フィレンツェ観光 
MyBusピサ観光
 ピッティ宮殿を出たわたしはすぐにタクシーに乗り、バスターミナルへと向かった。
 バスターミナルは「Piazza Adua」という広場に面しており、「Razzi」というバス会社のものだ。
 タクシーの運転手さんに地図を見せてAdua広場に行ってもらい、わたしは最初にラッツィ社のオフィスを偵察した。
 このとき時刻は1時20分。2時の集合までには時間があるし、まだ息子は到着していない。
 ラッツィ社の周辺をウロウロし、MyBusのオフィスを探した。だが、どこを探してもラッツィ社以外にそれらしいオフィスはない。
 ラッツィ社の中に入る。昔の駅の待合所兼切符売り場みたいな雰囲気の小さなオフィスで、いくつかの窓口が並んでいる。
 わたしは窓口カウンターの右隅に小さく「MyBus」の赤い文字を発見した。
 MyBus社はJTBが運営する現地ツアーの会社で、過去パリでもヴェルサイユ宮殿やモン・サンミッシェルの1日観光などで利用している。
 ラッツィ社のカウンターの片隅にMyBusの看板があるということは、間借りしているということだろうか。
 窓口の上の案内を見ると、ピサ以外にも様々なツアーが出ていた。椅子にはイタリアの老婦人たちが座ってツアーの出発を待っている様子だ。
 とりあえずMyBusの所在を確認できたので、わたしはいったん外に出て食べるところを探した。
 わたしはまだお昼ごはんを食べていない。ピサ観光には食事が付いていないので、ここでなにか食べておかないといけない。
 で、バスターミナルから数軒お隣りの店でブリトーを売っていたので、入ってみることにした。
 ガラスケースの中にあるブリトーを選んで、その場で暖めてもらうこともできる。
 英語で「暖めるか?」と聞いてきたので、頼んだ。そして、カウンターにしつらえられた背の高い椅子に腰掛けて食べた。
 味は、まあまあ。中の具は野菜だったが、味が薄くてコクに欠ける。それに、もうちょっとお腹に溜まるものを食べればよかった。
 このあとピサ観光から戻るまでなにも食べられなかったので、空腹で貧血気味になってしまったからだ。通常のツアー以上に自由がきかないオプショナルツアーでは、いざというときの非常食を常備した方がいいという教訓を得た。
 ブリトーを食べ終え、再びラッツィ社のオフィスへ。ガラス越しに立って息子の到着に備えていると、やがて一台の大型観光バスが目の前をよぎった。
 バス前方のドアには見慣れた添乗員さんの横顔があった。わたしはオフィスを飛び出し、停車したバスに駆け寄った。
 ドアが開いて、添乗員さんとともに息子が降りてきた。
 添乗員さんは「心配だから送ってきました。料金はあとで」と言い残し、すぐにバスに乗り込んだ。あっけに取られるわたしを残して、バスは走り去った。
 驚いた。
 えーっ、どうしてわざわざバスで・・・? で、でも、料金ってなに? もしかしたら送迎代を請求されるの?
