ミラノ観光 
お昼ごはん
 ドゥオーモを出て少し歩き、再びバスに乗って、今度はランチを摂りにとあるレストランへ。
 これがまた「ゴールデンゲート・ブリッジ」という、なんだか妙にアメリカっぽいリストランテである。
 最初に出されたのはミラノ風リゾット。
 サフランで色づけし、バターとチーズで味付けしたものである。
 ミラノに来た観光客のほとんど(特にツアー客)が口にする名物料理ではないだろうか。
 なんだかとっても簡単そうなので、今度のキャンプで作ってみようかしらと思ったりして。
 次にミラノ風カツレツ。これもツアー旅行のパンフレットに必ず載っている名物料理で、薄く叩き伸ばした子牛肉を少量の油で揚げたもの。
 JTBかどこかのパンフレットでは「11月以降は別なものになる」と書いてあったため、てっきり食べられないかと思っていたので、へえ〜これがと感心しながら食べた。
 感想は、まあ何もここまで薄く伸ばさなくたって・・・というものだった。
 この頃になると他の人たちともだいぶうち解けてはきたが、まだまだワインを一緒に頼みましょうと持ちかけるほどではない仲だ。
 そのため、このようなピッチャーのワインを一人で飲むはめになった。「えー、一人じゃ飲みきれないよ」とつぶやいたら、麻美れい似のガイドさんが「わたしと分けましょう」と言ってくれた。
 席が離れてしまったので2度ほどピッチャーを持って注ぎに行き、ついでに添乗員さんにもお裾分けした。
 で、最後のデザート。
 これって洋梨味だったかしら、カスタードだったかしら。この頃にはたくさんのワインで酔ってしまったので、記憶にない。まあグルメ記者じゃないからいいでしょう。
 別に頼んだカプチーノがおいしかったのは覚えている。
 お店の外観。バスで運ばれてきたのでどこにあるのかわからないが、中心街からは離れているようだ。
 肌の黒いアラブ系のお兄さんが、目が合うとにこっと笑ってくれたのが印象的だった。
 彼は英語を話さず、わたしたちは英語ができるウェイター(これがまたコマネズミのように忙しく立ち働いていて、なかなかつかまらないのだ)をつかまえて追加の飲み物を注文するのに一苦労だった。
 
