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時間になったので、いよいよウフィッツィ美術館の中に入る。文字入力しにくい名前だが、ウフィッツィとはイタリア語で「オフィス」を意味する単語だそうである。
この建物、元はといえば16世紀中頃、コジモ1世がフィレンツェ公国の役所を一カ所に集めるための建物として建てたものだった。つまり役所のオフィスだから「ウフィッツィ」と呼ばれてきたわけだ。 |
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美術館としての歴史は、コジモ1世の息子・フランチェスコ1世がメディチ家の膨大な美術収集品を展示したことから始まった。
建物内では窓の外を撮る以外は写真撮影が禁止されており、有名なボッチィチェッリの「ヴィーナス誕生」「春」などは特に監視の目が厳しくて写真が撮れなかった。
前にイタリアの監視員はお喋りばかりしてロクに見ていないと書いたが、ここだけは別格のようだ。 |
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ウフィッツィ美術館の廊下。ここは後述するヴァザーリの回廊の一部でもある。
白と灰色の大理石の四角模様は18世紀のもの。 |
一室の窓から見たウフィッツィ。塔のある建物はヴェッキオ宮殿、その向こうのクーポラはドゥオーモの大聖堂だ。
ウフィッツィというとボッティチェッリの「ヴィーナス誕生」などルネッサンス時代のものが注目されるが、実は1200年代から1300年代の宗教画も多く展示されている。
それらの多くが天使に囲まれた赤子のキリストを抱く聖母マリアや、磔刑に処せられたキリストなどで、背景は金箔一色というのが特徴だ。 |
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全体に奥行きがなく、人物の表情も乏しい。ルネッサンス以前の絵画はキリストのことを描くのが当たり前だったのである。
だが、ルネッサンス期を迎えた絵画は宗教一辺倒ではなくなり、女性の肉体の美しさ、表情の甘美さ、花や布の繊細な描写を追求するようになっていった。 |
サンドロ・ボッティチェッリによって描かれた「ヴィーナス誕生」は、まさにそんな時代の始まりを高らかに宣言するかのような作品だ。
ボッティチェッリは1444年(もしくは1445年)にフィレンツェで生まれ、メディチ家の保護を受けた画家で、宗教画、神話画などの傑作を残した。1510年死去。
1483年〜1486年頃に作成されたと考えられる「ヴィーナス誕生」はロレンツォ豪華王の従兄弟、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの依頼で制作された。
ギリシア神話を題材にしてテンペラ画法によりカンバス地に描いた絵画で、縦172.5センチ、幅278.5センチという大作。
海の泡から誕生したヴィーナスが貝殻の上に立ち、西風ゼフュルスに吹き寄せられて岸に到着したシーンが描かれている。花で覆われたマントを女神に着せようとしているのは、季節の女神である。 |
同じくボッティチェッリによる「春」。1477年から1478年頃に制作されたとされる。
中央の、他より少し高い位置にいる女性が女神ヴィーナスであるとされ、ここに描かれているのは彼女の庭園であると考えられている。
右端の羽根の生えた妖精は風の精ゼフュロスで、妖精クロリスを追いかけて娶り、彼女に花を芽生えさせる能力を与えた。実際、クロリスの口からは花が吹きだしている。
そのかたわらで花をまとって微笑むのは、クロリスが変容した春の女神フローラだと言われている。
手を取りあって踊る3人の女性は古代から伝わる三美神で、自由を象徴する。
上を飛んでいるのは目隠しされた愛の神キュービッド。
左端の男性はゼウスのメッセンジャーであるメルクリウスで、ここでは認識の象徴として描かれているそうだ。
この作品に対する解釈は様々で、議論の分かれるところ。形状の見えない世界が降りてきて物体の形をとって現れる季節、すなわち「春」を寓意するものだとするのが一般的だ。 |
1475年後頃に描かれた、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」。元はギルランダイオの作品とされてきたが、ぼかし手法で描かれた背景や登場人物の動きのしなやかさから、19世紀にレオナルド作と改められた。
ヴェッロッキオ工房から独立したレオナルドが初めて一人で描いた作品とされる。
「受胎告知」(じゅたいこくち)とは新約聖書に書かれているエピソードの1つで、マリアの前に天使ガブリエルが現れ、聖霊によってキリストを身ごもることを告げるシーンである。西洋美術において古来より頻繁に描かれたテーマの一つ。
この「受胎告知」が、今年2007年3月20日から上野の東京国立博物館で公開される。1867年にウフィツィ美術館に収められて以来、門外不出とされた絵画が初めて館外に出品されるというわけだ。
上野の森に長蛇の列ができることは必至、いま観ることができてよかった。
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ボッティチェリの初期の傑作「東方三博士の礼拝」。
サンタ・マリア・ノヴェッラ大聖堂(ドゥオーモ)内の祭壇に置かれたあと、このウフィツィ美術館に所蔵された。
テーマは、救世主イエスの降誕を告げる新星を発見した東方の三人の博士(もしくは賢者)が、ベツレヘムでイエスとマリアを礼拝する場面。
このテーマは他の作家にもよく描かれ、またクリスマスになると飾られる馬小屋の模型(プレゼピオ)には、贈り物を携えた三人の人形が飾られる。