 まあ、なにはともあれ無事に息子と合流できてよかった。
 タクシーに押しこんで送り出せばそれで終わりのところを、わざわざ観光バスで送ってくれるなんて、なんて責任感の強い添乗員さんなんだろう。
 息子の背丈はすでに母親を越して、見た目もかなり大人っぽくなってきた。小学生ならまだしも、中学生である。これだけ大きくなれば普通は安心してタクシーに乗せるだろうと思っていた。
 だが、やはり添乗員さんにしてみたら息子はまだ子どもで、独りで行かせるには不安が強かったのだろうと思う。
 息子も独りタクシーに乗せられるより、バスで送ってもらえて心強かったに違いない。
 感謝に絶えない。
 で・・・。
 わたしたちはラッツィのオフィスに戻った。
 椅子に座ろうとすると、老婦人が椅子を詰めてわたしたち二人が座れるようにくれた。
 やがて、「MyBus」と書かれたカードを持った日本人女性が目の前に現れた。
 「あ、これだ」と思って彼女に視線を合わせると、「ピサ観光ですか」と訊いてきた。わたしは「日本旅行のMさんのツアーの杉江です」と名乗った。
 そして、費用はいつ払うのかと聞いたところ、もうMさんからいただいてます、との返事だった。
 なるほど、「料金はあとで」とはこのことだったのか。
 これまでのMyBusのツアーではまず集合場所のオフィスで料金を支払い、それからバスに乗るシステムだった。なんで先に支払いを求められないのかなと思ってたところ、添乗員からの申し込みなので会社同士のやりとりとなるようだった。
 わたしたちはバスに案内され、ガイドさんとともに乗り込んだ。ガイドさんは先ほどの人とは別人で、ちょっと年配の女性だった。
 バスに乗ってきたツアーの人数は少なくて、わたしたちを入れて5組ほど。やはりこの時期のイタリアはどこも空いていて、いいことづくめだ。
 バスはフィレンツェ市街地を抜け、高速道路に乗った。
 フィレンツェを離れていくに従って山が近くなり、郊外らしい光景が広がる。
 この近くに「ピノッキオの冒険」の原作者、カルロ・コッローディが育った村があるという。そう言えばパラティーナ美術館にはピノキオに関する絵の展示コーナーがあったが、そういう関連があったのか、とガイドさんの話を聞いて思った。
 わたしたちが向かっているピサはフィレンツェから約80数キロのところにある街で、同じトスカーナ州にある。
 10世紀から東方貿易で潤い、ヴェネツィアやジェノヴァと地中海の覇権を争うほどの海洋国家であった。
 13世紀末には勢力を失い、海も土砂で埋まってしまった。今では海洋国家の面影はなく、ピサというと内陸にあるイメージを持つ人がほとんどではないだろうか。

 バスに揺られること1時間20分。
 ピサに到着したが、斜塔のすぐそばまで送ってくれるわけではなかった。
 フィレンツェ市街地同様、観光バスの乗り入れが禁止されているようで、離れた駐車場から無料循環バスに乗っての移動となった。
 無料バスは5〜6分でピサの斜塔とドゥオーモに到着した。その手前の広場では音楽の催しが行われていて、とても古都・ピサの趣にはそぐわない大音響を流していた。
 やかましい広場を抜け、門をくぐると、いよいよ目の前に洗礼堂とドゥオーモ(大聖堂)が見えてきた。
 その向こうには、ちらっと斜塔の姿も見える。
 これまで抱いてきたイメージでは、斜塔は周りになにもないところにニョッキリ建っているものだと思っていた。
 が、見学用の入り口から入っていくと、ドゥオーモの陰に隠れて遠慮がちに見えている。それがなんだかとっても可愛らしい。
 お決まりのポーズで決めてみました。
 この斜塔は1173年、ドゥオーモの鐘楼としてボンナノ・ピサーノの設計で建設が始められ、1350年に完成した。(その間、なんと177年!)
 回教美術の影響を強く受け、ピサ・ロマネスク様式の傑作と謳われている。
ピサ大聖堂(ドゥオーモ)
 斜塔をもっと近くから見たくて心がはやるが、見学は大聖堂(ドゥオモ)から。
 大聖堂は、1063年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築が始められたと言われている。
 細い柱と半円アーチによる柱廊が4層積み重なった特徴的なファサードを持ち、ロマネスク様式とピザンチン様式が融合した優美さだ。
