ミラノ観光 
スカラ座
 バスを降りて、わたしたちはとある建物の横っちょを一列になって歩いた。
どこもかしこも古い石造りの建物ばかりなので、それが「スカラ座」とは気づかずに壁伝いに歩いていた。
 道路を渡って建物の正面に出たところで「あれがスカラ座です」と言われるまで気づかなかった。実は、先ほど歩いてきた建物の横側が楽屋口だそうだ。
 先ほどのスフォルツェスコ城の石棺のところでも説明したが、このスカラ座が建てられる前はサンタ・マリア・アラ・スカラ教会があって、それがヴィスコンティ家に嫁いだレジーナ・スカリジェリにちなんで名付けられたものだった。
 スカラ座の建設はオーストリア女帝マリア・テレジアによって進められ、1778年に落成。
 第二次世界大戦によって大きな被害を被ったが再建された。
 最近になって再び改修され、近代的なドーム状の新館が併設された。
 ここの天井桟敷(バルコニー席の階上にある、裕福でない者でも観劇できる席)の観客は大変熱狂的で辛口だそうで、厳しい野次が飛ぶこともあるという。
 実は帰国してから新聞記事で知ったのだが、わたしたちが見学した2日前の公演で、野次に怒ったテノール歌手が舞台を途中で降りてしまったという。
 あとになってその歌手は、「実はわたしは低血糖のため気分が悪くなって・・・」と言い訳したようだ。→記事はこちら
 スカラ座正面にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ像。下にいる人物は彼のお弟子さんたち、向こう側の建物はミラノ市庁舎だそうである。
 ちなみにレオナルド・ダ・ヴィンチという名前は「ヴィンチ村のレオナルド」という意味なので、彼のことをダ・ヴィンチと呼ぶのは間違っているらしい。
 一方、確かにダ・ヴィンチ村出身ではあるけれど、ヴィンチ家というのは父の姓でもあり、「ヴィンチ家のレオナルド」という意味だという説もある。
 実際、自身の作品には「レオナルド」とサインしているし、当時の専門家もダ・ヴィンチではなくレオナルドと呼んでいたそうだ。
 そういえば、ミケランジェロもラファエロも姓ではなくファーストネームの方で呼ばれている。
 なんか日本でレオナルドというと「レオ様」ディカプリオを思い浮かべてしまう人が多いのではないだろうか。
 で、そのレオ様・・・じゃなくてレオナルド・ダ・ヴィンチの右側にある建物は宮殿だろうか?
  と思っていたら、実は銀行だった。うちの息子なんて最初これがスカラ座だと思ったらしい。
 中はどんなんだろう。ちょっと入ってみたかったりして。
 
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世アーケード
 レオナルド・ダ・ヴィンチ広場の反対側にある「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世アーケード」。スカラ座とドゥオモの間に位置している。
 ガッレリアと呼ばれる、ガラスのドームに覆われたショッピングストリートである。
 入り口あたりはごく何気ない風情で、日本のアーケード街に似ていなくもない。気のせいか、板橋区の某商店街の入り口にそっくり。
 これぞまさに世界初のアーケードであり、1861年から1878年までイタリア王として統治し、1870年に統一を果たしたヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(サルデーニャ王、1820年〜1878年)を讃えるために創られたもの。1877年に完成した。
 1870年は日本では明治2年である。
 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の息子で2代国王ウンベルト1世がナポリにガッレリアを建てたのは1890年だ。
 この年の日本は前年に大日本帝国憲法が制定され、天皇を頂点とした立憲君主制国家として出発した年である。
 偉大なお父さんに比べてウンベルト1世は人気のない国王で、1度の暗殺未遂の後、1900年ついに暗殺される。同年、ローマのパンテオンに葬られた。
 いかにもキリスト教国家らしく、アーケードは十字形に構成されている。
 中央の見事なタイルはサヴォイア家の紋章。トリノ、フィレンツェ、ローマの各都市を示しているという。
