8日目Prat2 エーゲ海一日クルーズ その2
イドラ島から船に戻り、再び出港。そして、そのままレストランに案内され、わたしたち日本人観光客はまとめて昼食タイムとなった。
味はまずまずのものだった。お肉は相変わらず硬い。パイのようなオードブルやオリーブなどは美味しかった。それに、またもや動物臭いチーズが出てきて、「チーズ嫌いな人は困るだろうな」と思いつつ全部平らげてしまった。
食事が済むと、階段を挟んで反対側のラウンジに移動してしばし休養をとることにした。
するとまたショーが始まり、エルビス・プレスリーのそっくりさんがパフォーマンスを披露。年配のヨーロッパ系のおじさん・おばさんは、やんややんやの大喝采である。
次にギリシャの民族衣装を着た男女が登場、軽やかに民族舞踊を踊る。ひととおり踊りを披露すると、今度はギャラリーの中から数人を選んで舞台に上げた。カップルが腕をクルクルひねりながら回転して躍るようなダンスや、女性を担ぎ上げてクルクル回るダンスなどをギャラリーにやらせたりして、これも拍手喝采を浴びていた。
エギラ島
最後に訪れる島は、エギラ島。ここの滞在時間は2時間と長く、オプションツアーも設定されている。バスに乗って主要な観光スポットを見学し、ピスタチオを買ったりするという。料金は確か15ユーロほどだったと思う。
船のガイドさんの話では、土曜日の午後はお店が軒並み閉まって開いてないようなことを言っていたので、それならばと、わたしたちの一行はほぼ全組参加することになった。お店が開いてないのに観光もせずに2時間は過ごせないと思ったからだ。
ここエギラ島は古代には強大なポリスとして栄え、1827年にはギリシャ独立戦争後の最初の首都が置かれたこともある。サロニコス諸島で最多の人口(1万2千人)を持つ島で、ピスタチオの産地として名高い。
船が到着したエギナ・タウンからバスに乗り、約12キロ、丘の上にあるアフェア神殿に到着した。アフェア女神(見えざる女神)を祭るために建造され、紀元前480年頃に完成した。アテネのパルテノン神殿やスニオン岬のポセイドン神殿より古い時代の神殿だが、ギリシャの神殿の中で最も保存状態の良い神殿のひとつである。
ここに祭られているアフェア女神は、彼女の美貌に魅惑されたクレタ島の王ミノスから逃れるためエギナに流れ着く。だが、この地でも多くの男性から言い寄られ、アルテミス女神の助けを求め、姿を見えなくしてもらったと言われている。
パルテノン神殿に比べると規模は小さいが、完成度はずっと高い。
またバスに乗り、ピスタチオを売っているお店に到着。珍しいピスタチオのアイスがあるというので食べてみたが、けっこう美味しかった。
上に乗ってるクリームは別として、アイスそのものは甘さを抑え、ピスタチオの味をひきたてていた。

最後の観光スポット、アギオス・ネクタリオス修道院に到着した。
聖ネクタリオスを祭っているビザンチン様式の教会と修道院である。
この修道院で22年間修道生活を送った聖ネクタリオスは、1920年に亡くなり、1961年、正式にギリシャ正教の聖人に加えられた。
歩けなかった少年に触れて治癒を施したことで治癒の聖人として崇められ、彼の祝日には国内から何千人もの信者が奇跡を願って訪れるという。
1980年代に建築工事が始まり、ギリシャ正教の総本山・イスタンブールの「アヤ・ソフィア教会」とほぼ同じ造りになっているそうだ。
現在でも工事は進行中で、聖堂内には足場が組まれ、壁画も描かれている最中だった。
内部は撮影禁止でなかったため、美しいイコンやフレスコ画などを存分にカメラに収めることができた。ギリシャ正教の祭壇にキリストやマリアの像はなく、派手さはないが、荘厳にして優美。しみじみと美しい祭壇だと思う。
このギリシャ正教の祭壇がユニークなのは、本当に神聖な主祭壇はカーテンやイコンで仕切って見せないこと。赤いカーテンの向こうが主祭壇になり、一般人は立ち入り不可。でも、わずかな隙間から中を覗くことはできる。

右は、キリストの天井画。下は聖ネクタリオスが死去した模様を描いた天井画である。