 ピサと言えば斜塔があまりにも有名になってしまったが、本来の主役はこちら、大聖堂である。
 内部は東方交易の影響を色濃く受けたピザンチン風。
 黄金に輝くモザイク画やイスラム風の縞模様の柱、壁に刻まれたアラベスク模様などは、予想もしていなかった華麗さだった。
 建物は奥行きが約100メートル、幅約30メートルで、上から見るとラテン十字の形をしている。内部は円柱が密に並び、五廊式となっている。円柱の多くは戦利品としてパレルモの古代遺跡から運ばれたものともいわれている。
 後陣丸天井には「玉座のキリスト」のモザイク画があり、キリストと洗礼者聖ヨハネ、聖母マリアが描かれている。
 建物内部にはピサの人々に愛された、聖ラニエリとハインリッヒ7世の墓がある。
 身廊のほぼ中央には、ブロンズ製のランプが吊り下がっている。ガリレオ・ガリレイはこのランプの揺れを見て、「振り子の等時性」の法則を発見したと伝えられている。
 つまり、ランプの揺れ幅が大きくても小さくても往復するのにかかる時間は同じであるという法則で、振り子時計に応用された。
 このエピソードは「世界ふしぎ発見」でも紹介されていたが、これは後世に造られた逸話だとする説もある。
 その理由として、大聖堂にあるランプは1587年にとりつけられたものあること。しかも、それは鉄の棒で支えてあり、揺れはしないということらしい。
 ←「ガリレオのランプ」が吊り下げられた天井。金細工の格子が美しい。
 ちなみにガリレオ・ガリレイは1564年、ピサ生まれの物理学者、天文学者、哲学者である。天文学の父と称され、科学的手法の開拓者としても知られている。
 1608年に望遠鏡が発明されるといち早く取り入れ、10倍のものを20倍に改造して観測し、1610年、木星の衛星を3つ発見した。その後見つけたもう1つの衛星とともに、これらはガリレオ衛星と呼ばれている。
 その後の観測により「地動説」を唱えるようになり、そのため教会が起こした裁判により(いわゆる異端審問会)で有罪判決を受けた。
 1642年に死んだ後もキリスト教徒として葬られることはなく、1737年ようやくフィレンツェのサンタ・クローチェに葬られた。
 一番の見所である説教壇。ジョヴァンニ・ピサーノによって1302年から1311年にかけて作られた、イタリア・ゴシック様式を代表する彫刻。
 新約聖書をモチーフに、「洗礼者ヨハネの誕生」、「受胎告知」、「キリスト降誕」、「磔刑」、「最後の審判」などが一枚のパネルごとに描かれている。
 建物の横側の壁には、どこからか分捕ってきた大理石がはめ込まれている。文字の刻まれた部分がそうだ。
 よく見ると、あちこち色の違う石が使用されており、建設時の苦労がしのばれる。
洗礼堂
 大聖堂の西側に建つ円筒形の洗礼堂は、直径約35メートル。着工は1152年で、完成までには200年以上を要している。
 外観はロマネスク様式で、外壁は白い大理石造り。大聖堂と同様、列柱とアーチで装飾されており、上側はゴシック様式特有のレースのような尖塔群の装飾が施されている。このあたりが造られた時代の移り変わりを物語っており、興味深い。
 建物は直径35メートルのドーム状になっており、内部の音響効果がたいへん素晴らしいのだそうだ。
 2階にも人が歩いており、たいへん小さく見える。いかにクーポラが大きいかがよくわかる。
 説明を受けながら待っていると、やがて女性の職員が現れ、「あ〜あ〜」と高低をつけて声を発した。それが壁とドームにこだまして反響が長引き、最初の音が次の音に重なって和音に聞こえる。
 ガイドさんは「声量のある男性がやったほうが素晴らしい」とケチをつけていた。確かに後にネット上で見つけたビデオの音響とは雲泥の差があり、わたしたちの時の方は短くて物足りなかった。
 参考までにリンクをURLを記しておく。興味のある方はそちらをご覧ください。
 ・参考1
 ・参考2
 1260年にニコロ・ピーノによって作られた説教壇。円柱で支えられたパネルにはキリストの生涯をたどった彫刻が施されている。
 聖母マリア、東方三博士、キリストの磔刑、最後の審判となっているのは大聖堂の説教壇と同様である。
 また中央には八角形の美しい洗礼盤がある。制作したのはコモからやってきた工匠グィード・ピガレルリだそうである。
 展示されている衣装はなんですかとガイドさんに訊くと、映画の撮影で使用されたものですという答えだった。