 アーケードというからにはもちろんショッピング街なわけで、マクドナルドを始め(?)ルイ・ヴィトン、プラダなど、世界的に有名な高級ブランド・ショップが軒を連ねている。上の階もオフィスとして貸し出されているそうだ。
 真ん中には大きなクリスマスツリーが飾られ、買い物客で大変にぎわっていた。
 さらに、物々しく武装した警官もお喋りしながら周囲を睨み据えている。
 とにかくイタリア人はお喋り好きだ。というか、勤務中の私語を悪いとか怠慢だとか考えないお国柄なので、お巡りさんだろうと空港の入国審査官だろうと、それはそれはひっきりなしにお喋りしている。
 仕事をしながらお喋りをしているんじゃなくて、お喋りの傍ら仕事をしている。美術館や宮殿の監視員も、お喋りのついでにちょっとだけ監視もしているんである。
 だからアーケードの警官たちももちろん警戒が主目的ではなくて、お喋りしに来ているに違いない。そう、お喋りのついでにテロが起きないか見ているだけ。
 でも、老婦人が警官になにかものを尋ねている時の、一人の警官の態度は非常に好印象に残った。耳を傾けているときの微笑がとても紳士的で好意的で、老婦人に敬意を払っている様子が滲み出ていた。
 彼はとてもイケメンで、わたしの目は思わず「はぁと」に。
 イタリアの好青年はやっぱりこうでなくっちゃ。相手が老婆であろうとなんだろうと、女性には常に紳士的に、親切に。いいねいいねー。
 おっと、いかんいかん。話が思い切り脱線してしまった。
 ところで、イタリアが統一されたことを世界に向けて宣言するために、ドームの下にはヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアを象徴する絵が描かれているという。左の写真はヨーロッパ大陸を描いたもの。
 入り口のところはなんだか日本の商店街と変わらないようなのだが、ガラス張りの天井の高さ、緻密さ、建物の細工の美しさなどは目もくらむほど。日本のアーケードが裸足で逃げ出す素晴らしさだ。
 このアーケードを創った建築家のメンゴーニは設計から12年の歳月をかけ、いよいよ明日お披露目式だという前の晩に、足場から落ちて亡くなってしまったという。
 ガイドさんから聞いたときには笑ってしまったが、とてもかわいそうなお話だ。 
 →ナポリの「ウンベルト一世アーケード」はこちら
 
ドゥオーモ
 アーケードを出て、露天が立ち並ぶ一角を抜け、ずんずん歩く。
 わたしたちのガイドさんはやけに足が速い。なんでも労働者のストライキが予定されているとかで、渋滞するのを警戒しているらしい。少しでも早め早めに動いておかないとお昼の予定がずれ込んだり、2時に予約を入れてある「最後の晩餐」の鑑賞に遅れてしまうという危険があった。
 だが、それにしたって早い。
 あら素敵な露天・・・と思っても立ち寄ることもできない。まあ、これがパックツアーの宿命なのだけれど。
 で、ずんずん歩いた先に見えたもの、それはイタリアのゴシック建築の最高傑作、ドゥオーモであった。
 NHKの「どーもくん」じゃないよ。
 ゴシック建築を見るのが大好きなわたしは大感激。
 それにしても、なんじゃ、あの目障りな看板わっ。
 実は、ドゥオーモはただいまお化粧中。
 長年風雨にさらされ黒ずんでしまった外観を元の白い姿に戻すべく、クリーニングを施しているという。とにかくイタリア中どこの文化遺産行ったって、改修だの修復だので足場が掛かっていたり、堀りくり返されていたりといった光景が多い。きっとイタリア人って奴ぁ、突貫工事ができないんだろう。
 そのために美しいドゥオーモは広告まで入った工事壁に覆われ、見るも無惨な姿だった。
 このドゥオーモ、着工は1386年。ミラノ公ジャン・ガレアッツァ・ヴィスコンティの命により建設が始まり、完成までおよそ500年もの歳月が費やされた。
 奥行きは158m、幅93m、容積は1万1700平方メートル。世界で3番目に大きな教会建築である。ちなみに1番目は5日目に訪れるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂、2番目はスペインにある聖堂だとのこと。
 建物の外には2245体の聖者像と135本の小尖塔で装飾されている。
 もっとも高い中央の尖塔は高さ108.5m、頂には黄金のマリア像がそびえ立っている。
 内部に入る。フラッシュを焚かなければ撮影はOKだが、信者がお祈りしている近くであまりバチバチと撮らないようにという注意を受けた。