祭壇の右奥の部屋に安置された、銀の棺おけ。聖ネクタリオスの右手の遺骨が納められており、それに触れると健康が保たれると言われている。わたしもしっかり触ってきたが、帰国から3週間後の現在、風邪をひいてしまった。ネクタリオスの聖なる効力もたった3週間で期限切れだったのだろうか。
エギラ島での観光を終え、エギラ・タウンに戻った。土曜日の午後にはあらかた閉まってしまうと言っていたお店は、ほとんど開いているようだ。
船の中でツアーのお仲間と合流し、エギラ島観光に参加しなかったご夫婦に何をしていたのか伺うと、お店でお買い物をしたりカフェで過ごしたと言う。またダマサレタ! アフェア神殿や聖ネクタリオス修道院などの見学は有意義ではあったが、やっぱりすっきりこない。
「ほとんど閉まる」というあの言葉は、なんだったのか。こういうあくどい勧誘方法はやめてもらいたいものだ。
再びアテネへ
船内とイドラ島の「フォリフォリ」ショップの店員といい、ガイドといい、どうにも後味の悪い「エーゲ海一日クルーズ」だったが、ギリシャで日本的な誠実さや丁寧な接客を求めるのは間違っているのかもしれない。それにしても、客を金づるとしか思っていないような態度に、多少の憤りを感じざるを得ない。
ともあれ、憧れのエーゲ海を航行できたのは、いい想い出だ。また機会があればサントリーニ島やクレタ島など、別の島々を訪れてみたいと思う。
港には、ギリシャに到着して以来ずっと使用していたバスとは違うバスが迎えにやってきていた。ドライバーさんも新しい人で、アルテミスという名前。
アルテミスとは月と狩猟の女神の名だが、もちろんこのドライバーさんは男性。すごい名前をつけたものだと思うが、ここギリシャでは一般的なのだろうか。
バスに乗って、アテネ市街地へと戻っていく。途中、こんな光景を目撃した。
廃屋となったビルの中で火が燃やされ、5〜6人の子どもたちがマットレスの上で跳ねたりして遊んでいた。火を焚いているのは老人のように見える。その向かい側にもう少し若い男性が座っている。ジプシーかホームレスだろうか。肌の色が黒いように見えたが、一瞬のことでよくわからなかった。
夕食は中華料理だった。
ギリシャに来ているのに、どうして中華なの?と思ったが、ツアーのお仲間の一人が「こういうツアーだと1回は中華が入るわよね」とおっしゃっていた。そうか、と思い、綺麗なレストランだったので、ちょっと期待して料理を待った。
だが、次々と並べられたお皿はどれも中華料理とはとても呼べない、いや呼びたくない品々だった。
例えば、見た目も味つけもそっくりな2皿。どこが違うのとよくよく見れば、素材の種類がちょっとだけ違う。間違い探しじゃないんだから、こういうのは勘弁してほしい。
もっと最悪なのは、コーンとグリーンピースの炒め物。これって、ステーキの付け合わせじゃないの? これがホントに北京料理のひとつなの? こんな感じの料理が間断なく出てきて並べられ、テーブルには置くスペースもない。数多く出せばいいってものじゃないよ。結局、食べきれずにたくさんの料理が残ってしまったじゃない。
なにが美味しかったって、最初に出てきたスープに自分でご飯を落とし込み、おじやにして食べたのが一番おいしかった。
閉めはやっぱり杏仁豆腐だよね、と思っていたら、北京料理では杏仁豆腐は出さないんだって。なんだかあまり美味しくないデザートが出てきて、最後のディナーはちょっと外したまま終わってしまった。
ホテルでのハプニング
ホテルの部屋での、就寝前のこと。
わたしはシャワーを終え、明日の帰国に備えていた。日本から持ってきた携帯は通話できないが、毎朝アラームとして使っていた。そのため、バッテリーが少々なくなってきている。明日帰国したら、迎えに来てくれる夫と連絡を取る必要があるので、充電しておこう。そう思い、わたしは充電器をC型アダプタに繋ぎ、コンセントに差した。
同じように持参してきたデジカメやパソコンと、まったく同じような感覚だった。
そして電気を暗めにし、わたしはベッドに横たわった。サユちゃんがまだシャワーに入っているので、本格的に寝るつもりはなく、ちょっと一休みをしていた。