墓所(カンポサント)
 北側一面に続く大理石の壁は、カンポサントと呼ばれる墓地のもので、納骨堂がある。
 13世紀後半に建築が始まり、中庭には十字軍がゴルゴダの丘から運んだ土も使われたと言われている。
 14世紀に描かれたフレスコ画があったが、第二次世界大戦の空襲でほとんどが消失してしまったそうだ。
斜塔
 いよいよ斜塔の見学。この時すでに陽が傾きかけており、斜塔がオレンジ色に染まってしまったのは残念だった。まず初めにこちらを見学すればよかったのに。
 高さは地上55メートル、階段は297段あり、8階建て。外径は約20m、内径は約4.5m。重量は14,453トン。
 斜塔に登ることはできるが、前もって予約が必要。人数制限があるのは、たくさん登りすぎて傾斜に拍車がかからないようにという配慮からだろうか。
 また、入場の際には警察官が同行するとか。なんでも年に何回かはここからの投身自殺があるそうで、その防止のためらしい。
 ピサ大聖堂の鐘楼として塔の工事が始まったのは1173年8月。当初の予定では、これよりさらに高い塔となるはずであった。工期は約200年と非常に長いが、二度の長い中断を経ている。
 造っているうちに傾きだしたため、1178年にいったん中断。原因は地盤の土質が不均質だったために、不等沈下を起こしたと考えられている。
 1272年、傾斜を修正しつつ建設が再開されたが、その傾きはなおも止まらなかった。
 上の画像で、傾いた塔の上に真っ直ぐになるようにして、さらに塔が載せられているのがわかるだろうか。うーん、この画像ではわかりづらいかな。 
 つまり斜塔は一直線に傾いているのではなく、バナナのように曲がって傾いているのである。実際に見るとその湾曲ぶりがもっとはっきりとわかり、興味深い。
 1970年代には塔の頂点が中心点から5mほどもずれて倒壊の恐れが出てきたため、イタリア政府は1990年から観光客の立ち入りを禁じた。
 塔の安定化をはかるため、政府は工法の国際設計コンクールを開いた。世界各国の建設会社や著名な基礎工事会社による応募があり、日本の鴻池組も設計の提案・見積を提出している。
 2001年6月に修復・補強工事が完了し、これにより塔の傾きは45cmほど改善され、傾斜角は約5.5度になったそうだ。
 しかし、傾斜の進行は現在もなお進んでいるということである。
 一番傾きが強い角度で、またまたお決まりのポーズ。それにしても、すっごい傾きである。
 数年前の画像には、傾いていない方に重りをぶら下げたりといった姿のものもある。今回はネットが被せられた階があるものの、周囲にクレーンの姿もなく、すっきりと綺麗な姿を見せていた。
 ちなみに「落体の法則」を発見したガリレオ・ガリレイが、この塔の頂上から大小2種類の球を同時に落とし、両者が同時に着地するのを見せた、という有名な故事がある。
 これは、弟子であるヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニの創作で、実際には行われていないと言われている。
 つまり、大聖堂のランプで「振り子の等時性」を発見したとか、斜塔で「落体の法則」の実験を行ったとされるピサにまつわる逸話はいずれも捏造ということになる。
 ガリレオはピサ大学に入学しており(その後退学)、また同大学で数学を教えていたこともあるため、大聖堂や斜塔にまつわる逸話が造られていったのかもしれない。
 さて、ここで15分ほどの自由時間となった。墓所と反対側にある建物の前には土産物屋の屋台が連なり、カフェもあるので、そこでトイレを借りられるというガイドさんの話であった。
 だが、行ってみたところ、カフェはない。従ってトイレに入ることもできず、土産物数点(斜塔のキーホルダー、置物、傾いたマグカップ)を購入して集合場所に行くことになってしまった。
 空にかかった怪しい黒雲。・・・にしては、なんだかツブツブしている。目を凝らして見ると、なんと鳥の大群であった。
 いくつかのグループに別れたかと思うと集合し、群れが伸び、よじれて高みへと登っていく。
 最後には昇龍のようになって消えていった。
 さて、集合場所に集ったわたしたちはガイドさんに率いられて巡回バスのバス停に戻った。
 しかし、10分以上待っても、バスは来ない。
