4日目Prat2 マテーラ観光 |
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アルベロベッロのトゥルッリ・レストランで昼食を食べてバスに乗り、約67キロの移動となった。
約1時間後、マテーラという街に到着。マテーラはバジリカータ州・マテーラ県の県都である。
改修中らしいスペイン風のお城がある駐車場でバスを降り、長い坂道を下って、てくてくと歩いて洞窟住居群に向かう。 |
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綺麗なマテーラの街を徒歩で進むと、教会が見えてきた。その向こうが、洞窟風住居群「サッシ」の街である。 |
サッシ群 |
展望台から一望したサッシ群。行ったことないけど、トルコのカッパドキアを連想させる風景が広がっている。
サッシとはイタリア語でサッソ「岩・岩石」の意味の複数形である。グラヴィーナ渓谷の斜面に張りつくような形で、岩山を掘りぬいて造った住居群。街全体が一つの山だ。地中海最大のサッシ群であり、1993年世界文化遺産に指定された。サッシと言っても、トステムではないよ。
起源は8〜9世紀頃と言われ、イスラム教などからの迫害から逃れてきた僧などがこの地に隠れ住んだのが始まりとされている。
このあたりは旧市街と呼ばれ、60年くらい前までは住人がいたが、みんな都市やアメリカに移り住んでしまい、廃墟と化した時期もあったようだ。水道も電気もガスもないんだから、無理もないわね。
その後、世界遺産に指定されたこともあり、観光地化に伴って住人を呼び戻そうとしているという。
渓谷をはさんだ反対側に穴を掘っただけの洞窟住居跡も見られ、旧石器時代の住みかだったと言われる。右の画像の、丘の下にポツポツ開いている穴がそうである。 |
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当時の生活ぶりを再現した住居跡。有料である。
おもてには順番待ちの団体が3グループほど入れ替えを待っていた。どうして一斉に入れないかというと、案内の音声テープが入ってきた観光客の言葉で流されるため、客を順番に入れ替えているのだ。
中はとても狭い。これで両親と子どもたちだけでなく、なんと家畜まで同居していたと言うから驚く。
ワラを積んだベッドは朝になるとテーブルになったという。おまけに、その下では鶏まで飼われていた。なるほど、異常に足の高いベッドだと思ったら、そのせいなのか。タンスの引き出しも子どものベッドとして使っていたというから、徹底したスペースの有効利用だ。
が、人畜同居ではひどい悪臭が漂っていただろうし、伝染病の発生なども多かったのではないだろうか。
水道の設備はないから、雨水を地下の貯水穴に溜めるシステムになっている。 |
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大きな岩の上に十字架が見える。とてもそうは見えないが、これでもサンタマリア・デ・イドリス教会という教会だそうだ。
迫害から逃れるため、外からキリスト教の教会だとわからないように造ったと言われている。だけど十字架があったら意味ないよね。(あとから取り付けたのかな)
実はイドリスとサンジョバンニという2つの教会が合体してできているそうだ。内部にはビザンチン様式のフレスコ画が残っている。 |
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反対側から見たサンタマリア・デ・イドリス教会。下のほうにちゃんとドアがある。
さらに下方に位置するのはサン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会。 |
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| 同じくサン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会を近くで見たところ。 |
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| サッシを見下ろす高台に建つドゥオモ(大聖堂)。13世紀に建てられた「プーリア・ロマネスク様式」の教会である。 |
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1230年創建、1670年に再建されたサン・フランチェスコ・ダッシジ教会はバロック様式の装飾が美しい。 |
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旧市街の上部住居で、道路の上に堂々干された洗濯物に遭遇。
住宅と住宅の間にヒモを渡し、滑車で洗濯物を送っているという。日本ではなかなかお目にかかれない光景だ。 キリストの「受難」を描いたメル・ギブソン監督映画「パッション」のワンシーン、キリストが十字架に張りつけになるシーンはここマテーラで撮影されたそうだ。他にも映画のシーンに登場したり、アニメ「天空の城ラピュタ」のイメージはここから得られたという話もある。 |
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サッソ・カヴェオーソ地区に建っていた由緒ありげな建物。現在は音楽学校として使われているそうだ。
玄関前には、見張りなのか、サングラスの兄さんが睨みをきかせていた。
シメントリーな造りなのだが、時計が左右一対でないのはちょっと不思議。時計は2つもいらないはずだから、剥げた箇所には何が埋まっていたのかとっても気になる。 |
バーリ |
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再びバスに乗り、約75キロを旅して到着したのは、プーリア州の州都であるバーリ。南イタリア有数の都市だ。
これまでド田舎ばかり巡ってきたので、居並ぶ商店の数々にサユちゃんとわたしの目は爛々と輝き出す。だが、残念。またもやお買い物はできないのだった。
今夜はこのレストランでディナーである。 |
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さすがに大都市のレストランだけあって、けっこう美味しかった。上は前菜で、モッツァレラ・チーズを揚げたのや、コロッケみたいのの取り合せ。白いのもモッツァレラ・チーズだ。
