見た目シンプルで具も少なげだが、ピ○ーラなんぞよりずっとおいしかった。もちろんキッチンで手作りしている現場もしっかり目撃してきた。
 デザートのケーキは、ちょっと微妙だった。ヘンな日本語になってしまうが、ティラミスなら多少まずくてもおいしかったんだけど。
 ワインも好きだが、地元産のビールにこだわるわたしはビールを注文。味はまあまあ。

 レストランを出たわたしたちは再びバスに乗り、次の見学地であるコロッセオに向かっていた。
 が、コロッセオが目の前に見えてきたとき、異変は起こった。
 運転手さんが「ミッションがおかしい」と言いだし(通訳は途中離脱カップルの、イタリア留学歴のある奥さん)、バスが停まってしまったのだ。
 わたしたちは荷物はそのままでバスを降り、歩いてコロッセオに向かうことになった。
 添乗員さんは「コロッセオに近いところで停まってよかった」と言うが、このあとの見学やホテル行きはどうなるの、とちょっと心配な気分になる。
 が、停まったのがちょうどフォロ・ロマーノのすぐ横で、見学がてらコロッセオに向かえたのはよかった。おまけにコロッセオの見学を終えた後はフォロ・ロマーノの中に入って見学しながらバスに向かうことができた。
 ここは翌日の自由行動でぜひ行こうと思っていた遺跡だけに、観光に入っていなかったこの場所がガイドつきで見学できたのは非常にラッキーだった。
 