 そこでガイドさんが「観光バスの駐車場まで歩きましょう、近道がありますから」と言い、わたしたちも同意して歩いて帰ることになった。
 しかし、この頃になるとわたしは空腹のため貧血気味。手足に力が入らない。
 カバンを探ってみると、ラスクの包みが出てきた。今朝、ホテルの朝食で余ったのをカバンに入れておいたのだった。
 助かった。パリパリぼそぼそと味気ないラスクであったが、この小さな2枚のお陰でなんとか歩き続けることができたのだった。
 しかし、途中で循環バスを追い抜かれたときには、大きな溜息が出てしまった。あともうちょっと待っていれば・・・。
 こんなことがあったからだけではないのだが、このガイドさんには最後まで不満だらけであった。
 理由はいくつかある。まず、話がわかりにくいこと。
 説明の導入部分は興味深いと思って聞いているのだが、やがて持ち前の持論を披露し始め、話が横道に逸れてわかりにくくなってしまうのだ。
 彼女の持ち前の持論とは、「だから日本は駄目なんだ」というもの。イタリアの思想、哲学や理念などには詳しいようだが、そこに「日本の企業論理の欠陥」や「日本人の駄目な点」などをからめて話を展開するものだから、途中で訳がわからなくなってしまう。
 ガイドが自分の考えを押しつけちゃ、いけませんよね。
 ピサの洗礼堂でも展示してある衣装について、こちらから訊かないとなにも教えてくれなかった。また、他のツアーのガイドさんがする一般的な幅広い説明ではなくて、自分がこだわっている話だけを延々とする人なのである。
 それに、バスの運転手さんがまた最悪。短気な人で、割り込まれるとすぐにイライラする。
 運転中に爪を噛んだり、携帯をチェックしたりする。せっかちな運転なので、頻繁に急ブレーキをかける。乗り心地が悪いので、フィレンツェに到着したとき息子は相当気分を害していた。
 このドライバー、ガイドさんの組み合わせに比べ、わたしたちのツアーのドライバー&ガイドさんはなんて優秀なんだろう。ガイドさんは優しくて配慮がきめ細かくて、運転手さんは温厚で誠実。
 やはり日本の大手旅行会社の添乗員にはさほどハズレはないだろうし、その会社が契約している外国のバス会社にも酷いのはないと、わたしは認識している。
 実はローマでバスが壊れるというハプニングがあったのだが、運転手さんが持ち前の誠実さを発揮して対処してくれたため、わたしたちが困ることはまったくなかったのだった。

 Piazza Adua広場のターミナルに到着したバスから降り、わたしと息子はホテルへ向かって歩き出した。
 その途中でリストランテに立ち寄ってディナーをとることに。どこがよいかわからなかったので、Myバスのガイドさんに聞いて、日本語のメニューがあるリストランテということで、この場所を教えてくれた。
 が、到着したのは6時55分。オープンは7時かららしく、入ると奥のテーブルに座っていた従業員が、まだだと言って入店を断ってきた。あと5分なんだから、入れてくれたっていいのに。
 わたしたちはさらに先に進んで他の店を探したが、いい感じのところが見あたらない。
 そこで戻って先ほどの店へ。わたしたちより一足早く、日本人の団体が大挙して入っていった。それに続いて、わたしたちも入店。
 賑やかな団体客からテーブル2つ分離れたところに案内され、日本語メニューをもらう。
 なるほど、日本語メニューがあるってことは日本の団体さんが来るってことなのね。
 さっそくワインを1本注文。
 ラベルに「Grignano」という文字があるが、どういうワインだったかは忘れた。
 こうしている間にも別の日本人の団体客がどんどん入ってきて、店内はたちまちぎっしり。イタリア人の客もいたが、多くは日本人で占められていた。
 前菜の「エビのなんとか」。ああ、また忘れちゃった。下に敷いてあるのはキャベツ。
 上にかかるソースの味が濃すぎるほかは、まずまずの味だった。
 息子が頼んだカルボナーラ。おいしかった。
 わたしが注文したのは、中にミンチ肉が入ったなんとか、というパスタ。おいしかったが、量が多すぎて食べきれず。
 食後にティラミスとカプチーノを注文。本場だけあって、カプチーノはどこで飲んでもおいしい。ティラミスもなかなかだった。


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