左はムール貝のトマト味スパゲッティ。ロングパスタは久しぶりだったので、嬉しかった。
その下は、リゾットかパエリアのようなご飯。
イタリアはパンが主食なので、お米は単に野菜の一種として捉えられている。だから、前菜と主食の付け合わせとして、米を使った料理が連続して出てくることもある。
このご飯料理、ズッキーニやジャガイモなどと一緒に調理されていて、とっても美味しかった。 |
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大都会、バーリの街並み。ナポリよりずっと都会な印象を受けた。
右は駐車違反の警告書かなにかのようなものをワイパーにはさんでいるお巡りさん。
イタリアはどこでも駐車違反天国。少しでもスペースがあると、ぎっちりと停めてしまう。 |
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ギリシャへ〜フェリーでの船旅 |
夕食が終わると、買い物などの余裕は一切なしでフェリーに乗ることになった。
出発時間は午後8時。現地ガイドさんは「このまま では間に合わない」と焦り気味だ。ゆったりとした体格の典型的なイタリア女性だが、そういう人でも焦ることがあるんだなぁ。
トイレから戻らないツアー客を待つため添乗員さんがレストランに残り、わたしたちはガイドさんの引率で街を小走りに急いだ。
バスが待つポイントに到着、あとから添乗員さんたちもバスに乗りこんできて、出発した。
バスは港に入り、フェリーの前に横付けしてくれた。カーゴスペースからスーツケースを取り出し、自分で持ってフェリーに乗りこむ。ここでバスとはお別れ。もちろんイタリアとも。
さて、わたしたちが乗りこんだフェリーはギリシャのBlue Star社の「Blue Horizon」という船である。会社のロゴマークは、「横浜ベイスターズ」のキャラクター「ホッシーくん」にそっくりだ。 |
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日に日に重みを増していくスーツケースをエスカレータに乗せ、ぜいぜい言いながらロビーに辿り着く。
さすが、海運大国ギリシャだ。フェリーのこの大きさはタダモノではない。ロビーだって、この広さ。左側の方に座ってくつろぐツアーのツアーのお仲間が写っているが、さらにこの左側にも広いレストランがあるのだ。昨年乗った「大洗-苫小牧間」の商船三井フェリーがとんでもなくみみっちいものに感じられた。 |
それにしても、チェックインのときに見せた乗務員の手際の悪さといったら、もう意味不明。ロビーのテーブルの上に乗船券と部屋番号を記したカードキーを並べ、神経衰弱でもやってるのかと思うくらい根を詰めて作業をしている。
あまりに要領が悪いので、たまりかねた添乗員さんが手を貸そうとすると、手を出すなと言う。どうやらツアー客の部屋リストとカードキーを照合して並べ替えているらしい。添乗員さんはチーフらしい乗務員を呼んでなにか言うが、彼は妙にキザな振る舞いでわたしたちを笑わせてくれるものの、作業はモタモタした部下に任せっきりで、手を出さない。30分ほど待たされた挙げ句、ようやくカードキーがわたしたちの手に入った。
部屋は2階にあるので、乗務員が案内してくれるという。だが、エレベータがない。こ、この階段を登れってか? この超重いスーツケース持って? わたしは悲鳴にも近い声で、「エレベータは!?」と訊いていた。だが、乗務員さんは「ない」の一言。しかも、サユちゃんの方を手伝って、わたしの方はサポートなし。うーん、こういうときは、非力そうに見えた方が得だよね。 |
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ひーひー言いながら階段を登り、部屋に入る。部屋が狭いのでスーツケースは預けた方がいいと添乗員さんに言われ、下の収納庫に預けた人が多かったのだが、部屋は広かった。持ち込んで正解。(階段はしんどかったけど)
荷物を置くと、イタリアに最後の別れを告げようと最後尾のデッキに出た。
風が吹いてかなり寒いが、皆さん平気な様子でお茶している。イタリア人かギリシャ人かわからないが、若者のグループが多い。 |
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遠ざかるバーリの夜景。
「さらば〜イタリア〜♪ また逢う日まで〜♪」と感傷に浸っていると、「寒いから中に入ろ」とサユちゃんが促す。もうっ、ムードないんだからぁ。でも、わたしも寒いからそれにハイハイと従う。
疲れていたが、このまま部屋で寝てしまうのももったいない。
化粧品や香水、衣類など揃えた店を覗いたが欲しいものがなかったので、コーヒー飲んでいこうということになった。
上の方で紹介したロビーの青い椅子に座って、注文聞きがくるのを待つ。が、来ない。自分で買ってくるのかな? と思い、レストランに入って乗務員さんに「A
cup of cappuccino, please」と言ってみた。するとお兄さん、「あっちのカフェで注文するんだよ」と英語で教えてくれた。そこでわたしたちは席を変え、カフェに移動した。ここでようやくカプチーノとカフェラテを注文し、飲むことができた。 |
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それにしても驚いたのは、この寒空の下、デッキで野宿している人がいることだ。
2階の廊下にある長椅子でも寝袋で寝ている人がいたが、おそらく個室ではなく一番安い席で乗船した客なのだろう。すごい根性である。 ところで、このフェリーが出発した瞬間から、ここはギリシャ時間となる。イタリアとギリシャは1時間の時差があり、日本とは6時間の時差。だから時計を1時間進め、調節するのだ。これで日本にも1時間近づくことになる。 |
フェリーの部屋を写真に撮るのを忘れてしまったが、ホテル並みに広い、よい部屋だった。小さいが、ちゃんとシャワーも付いている。苫小牧行きのフェリーでは一等だったのにトイレも付いていなかった。
シャワーに入って、就寝。だが、エンジンのかすかな衝撃が「ゴン、ゴン、ゴン、ゴン・・・」と下から突き上げてきて、わたしにしては珍しくなかなか眠りに就けない。
この音と衝撃、しばらくすると遠ざかるのだが、またちょっとすると真下から突き上げてくる。それさえなければ、苫小牧行きのフェリーのような揺れ方をすることはまったくなく、とても快適な船旅だったと言えよう。 |