7日目Prat2 アクロポリス
アテネのシンボルであるアクロポリスの丘に登る。アクロポリスは数々の神殿が並ぶアテネ人の聖域として、また戦争時には要塞や武器庫としての役割を果たしてきた。丘の高さは約150m、頂上の面積はおよそ300×150mである。
最初の神殿が建てられたのは紀元前12世紀頃。紀元前7世紀頃まで要塞として利用されていたが、紀元前480年、ペルシャ人により完全に破壊される。
これを本格的に再建したのがアテネの将軍ペリクレスだった。アクロポリス全体の再建計画が立てられ、紀元前447年からパルテノン神殿を始めとする建物が次々と完成。アテネの黄金時代を支える聖なる丘としての地位を確立した。
紀元前86年、ローマの支配下に入り、紀元後52年には前門にローマ建築の典型である大理石の階段が設けられた。ビザンティン時代になると、パルテノン神殿などがキリスト教の教会として用いられ、トルコ軍に占領されたときには神殿がモスクとして使われたという経緯もあった。

博物館やゼウス神殿などの他の施設のチケットが綴りになった入場券。
2日後まで大事にとっておいたが、ついに全部使われることはなかった。
前門(プロピレア)
プロピレアとは「聖域への入り口」の意味。紀元前6世紀に古い門が建てられたが、ペルシャ軍の侵略により破壊され、紀元前5世紀に再建された。三方は急峻な崖で、ミケーネ時代からアクロポリスの丘へは常に西側のこの門側からしか登ることができなかった。
正面から見た前門。左から北翼、中央翼、南翼に分かれている。正面の重厚なドリス式の柱で荘厳な印象を与え、中の優雅なイオニア式柱で心を和ませるようデザインされている。北翼は絵画館として、紀元前5世紀の画家の作品が置かれていた。
ヘロド・アティクス音楽堂
ヘロド・アティクスはアテネの大富豪で、父の遺産を受け継ぎ、それを公共建築物の建設費にあてた。この音楽堂もその一つで、死んだ妻の思い出として161年にアテネ市に寄付した。
舞台の幅は左右約35m、それを囲む観客席は32段で5千人を収容するローマ様式の音楽堂である。古代には音楽の競演や朗読コンクール、ドラマの公演が行われた。
国立考古学博物館
チケット売り場からヘロド・アティクス音楽堂を見おろしながら階段を登り、前門をくぐると、壮大なパルテノン神殿が姿を現わす。
すごい。写真やテレビではいくらでも見てきたが、やはり現物を目の当たりにすると、こんな凄いものがよく古代に建てられたなとつくづく感心する。
一度破壊された神殿が再建されたのは、紀元前5世紀。
ドリス式建築の最高傑作と言われるパルテノン神殿は、アテネの守護神であり知恵と純潔の神・アテナ女神を祭ったもの。アテナがなぜアテネの守護神となったかは、別ページで詳しく述べる予定。
紀元前447年に着工し、装飾に至るすべてが完成したのは紀元前432年。優れた建築家、設計者、総監督など、たくさんの技術者を結集して建設された。
白い大理石の神殿は幅約31m、奥行き約70m、柱の高さ約10m。前後に8本ずつ、側面に17本ずつ、計76本の柱で囲まれていた。屋根の最上部から地面までの高さと、建物の幅の比率が1対1.618の黄金比になっており、建物を美しく見せるための高度な技法が用いられている。
破風(屋根の下の三角部分)やメトーブ(屋根や破風と柱の間の壁面)は神話や古代の歴史を物語る彫刻で飾られていた。ただし、現在見られる破風彫刻はすべて模写だそうだ。
神殿の内部は4つに分けられ、東の入り口から玄関、神室、乙女の間、後室があり、神室には金と象牙でできたアテナ像が飾られていた。12mもの高さがあったと言われているが、略奪にあって分解されてしまい、現在は行方がわからないという。
またこのパルテノンの丘全体がそうなのだが、神殿も修復工事中で、足場やらクレーンやらが目障りでもある。のんびりしたイタリア人のことだから、今世紀中に工事が終わるのかどうか非常に怪しい。日本式に突貫工事でも夜間工事でもなんでもして、さっさと終わらせてもらいたいものだ。
観光客は多かったが日本人ばかりという感じではなく、ヨーロッパ系の人々も多い。この周りの足元には、デルフィ遺跡同様、ところどころ大理石が敷かれている場所がある。これがまたツルツルとよく滑るので、上ばかり見ていると足元を取られる。
ヨーロッパ系の男性が目の前でどすんと尻もちをついたので、思わず「Are you alright?」と訊いていた。「Yes!」という元気な返事が返ってきて、一緒にでへへと笑ったのだった。
アテナ古神殿
現在のパルテノン神殿より以前の紀元前6世紀頃に建てられたアテナ古神殿は、紀元前5世紀前半にすべてペルシャ人によって破壊されてしまった。現在あるのは大理石の礎石のみ。画像のエレクティオン神殿の手前、南側のごろごろしたスペースがその古神殿跡なのだ。地図を見ながら「どれがアテナ古神殿なの?」と一生懸命探したわたしも馬鹿だが、壊したペルシャ人はもっと馬鹿である。
エレクティオン神殿
で、上の画像にある建物がエレクティオン神殿で、左の画像はその正面から捉えたもの。
パルテノン神殿の北側に建ち、アクロポリスの中でももっとも神聖な場所とされている。多くの神々の家であり、伝説上の王たちの墓でもあった。普通の神殿は一人の神を祭っているものだが、ここには複数の神が祭られている。
「エレクティオン」は、アテナ女神の足にかかったヘファイストスの精液から生まれ、のちにアテネの王となったエリクトニオスに由来している。
完成は紀元前406年。南側は円柱の代りに6人の女神柱(カリアテッド)が立ち並び、頭でアーキトレーブを支えている。これはレプリカで、実物の6体のうち1体は大英博物館に、残る5体はアクロポリス博物館に展示されている。
(↑画像をクリックすると、拡大されます)
パルテノン博物館
パルテノン神殿と同じ敷地内に建ってはいるものの、その景観を壊さないためか、数段低い位置にひっそりとある。
アテネ考古学博物館ほどの規模はないが、アクロポリスから発掘された出土品などを所蔵している。
上のエレクティオン神殿の女神柱のオリジナルが、最後の方に展示されていた。なんとも神々しい表情が印象的。
入り口にはアテナ女神のシンボルであるフクロウの彫像があった。
展望台
アクロポリスの東側に位置し、市街を一望できる。ギリシャ国旗が翻っていた。
アクロポリスから見おろすアテネ市街はとても美しかった。
下の画像に映っている小高い丘(手前のほう)は、リカヴィトス(狼)の丘と言う。標高277mで、アテネ最高峰である。歩いて登ると約20分、地下を走るケーブルカーだと約2分で頂上に至る。頂上には協会、レストラン、カフェもある。
最後に、お土産屋さんで購入した絵はがきを紹介しておく。手前にヘロド・アティクス音楽堂、その上部に前門(プロピレア)、右手にパルテノン神殿がある。
(クリックすると、拡大表示されます)

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