 内部は2万人が収容できるそうで、ヴェルサーチのお葬式はここで行われたという。
 この教会はとにかく祭壇の造りが見事。完成まで500年もかかってはいるが、祭壇あたりだけは最初に仕上げ、宗教儀式を執りおこないつつ工事を進めてきたという。
 祭壇の後ろには3つの巨大なステンドグラスがあり、左が旧約聖書を、右が新約聖書を、そして中央が黙示録をモチーフに描かれている。
 昔の人々、特に一般庶民には読み書きのできない人が多かった。下々にまで聖書の教えを行き渡らせるため、ステンドグラスは大きな役割を果たしていた。
 祭壇の頭上、天井近くにはキリストが磔にされた十字架が下がっており、その真上にある屋根が黄金のマリア像を頂く尖塔となっている。
 最初の画像にも小さく映っているが、これが黄金のマリア像。
 この真下に祭壇がある。
 新約聖書を描いたステンドグラス。
 のちにミラノに侵攻してきたナポレオンは、この大聖堂で戴冠式を執りおこなった。そのときぶっ放した祝砲の振動のせいで右側のステンドグラスが破れてしまったんだそうだ。
 ドゥオーモの横側から外に出て、裏側から建物を見上げる。
 こちら側はお化粧直しが完了しており、白大理石本来の白くまばゆい姿を取り戻していた。
 お化粧前と完了後の部分とを見比べてみると、段違いの美しさである。
 で、画像右端がその、ナポレオンのせいで壊れてしまったステンドグラスだ。
 もちろん昔のガラスはもろく壊れやすかったのだろうけど、これを目撃していた司教様はさぞかし肝をつぶしたことだろう。
 それにしたってナポレオンって奴は、この他にもイタリアの各都市で様々な爪痕を残していっている。人の悪口はあまり言いたくないが、成り上がり者なので素晴らしい美術品など見ると、持って帰りたくなるらしい。
 機会があればこの後も、レポレオンの逸話を紹介していきたいと思う。
 また念のために書き添えておくが、この時のイタリアはまだ統一されておらず、ミラノはオーストリアの統治下にあった。
 それをナポレオンが一掃してフランスの統治下に置いたのであるが、とりわけ彼が救世主として歓迎されたという話は聞かない。むしろ、イタリア人はフランス人が大嫌いなのだそうで、それは確実にナポレオンのせいでもある。
 尖塔のてっぺんには聖人の彫像がそびえ立っている。
 このような天にそびえる尖塔を用いた建築様式は、ゴシック建築の最大の特徴といえる。
 このあとわたしたちはヴェネツィア、ローマへと南下していくわけであるが、そちらで再びこの様式を見ることはない。北ヨーロッパ特有の形式なのだそうだ。
 また、ゴシックとは「ゴート人の」を意味する言葉である。ルネッサンス期の建築家らが中世の建築や美術を粗野で野蛮なものと見なし、蔑称として用いられた。
 ゴート人はゲルマン民族の一派で、ドイツ平原の古い民族である。 
 376年、フン族に押されてゴート族が南下しローマ帝国領を脅かしたことがきっかけとなり、5世紀にかけてゲルマン民族の大移動が始まったとされる。
 ガイドさんによると、フランス、スペイン、北イタリアの人々のご先祖となった民族だそうだ。
 さて、これでドゥオーモ見学は終了。
 工事のため外観が覆われているという情報を得ていたので大して期待していなかったのだが、なかなかどうして美しく迫力のある姿を楽しむことができた。
 工事といっても一部分だけだし、正面は確かに覆われていたものの、裏側の姿も負けず劣らず壮大で美しかった。
 しばし記念撮影タイムがとられ、新婚さんたちが代わる代わるカップルでの写真をカメラに納めていた。
 そして、再びずんずん歩くガイドさんに率いられ、ミラノの街中を横切ってバスに向かう。
 ふと振り返ると、近代的なビルの合間にドゥオーモの壮大華麗な姿がまだ見えている。
 ミラノは近代的な都市なので見所は少ないと聞いていたが、確かにどこもかしこも中世の建物で埋め尽くされているという感じではない。
 ガイドブックを見ても、先ほど見学したスフォルツェスコ城とガレッリア、そしてこれから訪れるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を見たら、もう観光完了である。あといくつかの美術館・博物館が載っているだけでミラノのページは終わっている。
 その中にあってドゥオーモはまさにナンバーワンの大聖堂なのであった。


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