そのとき。突然、パン! と何かが爆発するような音が響いた。まるで電球が爆発したような音だった。
同時に、すべての照明が落ちた。焦げ臭い匂いがぷーんと漂う。
わたしはガバと起きあがり、バッグから懐中電灯を取り出した。窓の外から注がれる灯りで、それくらいの作業はできる。
懐中電灯といっても大きなものではなく、小さなキーホルダー型の懐中電灯だ。停電などの事態に備えて持ってきたものが、最後の夜に役立った。
わたしはスイッチを入れ、入り口のドアの方に歩いていった。シャワールームからは「電気が消えた!」とサユちゃんがパニックになっている。わたしが間違ってスイッチを消したと思っているのかも。
「ブレーカーが落ちた。ちょっと待ってて!」
バスルームを開けてそう言い置き、出入り口のドア近くにあるブレーカーの蓋を開けた。
懐中電灯の光をあてると、やはりスイッチが1つ落ちている。それを上げるが、パチンという手応えがなく、すぐに下に落ちてしまう。
何度やっても同じだ。
どうやら大元のブレーカーが落ちているらしい。原因はどう考えても、わたしの充電にある。
さあ、どうしよう。
フロントに電話して「ブレーカーが落ちた」と言えばいいのだが、はて、英語で何というのだろうか。”a breaker was down.” かな? あー、どうにも自信がない。ここはやっぱり添乗員さん頼み・・・なのだが、こういう時に限って、添乗員さんは部屋を替わっていた。部屋に不都合があったとかで、しおりに書かれた部屋番号とは違う部屋になったが、そっちの部屋番までは控えていなかった。
仕方なく電話の受話器を上げ、フロントに電話した。
「Hello.」
受話器の向こうで男性の声が応えた。
わたしは「Does anyone there speak Japanese?」と訊いたが、相手は「No.」。
そこで、「May I have Mr.K's roomnumber?」と、添乗員さんの名前を言って、部屋番号を教えてくれるよう頼んだ。
部屋番を聞くと、添乗員さんの部屋に電話を掛けた。
「もしもひぃー」寝ぼけ声が応える。無理もない。夜中の12時である。申し訳なく思いつつも、わたしは現在の窮状を訴えた。
すると添乗員さん、「わたしからフロントに電話しておきます。テクニシャンが行くはずですが、15分経っても来なかったら、また電話してください」と言う。
わかりました、と、わたしは受話器を置いた。
5、6分待った頃、部屋に来訪者があった。だが、テクニシャン(技術者)ではない。ボーイの制服を着た、若いお兄さんである。彼はわたしがやったのと同じようにブレーカーのスイッチを上げ、やはり上がらないのを確認した。英語で「これからテクニシャンが来るが、直らなかったら部屋を移ってもらう。待っててくれ」と言い、立ち去った。
しばらく待つと、いきなり部屋の照明がついた。そして、部屋のチャイムが鳴る。
ドアを開けると、作業着を着たテクニシャンが微笑みながら立っていた。どうやら、廊下にある大元のブレーラーを操作してくれたらしい。
「OK! Thank you!」と礼を言うと、おじさん、満足そうに悠々と立ち去っていった。
ああ、よかった、よかった。ホテルの電気システムを破壊したのでなくって。それに、この夜中に部屋を移るのは大事だ。
改めて携帯の充電器を見ると、「100V」と書いてある。だが、今回持参したノートパソコンの充電器も仕様は100V専用なのだが、購入した店で確認したら、240Vまで大丈夫ということだった。だから、これも大丈夫だと思っていたのである。
でも、やっぱ駄目だったのね。家に着いてから試してみたら、充電器は故障して使えなくなっていた。携帯の方は大丈夫。
爆発音は、充電器が電圧に耐えきれず爆発したときのものだろう。
そのせいでバスルームのサユちゃんを驚かせちゃったね。
ごめん、ごめん。もうしませーん。

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