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会「最後の晩餐」
 再びバスに乗り、今度はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。
 いよいよ本日のメインイベント、「最後の晩餐」を見る瞬間がやってきた。これを見んがために、わたしは今回のこのツアーを予約したのである。
 「最後の晩餐」見学が組み込まれたツアーは、もちろん他の旅行会社にもあった。
 だが、そのいずれにも「『最後の晩餐』は非常に予約が取りづらい状況にあり、最後まで手配に努めますが、万が一取れない場合もありますのでご了承ください」という注意書きが加えられているのだった。
 そう、「最後の晩餐」の見学は1回25人限定、時間は15分という完全予約制。
 本格的な補修作業が完了した上に映画「ダ・ヴィンチコード」の影響もあって、予約が取りにくくなっているのである。
 「万が一」とはどれくらいの確率なのか、「取りづらい」と書いておいて実は易々と取れるんじゃないのか、取れなかった場合に備えて用心深く書いてあるんじゃないのか、本当はほぼすべてのツアーで見学できているんじゃないか、などなど、色々と考えてみる。
 そのあたりのことを旅行会社に問い合わせてもみたが、はっきりとした答えは返ってこなかった。
 ミラノに行きたいという人は、おそらく多くが「最後の晩餐」目的なのではないだろうか。それなのに20万円ものお金を払わせておいて、「予約が取れませんでした」では誰だって納得できないに違いない。
 しかも、ツアー代金を全額支払う段階では、まだ予約が確定されない。
 さらにさらに、出発1週間前に送られてきた日程表にすら、「ご鑑賞いただけないことも考えられます」などとエライことが書かれてある。
 なんだなんだ、予約が取れたんじゃないの?
 わたしは不安になった。日程表の2日目午前のところに「『最後の晩餐』を鑑賞します」と書いてあったのでホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、下の方に細かな字で「今後さらに入場制限が厳しくなり、(中略)ご鑑賞いただけないことも・・・」なんて書いてあるんだから。
 あとで添乗員さんが言っていたことなのだが、イタリアではある日突然いきなり「今日からこうなりました」と変わることが多々あるという。
 飛行機の搭乗時のチェックについても、これまでしなかった検査を突然するようになったり、逆にしなくなったりと、非常に流動的なんだそうだ。
 きちんと予約を入れておいたにもかかわらず、「今日から回数を減らします」なんて簡単にバッサリ削られてしまうことを考慮して、旅行会社の方もだいぶ神経質になっているようだ。
 日本では考えられないようなことだが、それがイタリアなのである。文化遺産を保護するという大義名分の元、けっきょく観光客のことをあんまり考えてないような気がする。
 ここがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。1466年〜1490年にかけて建てられたルネッサンス様式の教会だというが、思ったより近代的なファサードだなという印象だった。
 この教会の左手にあるドメニコ会修道院の食堂の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチが依頼されて描いた絵が、「最後の晩餐」というわけだ。
 修道院の食堂だからキリストの最後の晩餐を描いたという、至極もっともな作品である。
 この建物もやっぱり工事中のようで、正面にでんとトラックが停まっていた。景観を壊さないよう、自動車を裏に回すとかいう配慮はできないものだろうか。
 金閣寺の前にトラックが停まっていたら嫌でしょ、誰だって。
 鑑賞する客が待機する部屋。
 ここに5分でも遅れたら予約が取り消されてしまうそうである。
 わたしたちの場合は時間に余裕を持って到着できたが、それでもイタリア人のガイドさんが先回りしてチケットを購入しておいてくれていた。
 細長い一室には、昔の写真などが掲示されていた。
 パネルの前で解説するガイドさん。ね、ね、ちょっと麻美れいに似てるでしょ? ミラノに住んでいるだけあってエレガントな女性です。
 で、これは第二次世界大戦時の爆撃で破壊されたときの修道院の写真。壁の前に砂のうを積み上げて保護していたため、壁画は奇跡的に助かったという。
 ところが、実はこの絵、1970年代くらいまではその価値も判然としないほど見るも無惨な状態であったという。
 原因は、まず第一にレオナルド・ダ・ヴィンチがフレスコ画法ではなく、劣化が激しいテンペラ画法(顔料に卵などを混ぜた絵の具を使用する)で描いたことが挙げられる。
 じっくり絵を描き進めるレオナルドは、漆喰が乾く前に急いで仕上げなければならないフレスコ画法を嫌った。一方、テンペラ画法は後から修正が可能で、遠くの背景をぼかすことによって遠近感を出すことができた。
 そこでテンペラ画法が選ばれたのであるが、食堂という場所柄湿気が多くて、20年もしないうちに痛みだした。その後、何度となく修復され、加筆されていった。明らかにレオナルドのタッチではない加筆もみられたという。
 本格的な修復作業は1947年から始まり、1980年からは後から加筆された部分を取り除き、レオナルドが描いた本来の壁画を復活させる作業が続けられた。
 で、現在は修復も終わり、こうして神経をとがらせた公開方法をとっているというわけである。
 さて、いよいよ2時になった。
 「最後の晩餐」に通じるドアの前に皆集まり、開くのを待つ。
 時間ちょうどにドアが自動に開き、さらに狭いつなぎ廊下を挟んで食堂に入るようになっている。
 これまでわたしが観てきた「世界ふしぎ発見」や、その他のドキュメンタリー番組ではレポーターが絵の正面から部屋に入るシーンになっているが、あれには嘘がある。
 見学者は本来、絵のすぐ近くにあるドアから入るようになっているので、左の画像のように絵から離れたところからご対面し、感激しながら近づいていく、という構図にはならない。
 あれはテレビなので、効果的に演出されているのである。
 で、入ってみて驚いたのだが、この食堂、空調設備などの面でかなり近代的に管理された部屋だ。絵に向かって右側の下に箱のようなものが置かれているが、あれは空気清浄機。見学者が持ち込むホコリやカビなどを吸いこんでいるのである。
 1度の見学が25人に限定されているというのは、空気清浄機の限界点を考慮してのことだそうだ。
 下は、売店で買った絵はがきをスキャンしたもの。撮影禁止なので、ちゃんとした画像が取れなかったのである。(って、あんた撮ってるじゃん)
 中央にいるのが、言わずと知れたイエス・キリストだ。
 彼が12人の弟子(使徒とも言う)たちと質素な夕げをとりながら、「この中にわたしを売ろうとしている者がいる」と言った瞬間の、驚き慌てる弟子たちの姿を描いている。
 また、イエスは、裏切り者(他ならぬユダである)以外にも、弟子たちが自分を裏切るだろうとも預言している。
 その後、イエスがパンを「自分の体」とし、葡萄酒を「自分の血」として弟子たちに与えたという。
 向かってイエスの左にいるピンクのガウンを羽織っているのが使徒ヨハネで、イエスがもっとも愛した弟子である。
 その左側に座る、白髪に白い髭の男性がペトロで、使徒たちのリーダー的存在であった。
 イエスが捕らえられたとき逃げだし、いったんはイエスを否定する。しかし、ローマから逃れようと歩いているとき、刑死したはずのイエスに出会い、悟る。
 ペトロはローマに戻って宣教し、ローマ皇帝ネロによって逆さ十字架にかけられ殉教した。ペトロが「主と同じ十字架では畏れ多い」とし、自ら逆さ十字架を望んだと言われている。
 カトリックではペトロが初代教皇だとみなしている。
 そして、ペトロのお墓の上に建てられたのがバチカンのサン・ピエトロ大聖堂というわけである。ピエトロとはペトロのことである。
 そして、イエスを裏切りローマに彼を売った悪名高きユダがどれかというと、ペトロの手前側に座り、上体を引き気味にしている男だ。
 肌が浅黒く、右手にローマ軍から受け取った銀を入れた袋を握っている。
 他の画家たちが「最後の晩餐」を描くときには、ユダだけテーブルの手前に座っていたり、頭に光冠がなかったり、他の使徒たちと区別して描かれていることが多い。
 しかし、レオナルドはユダを他の使徒たちと同じように描いているのが特徴的である。
 ちなみに、彼らの食事が質素なのは、ローマ軍に追われ放浪していたからとも、またこの日が肉類を口にしてはいけないユダヤの祭日だったからとも言われる。
 もう一つ注目していただきたいのは、イエス・キリストの足下。この四角い部分は何かというと、かつてドアだった跡なのだ。
 ここにドアがあったら便利だろうと、修道僧がイエスの足があった場所にドアを作ってしまったのである。
 以上のようなことをガイドさんが25分間説明し、やがて時間となった。
 スピーカーを通じて「時間になったので出てください」と言うイタリア語が流れ、未練を残しながら退出。
 実際、美術館に行って一枚の絵を25分も眺めるということはないので、かなり長い時間観ていたことになる。それでも最後には非常に立ち去りがたく感じた。
 「ダ・ヴィンチ・コード」では、ヨハネはイエスの妻であったマグダラのマリアであるとしており、二人の位置を置き換えると寄り添う姿になると主張している。
 そして、あえて聖杯を描かず、イエスの子を宿したマリアそのものが杯であるという解釈なのだ。
 わたしは「ダ・ヴィンチ・コード」を100%信じてはいない。イエスの血脈や聖杯の秘密を守っているとされるシオン修道会が物語のキーとなるわけだが、レオナルド・ダ・ヴィンチを含む歴史上の著名人が歴代総長に名を連ねているという話などは虚構だと思っているし、実際、そのリストは詐欺歴のある人物による捏造だったようである。
 が、それにしても、イエスの左側に座る使徒ヨハネが、なぜイエスから顔をそむけた形で描かれているのか。どうして女性のように見えるのか、やはり不思議だ。
 それに、他の画家が描いた「最後の晩餐」ではテーブル上に聖杯が置かれているのに、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」にはない。
 やはり、わざと想像力をかきたてるように描いたあたりが、レオナルドのトリックなのだろうか。今頃あの世でほくそ笑んでいるのかも知れない。
 鑑賞を終え、土産物店で絵はがきなどを購入して、外へ。
 ふと上空を見上げると、ハケで払ったような雲に虹がかかっていた。
 アーチ型の虹なら日本でもたまに見るが、こういう真横にかかる虹は初めてだ。しかも、雨はまったく降っていない。
 おそらく雲が大量の湿気を含んでいるために虹が見えたのだろう。
 教会や聖堂を見るのが大好きなわたしだが、実際は神様を信じているわけではない。それでも、なんだかちょっと神がかりなものを感じてしまった瞬間であった。
 
