2日目 ナポリ観光 |
 |
翌朝。空は真っ青で、雲ひとつない好天気。実に観光日和である。
この「ホリデイ・イン・ナポリ」は新市街地のいわゆるビジネス街に位置し、周辺にめぼしいものはなにもない。隣りに土産物屋さんでもあればよいのだが、本当になにもない。
正面玄関前の道路は殺風景で、その向こうは高架になっている。ナポリは治安が悪いと聞かされてきたので、とてもじゃないが夜間の出歩きをする勇気も出てこない雰囲気だ。
もっとも昨夜は長いフライトで疲れ果て、シャワーを浴びて荷物の整理をしたあとは、ばたんとベッドに潜りこんであっという間に眠ってしまった。
普段はわりと寝付きの悪い方なのだが、サユちゃんがシャワーに入っている音を子守歌代わりに入眠、シャワーから出たサユちゃんが隣でゴソゴソしていたのにも気づかない爆睡状態だった。 |
 |
朝ご飯を食べるため集合場所のロビーに降りると、皆さんすでに席について食べ始めている。添乗員のK氏がロビーで待っていてくれ、座る席を案内してくれる。
レストランは1階から吹き抜けになった2階部分で、食事はコンチネンタル・スタイル。つまりパン、チーズ、スクランブルエッグ、ベーコンなどを自分で取ってきて食べる、いわゆるバイキング方式である。最後の宿泊まで終始変わらずこのスタイルで、あとから思えばこのホテルのスクランブルエッグがいちばん美味しかった。
ちなみに、イタリア人は朝ご飯をあまり食べない習慣なのだそうだ。イタリアの食生活については別ページで詳しく述べる予定なので詳細は省くが、簡単にコーヒーだけで済ませる場合が多い。
日本のいいホテルになると、洋食のみならず、和食のバイキングもあったりする。暖かいご飯や味噌汁、焼きシャケ、海苔や納豆まで用意されている。パンをトーストするための器具まで置いてあったりして、自分で食パンをこんがり焼いて食べることもできる。なんとも至れり尽くせり。
が、朝ご飯を食べる習性のないイタリアのホテルでは、外国人客のためにいちおうの食事は用意してくれるが、パンを暖めるということはしない。
お陰で冷たいパンをぼそぼそと噛みしめることになる。そこでバターを塗りたくって少しでもクリーミーにしようと努力するのだが、冷たいパンに塗ってもあまり美味しくないものだ。とにかく、あったかいパンが食べたい。 |
 |
 |
 |
 |
さて、迎えのバスに乗り込み、いよいよナポリ観光に出発。
長い歴史を持ち、また石の文化でもあったイタリアには、古い建築物が至るところに残っている。火事で簡単に消失してしまう日本の建築物とは大きな違いだ。街の各所にこうした砦やら見張塔やら、教会やらが残っている。その多くが手入れされずに放置されているような状態なのは、とても残念だ。 |
ウンベルト一世アーケード |
 |
バスは「ウンベルト一世アーケード」の前で停まった。
ナポリでは治安の悪さからバスを降りての観光はあまり行われないのだが、時間に余裕があったため現地ガイドの提案で急遽歩いての観光が行われることになったのだという。
歩いて大丈夫なのかい? と最初は思ったが、どうやら大丈夫らしい。現地の女の子たちも、カフェで普通にお茶している。
夜間ふらふら出歩いたり、危ない地域に足を踏み入れたりしなければ、おおむね安全らしい。
またこのナポリの歴史地区が1995年に世界遺産に指定されて以来、少しずつ観光の街へと変化して治安も安定しつつあるという話もあるようだ。
この「ウンベルト一世アーケード(Galleria UmbertoT)」はイタリアの第二代国王ウンベルト一世(在位1878年〜
1900年)が1890年、ミラノのガッレリアを模して建てたもので、内部はショッピング・アーケードになっている。中は吹き抜けで天井部分まで50mはありそう。ガラスの天窓が素晴らしく美しい。
内部の至るところに施された彫刻には、すべて金箔が貼られていたという。天井のガラスから注がれた陽光が反射して、さぞかし美しかったことだろう。
これだけの規模の建物を115年も前に建てたのだから、本当に凄い文化と技術だ。その頃の日本は明治維新から22年、伊藤博文の時代。ちょっと前まで江戸時代で、お城以外の建物といえばせいぜい木造2階建て止まりだった。ガラス張りのドームなんて、想像もできなかっただろう。