←フォロ・ロマーノ横の道路から、ヴェネチア広場の方を写した画像。
 道路の上から見たフォロ・ロマーノ。古代ローマ時代の政治、経済、文化の中心であった街の遺跡で、見学は無料。(後ほど詳しく紹介します)
 ちなみにこの反対側にあるエスクイリーノの丘には「ネロの黄金宮殿」というのがあって、わたしはぜひとも見学したいと思っていた。ガイドブックには「見学は前日までに要予約」と書いてあったため、ユーロスターでの移動中、添乗員さんに電話をしてもらうようお願いをした。
 だが、浸水による被害を受けたため、現在は閉まっているとのことだった。イタリアの見学に想定外はつきものだ。
 フォロ・ロマーノからコロッセオの中間あたりに、ツタンカーメンが立っていた。
 よく見ると、マスクを被った人間が微動だにしないで立っているのだ。前には小さな入れ物が置かれてあって、お金を入れてくれということだろうか。
 あまりにも不気味なので、誰も近づかなかったけど。
コロッセオ
 さて、トラブルによりバスがストップしてしまった位置からてくてく歩いてコロッセオの近くに到着した。ほんの100か200メートルくらいの距離で本当によかった。
 前の広場はけっこうな観光客の数だが、これでも平日なので空いている方らしい。翌日の土曜日にもここを通りかかったが、さらにたくさんの人の姿が見られた。
 コロッセオは、ティトゥス帝時代の80年頃に完成した円形競技場だ。
 剣闘士同士が死ぬまで戦わされたり、猛獣と戦わせたりするさまを、市民は熱狂して見学した。
 円周527メートル、高さ約50メートル、楕円形の長径は188メートル。1階が貴賓席、2階が一般席、3階は立ち見席となっており、73,000人を収容することができた。
 中世を通じて建材の多くが他の建築物に流用され続けたそうだ。
 わたしはこれまで、完全円形の競技場が長い歳月で老朽化して崩れ落ち、こういう欠けた姿になったのだと思っていた。が、訪れて実際に見てみると、元々こういう形だったような印象を受けた。それとも、建材の流用によって半分なくなってしまったのだろうか。
 コロッセオは、ネロ帝の黄金宮殿の庭園にあった人工池の跡地に建設された。工事は75年に始まり、ティトゥス帝時代の80年から使用されるようになった。完成したのはドミティアヌス帝の治世中だという。
 1960年の「スパルタカス」、2000年の「グラディエーター」はいずれもローマの剣闘士を描いた映画である。「スパルタカス」は紀元前に起こった「スパルタクスの反乱」を元に描かれたストーリーで、主演はカーク・ダグラス。
 「グラディエーター」はマルクス・アウレリウス帝(121年〜180年)と、その後継者コンモドゥス帝 (161年〜192年、在位180年〜192年)の時代のフィクションで、主演はラッセル・クロウだ。
 このコンモドゥス帝はインターネット百科事典「ウィキペディア」の記述によると「暴虐帝」と呼ばれ、自らコロッセオで剣闘士の試合に参加し、ギリシア神話の英雄ヘラクレスに扮して1万2千人の剣闘士を殺害したという。(いわゆるバカ殿ですな)
 さて、日本人の現地ガイドさんに率いられて中に入る。
 壁にたくさんの穴が空いているのは、建設の際の足場を組んだ跡だという。
 突きあたりまで進むとシースルーの近代的なエレベータがあったので、とても驚いた。今日は空いているのですぐに乗れたが、混んでいる週末などはエレベータ待ちで長蛇の列ができるという。
 エレベータに乗って、コロッセオの観客席へ。若いカップルたちは階段で上がってきた。
 とにかくそのスケールの大きさには、ただただ唖然となるばかりだ。
 これが建設された80年頃の日本といえば、弥生時代のさなかだ。つまりまだ古墳時代にも突入していなくて、建築物といえばワラ葺きの掘ったて小屋くらいしかなかった時代だ。なんという文明の違いだろうか。
 ちなみに1階の貴賓席は大理石張りだったが、のちに引っぱがされて他の建築物に流用されてしまったようだ。いわば石切り場として利用されたというわけだ。サン・ピエトロ大聖堂にもここの大理石が使われているという。
 また一般席のあった2階は木製の席だったが、それももちろん残っていない。
 灰色の砂が敷き詰められている部分が格闘技のいわゆる舞台。向こう側の舞台のない箇所は地下室が見えるようになっているが、本来は一面舞台となっていた。
 コンサート会場のアリーナは、この砂を敷き詰めた場所から発生した言葉だ。
 舞台の下にある地下には猛獣の檻や武器、舞台装置が置かれていた。せり上がりの機械装置まで備えていたというから驚きだ。
アリーナの下にある地下室。 皇帝の席を正面から撮ったもの。
 それにしても、ここでたくさんの血が流されたのかと思うと、ちょっとゾッとする。
 剣闘士競技はエトルリア人が発明したと言われている。娯楽性の高い見世物として、のちにローマによって採用され、もっとも古い剣闘士競技の記録は紀元前264年だという。
 剣闘士となるのは主に戦争で捕獲した捕虜や奴隷が主であったが、前述のコンモドゥス帝のように自ら出場する高身分の者もいた。
 基本的に剣闘士は1対1で戦い、どちらかが死ぬまで行われた。しかし、どちらかが打ち負かされ、降参をすることもある。
 その場合、観客が「殺せ」、あるいは「助命しろ」と叫んで、敗者の命運を決した。
 敗者が勇敢に戦って観客を満足させた者であれば、拳を固めて突き出した親指を上に向けて「助命を」と叫んだ。
 逆に臆病な戦いをした敗者に対しては、親指を下に向けて「殺せ」と叫んだという。
 試合の主催者がそれによって裁定を下し、敗者を殺させたり、助けたりしたのだそうだ。今でもアメリカ人などがよくやるブーイングのサインは、ここから来ている。日本人も最近やるようになったけど、ルーツは残酷なのね。
 見学を終え、外へ。
 コスチュームをまとった人が客を待っている。お金を払って一緒に写真を撮ってもらうらしい。
 さて、いくらなんだろう? 訊いておけばよかった。
 古きローマ時代のコスチュームのようだが、なんだか「スター・ウォーズ」の元老院議員の衣装のようにも見える。
コンスタンティヌスの凱旋門
 コロッセオのすぐ前に建つ凱旋門は315年に造られたもの。
 当時のローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国とに分かれている上に、西ローマ帝国では正当な皇帝を名乗る有力者が複数乱立していた。
 副帝を名乗っていたコンスタンティヌス帝(272年〜337年、在位306年〜337年)は、同じく皇帝の地位を主張していたマクセンティウス帝(278年〜 312年)と戦い、これを破った。
 その勝利を記念して建てられたのが、この凱旋門である。
 フランス・パリにある2つの凱旋門はナポレオンが外国との戦争の勝利を記念して造らせたものだが、ローマのものを真似ているというわけだ。
 コンスタンティヌス帝はその後も並立する他の皇帝を打ち破り、西ローマ帝国皇帝の地位を経て、325年全ローマ帝国で唯一の皇帝となった。
 コンスタンティヌス帝は313年にミラノ勅令を発して帝国内の宗教の自由を認め、第5代皇帝ネロ(37年〜68年)以来禁止されていたキリスト教を特に容認した。
 晩年にはキリスト教の洗礼を受け、コンスタンティヌス帝キリスト教徒となった最初の皇帝となった。
 凱旋門のレリーフは歴代皇帝の建造物から移したもので、最上段の左右2枚ずつ並ぶパネルはマルクス・アウレリウス帝の生涯を、下の円形レリーフはハドリアヌス帝の生涯を描いている。
 そのすぐ下のレリーフは、コンスタンティヌス帝の戦闘を表したものだ。


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