ヴェネチアへ
 街中を少し歩いて、バスに乗り込む。わたしたちはミラノを離れ、いよいよヴェネツィアに向けて出発だ。
 ガイドさんともここでお別れ。
 よい方だったので、ちょっと名残惜しい。
 ストはまだ行われていないのだが、その影響ですでに道路が混んでいるらしい。高速道路は渋滞し、超ノロノロ運転。
 ホテルに到着し、部屋に入ることができたのは5時間のちのことであった。
 しかも観光税なるものを支払うために、途中ヴェネツィア市のオフィスに立ち寄っていた。
 フィレンツェでも同様な税が設けられており、イタリア旅行のツアーが高めなのは、こうしたことも関係しているのだ。

 夜の7時半、ホテルに到着。
 カードキーをもらってようやく部屋の中に入る。はあ、疲れた。
 部屋は新しいとは言えないが広め。クローゼットは造りつけではなくて、古いタンスだった。
 バスルームは新しく改修されているようで、非常にきれい。
 

 夕食はホテルのレストランで。こういうとき食事付きのツアーはありがたい。フリーだと夜、到着してからの食事がけっこう大変だったりするのだ。
 ワインを注文。
 息子と二人だけのテーブルだったので今回も誰かと分け合うことができず、丸々一本の注文になってしまった。
 イタリアではグラスワインというのがあまりなくて、ちょっともったいないが残してしまった。
 タマネギとイワシのパスタ。
 サカナ味というのが微妙なテイストで、タマネギもちょっと苦手な味なので、もの凄くおいしいとは言えない一品だった。


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