そもそも2500年もの昔に古代ローマ帝国を築き、裁判所、競技場、上・下水道、入浴施設まである遺跡を残したイタリアである。
現代ではシエスタなんていう習慣を持ってお気楽に暮らしているかに見えるイタリア人だが、文明の底力は格段に違うとつくづく感じた。 |
 |
 |
 |
 |
床のモザイクも美しく、羅針盤をかたどった先は、ちゃんと東西南北を示している。
野犬の溜まり場で、いろんな犬種がミックスされたワンちゃんたちがモザイクの上で寝ころがったり、観光客にエサをねだったりしていた。
とにかく野犬が多いとは聞いていたが、本当に街や遺跡にあちこちにいる。
ビーグルとラブが混じったようなのとか、シェパードもどきとか。でもみんな可愛い。
栄養状態もそう悪くもなく、ちょっと皮膚病だったりする点を除けば、あまり哀れな印象はない。観光客や住民が餌をあげたりしているのだろうか。 |
 |
時間が早かったためか、アーケード内の店はみな閉まっていた。が、端っこの方で開いていたカフェのお菓子がツアー客らの目を引き、ちょっとだけコーヒータイムとなった。
ここで初めてユーロを出し、最初のお買い物。添乗員さんに「これください」「いくら?」と言ってもらって、おずおずとケーキを購入した。 |
 |
わたしが購入したサバランと思われる菓子。ブランデーを染みこませてあるスポンジ菓子で、とっても甘かった。一緒にコーヒーも欲しかった。
生地もちょっとパサパサしていて、日本の美味しいサバランよりは劣るかな。 |
 |
| 続けてサユちゃんが買ったティラミスのジェラート。一口分けてもらったが、これもかなり甘い。でも、こちらはわりと美味しかった。 |
 |
席に着いてケーキを写真に撮っていると、隣の席の女の子たちが「どうして写真に撮るの?」と英語で訊いてきた。
食べ物を撮影するなんて、イタリア人には不思議なことなんだろうか。わたしが「記念になるから」と英語で答えると、「ほぉ〜」というようにうなずいていた。 |
 |
 |
サン・カルロ歌劇場の前から撮影した「ウンベルト一世アーケード」。
右側に見える建物がイタリア3大劇場のひとつ、サン・カルロ歌劇場。現在改修中で、ネットが張られている。ネットの向こう側は外壁を覆う絵のパネル。実は劇場の姿をそのまま描いた絵を貼付けて、外観をよくしているのだ。
手前には警察官が3人映っている。 |
「ウンベルト一世アーケード」を出てサン・カルロ歌劇場前広場方面へと歩きながら、街角で記念撮影。・・・していたら、後ろにいたイタリア人観光客がカメラに向かって「はいポーズ」していた。
そんなことも知らずににっこり笑ってカメラに収まったわたしに、おじさんが「お金ちょうだい」というように手を差しだしたという。わたしはそれにも気づかず、道路を横切ってツアーの仲間に合流した。 |
 |
| 後からおじさんがそんなことをしていたと聞かされ、爆笑した。目撃者によると、どうも「出演料ちょうだい」という冗談交じりのジェスチャーだったらしい。なんて、おちゃっぴぃなおじさん。(というか、お馬鹿) |
 |
イタリアとギリシャでは添乗員が観光地でガイドを務めることは禁止されており、現地ガイドを雇わなければならない決まりがある。
ここナポリの現地ガイドは、イタリアの伊達男(?)風のこの方。イタリアの男は女性にすぐ声をかけてくるとは聞いていたが、この人も例外ではなかった。
わたしの顔をまじまじと見つめ、「ベッロー」と囁く。わたしは「は?ベッロってなに???」てなもんである。 |
後で訊くところによると、「ベッロ」とは「美しい」という意味。ちなみに後日訪問予定のアルベロベッロという地名は「美しい樫の森」という意味だ。
てへっ、「美しい」って言われちゃったよ。でもまぁ、イタリア男の言うことだから、話半分にしときましょ。 |
ここはナポリ最古といわれるカフェ。イタリアではコーヒーやお酒を飲むお店のことを「BAR(バール)」と呼び、どんな田舎の小さな街でも必ずと言っていいほど存在する。
背広を着、ちゃんとタイを締めたおじさんが新聞を読みながら長いこと過ごしたり、友人同士が熱く議論していたりする光景は、至るところで見られた。 |
 |
ナポリ王宮〜サンタルチア地区 |
 |