最大の特徴は、登場人物たちの中にメディチ家の人物たちが描かれていること。
赤ん坊のイエスの前にかしずくコジモ・デ・メディチ、手前左端はジュリアーノ・デ・メディチ、それにもたれる詩人・ポリツィアーノ。側に立つ男性二人もメディチ家の人物だ。
また、右端の長い衣をまとった男性はボッティチェリ自身であるとされている。
ちなみにダヴィンチも1481年に依頼されて「東方三博士の礼拝」を描いているが、翌年ミラノに行ってしまったため単色塗りのまま未完に終わっている。完成していれば、ボッティチェッリのものよりも素晴らしいものになったと思うのだが、残念だ。 |
ヴェロッキオと、彼の工房に弟子入りしていたレオナルド・ダヴィンチが合作で描いた「キリスト洗礼」。
左側の天使とバックの背景はダヴィンチが描いたとされ、彼独特の柔らかいテクニックが駆使されている。
一方、洗礼者ヨハネの後ろの岸壁の描写には味わいのない描かれ方で、ヨハネの描写も硬い。
ヴァザーリの記録によると、弟子の腕前が師を凌駕するのを見て、ヴェロッキオは絵筆を絶ったという。
右側の天使をボッティチェッリ作とする説もあるそうだ。 |
フィリッポ・リッピ(1406年〜1469年)による「聖母子と天使」。言うまでもなく、聖母マリアとイエス、そして天使を描いた1465年頃の作品である。
幼くして父母を失ったリッピは修道院で育ち、修道士となった。一方、画家として教会や聖堂の壁画を描き、1452年にはプラートのサント・ステファノ大聖堂の壁画制作を依頼されている。
1456年、リッピは同じプラートのサンタ・マルゲリータ修道院の司祭に任命され、その年に同院の修道女、ルクレツィア・ブーティを連れ出して駆け落ちしてしまった。
このときリッピは50歳、ルクレツィアは20歳くらいであった。
修道士が修道女と駆け落ちするという事態にローマ教皇は当然のことながら激怒し、リッピを破門してしまった。女性好きのリッピはこれまでも色々とスキャンダルを起こしていたという。
リッピの画才を高く評価していたコジモ・デ・メディチは二人に救いの手をさしのべ、リッピの破門を解いてやるとともに、二人が還俗できるようとりはからってやった。
「世界ふしぎ発見」によると、コジモに苦言を呈した人々に対して、「天才とは天からの授かり物」と言って芸術の大切さを説いたという。
コジモさん、偉い! さすがルネッサンス生みの親、フィレンツェの父である。
しかし、一方では「絵がうまけりゃなにしてもいいんですか、このロリコン親父」と思わざるをない。50歳にして30も年下の修道女をかどわかすとは、とんでもない破廉恥修道士である。
ともあれ晴れて正式な夫婦となった二人の間には二人の息子が生まれ、そのうちの一人フィリッピーノは才能ある画家として活躍した。
この「聖母子と天使」に描かれた聖母マリアには妻を、イエスには我が子フィリッピーノの顔を写したと言われている。真意のほどは定かではないが、この絵を観る者が魅惑的で甘美なマリアの横顔にルクレツィアを重ね合わせたとしても不思議ではないと感じる。
また、リッピはボッティチェリの師でもあった。 |
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有名な絵画ながら、唯一監視員不在で撮影できた「バッカス」。
バロックの先駆を成した巨匠カラヴァッジオ(とガイドブックには書いてある。1573年〜1610年の作品である。
下はレオナルド・ダ・ヴィンチ特別展に展示されていた、レオナルドのスケッチを実物化した飛行機。 |
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窓からは「世界ふしぎ発見」でも紹介していた、有名な「ヴァザーリの回廊」が見える。
ヴェッキオ宮殿からこのウフィツィ美術館、さらにポンテ・ヴェッキオ橋の上を渡ってピッティ宮殿へと至る、全長約1キロメートルの回廊である。
1565年、政務を執ったヴェッキオ宮と住居であったピッティ宮まで身をさらすことなく移動するため、コジモ1世の命によりわずか5ヶ月で建築された。建築したのは画家にして文筆家、そして建築家であるジョルジョ・ヴァザーリ。 |
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左は、アルノ川にかかるグラッツェ橋から見た「ヴァザーリの回廊」。
「世界ふしぎ発見」では本来5年かかるところを短期間で建設させた理由として、息子の結婚式が執りおこなわれるため急がせたのだとしている。
この回廊、一般には非公開だが、見学を組み込んでいる旅行ツアーもある。実はこの回廊の存在は、そのパンフレットを見て初めて知ったのである。
その段階では「別に見たいと思わないなあ」と思っていたのだが、旅行直前に「世界ふしぎ発見」の放送を見て、「うわ、しまった。やっぱ見たいわ」とちょっぴり後悔したのだった。
まあ、次へのお楽しみに取っておくことにしよう。
わたしたちのガイドさんの話によると、ポンテ・ヴェッキオ橋の上には元々精肉店などが軒を並べていたが、回廊を造るにあたって家賃を倍にして橋から追い出し、貴金属店など臭いの出ない店を入れたという。
橋の上にお店があるというのは日本ではなじみがないが、ヴェネツィアのリアルト橋など、イタリアではよく見られるようだ。 |
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アルノ川の対岸から見たウフィッツィ美術館。画像左端に回廊の一部が見えている。
今までわたしが見学してきた美術館の中では外観、内装ともに最も地味な美術館だ。
なお、オンラインで見学の予約を取ることができる。
→ウフィッツィ美術館見学オンライン予約 |
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