ナポリの王宮。17世紀のスペイン治政下に造られ、18世紀からはナポリ王が居住した。正面側にはノルマンのロジャー王からヴィットリオ・エマヌエーレ2世まで8人のナポリ王の立像が納められている。
建物内は現在、博物館となっており、18〜19世紀の家具や美術品が展示されている。
残念ながら、わたしたちは時間がなくて入れなかった。
丘の上に見えるのはサンテルモ城。 |
 |
これが、その歴代ナポリ王像。それぞれみんな姿が違い、特徴が出ている。
下の画像左側はわたしが最も気に入った、男らしく精悍な王様の立像。なんという名前までかは不明。右側はロン毛が素敵な17〜18世紀風の王様。 |
 |
 |
| 反対側(ナポリ湾側)から見た王宮。なんと部屋が1200もあるのだそうだ。いや〜、、、掃除が大変そう。 |
 |
| 1846年に完成したサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂。2千年も前にハドリアヌス帝が建てたローマのパンテオンを模しているのだそうだ。現在はイベントなどに使われているとのこと。 |
 |
 |
ナポリ湾から臨むベスビオ火山。ここから20キロほどの距離に位置し、あのポンペイの街を飲みこんだ火山として有名である。 |
 |
海に向かって建つ、ローマ人風の銅像。誰だかわからないのに撮影してしまい、あとで悩む。
後にカプリ島行きのフェリーで知り合ったナポリ人に画像を見せて訊いたが、彼女も誰だか知らなかったようだ。少なくともジュリアス・シーザーではなかったみたい。てっきりシーザーだと思って撮ったのに・・・。 |
立派なホテルが建ち並ぶサンタルチア地区。
カンツォーネの「サンタルチア」は、かつて漁村だった1848年に謳われたものである。
歌詞は、「輝く海の上に銀の星があり/波は穏やかで、風は順風に吹く/私の小舟よ、軽快に行こう/聖ルチアへ!聖ルチアへ!」というもの。
ちなみに聖ルチアは、ローマ皇帝による弾圧により殉教した、3世紀後半のキリスト教の聖人のこと。 |
 |
港から盛り上がった丘にかけて居並ぶ建物の美しさは、絶景と呼ぶにふさわしい景観だった。これが「ナポリを見てから死ね」ということかぁ。と、しみじみ想う。
ツアーのお仲間が、「これで死ねるね」とポツリつぶやいた。年配の方だったから、その言葉が妙に真に迫る。いやいや、まだまだですってば。思わず、フォローしてしまった。 |
 |
これはフェリーから見たナポリの光景。蒼い空と蒼い海にこそ、この街並みが映えるのかもしれない。この南イタリアから有名なカンツォーネが次々生まれてくるのも、わかる気がする光景ではないか。
ちなみに、わたしが学校などで習ったカンツォーネは「帰れソレントへ」「サンタルチア」「フニクリ・フニクラ」(「鬼のパンツはよいパンツ〜強いぞ〜」の替え歌で知られる曲)だが、いずれもイタリアを代表するカンツォーネである。 |
 |
 |
湾に突きでた格好で建てられた「卵城(Castel dell'Ovo)」。12世紀にノルマン人が建てた要塞だそうだ。上から見たら卵の格好をしているからこの名が付いたとか、城の基礎に埋め込まれた卵が壊れると同時に町も城も滅びるという伝説に由来するなどと聞いた。実は「ナポリを見てから死ね」という言葉は、この城から見た景色のことを言ったとか、言わなかったとか。 |
 |
卵城からほど近いところに建つヌオーヴォ城(Castel Nuovo)。
「新しい城」の名がついたこの城は、フランス・アンジュー家のシャルルTが13世紀後半に建てたもの。15世紀にスペイン・アンゴラ家のアルフォンソ1世が改修・再建して住んだ。いかにも中世の城らしい王家の居城である。
正面から見学できたら素晴らしかったはずだが、行けなかった。港側からだとバス停の屋根が邪魔で、景観が台無し。
アラゴン家のアルフォンソTが建立した凱旋門は、浮き彫りが見事だそうだ。見たかった。 |
このナポリで生まれて初めて世界遺産をこの目で見ることができた。さすがは歴史遺産の宝庫、イタリアだ。ナポリはあまり期待してなかったし、歩いての観光がないと思っていたので、けっこう堪能できた。
次に、ナポリ港から出ている高速船に乗ってカプリ島へ渡る。
さあ「青の洞窟」に入れるかな? |
 |