7日目Prat1 アテネ市内〜考古学博物館
翌朝。キング・イオニホスでの朝食である。
これまでの朝食の中ではもっともゴージャスな部類に入るだろう。
ジュースやジャムが数種類用意されていて色々楽しめるし、どろっとしたヨーグルトとチーズはどうやら山羊のものらしい。昨日「動物臭い」と評した山羊の乳製品を、ここでもついつい味わってしまった。
これがけっこうクセになるんだよね。「くっさ〜」とか言いながら、ついまた「おかわりしてこよっと」と、二度ほど席を立った。
臭いのが苦手なサユちゃんは「やだ〜」とか言いながら見ている。わたしも臭いのは嫌いだが、この後味はクセになる。
また食べたいんだけど、どこかに売ってないかしら?
アテネ市内へ
今日も朝からバスに乗って約200キロの移動だ。約3時間半後、わたしたちはとうとうギリシャの首都、アテネに到着した。
さすがに首都だけあって、交通量が多い。しかも凄まじくバイクが多い。笑っちゃうくらい多い。ここに至るまでの田舎道でもバイクは多かったが、みんなノーヘルだった。アテネ市内に入ると俄然ヘルメット着用のライダーが増えたが、やっぱりノーヘルも多い。
彼と彼女の二人乗りでもノーヘル。いったい何度、「キミキミ、彼女を愛してるんだったらヘルメットを被らせなさい!」と呼び止めたい衝動に駆られたことか。
とにかくイタリアほどではないが、交通マナーには野放図なところのあるギリシャの人々だった。
→これからレースでも始まるのか? と思うくらい、たくさんのバイクがスタートダッシュの瞬間を待っていた。
バスはジャバラで連結された、超ロングサイズのものが走っていた。うーん、お尻振りそう。
同時に路面電車も走っており、バイクもタクシーも、乗用車もとにかく交通量が多い。一方あまり見かけないのが自転車だった。こちらの人は乗らないのかな。
昼食
到着して、まず昼食。毎度おなじみのこのパターンだが、バスに乗っている時間が長いためあまり空腹でないのが惜しいところだ。
ここはプラカ地区にあるレストラン。プラカ地区は古い街並みが残る旧市街で、レストランや商店が建ち並ぶ賑やかな一角である。大きな教会もあり、翌日もここを歩くことになる。
今日はビールを頼んでみた。「アルファ・ビール」という、ギリシャのビールだ。
まず前菜、お豆と、唐揚げと、キッシュみたいなのと、ソーセージ(だったっけ?)。
そして、メインディッシュのスブラキ(Souvlaki)。フライドポテトに埋もれてしまっているが、串に刺した肉を焼いたものだ。食べやすいように、串は抜き取ってあった。それにしても、肉が硬い。
そして、サラダのキュウリはなぜか皮をむいてあるのが不思議だった。
ウェイターのお兄さん。どこか哀愁を漂わせた美青年である。ここギリシャには、イタリアのような濃いラテン系ではなく、なんとなく憂いのある顔立ちのイケメンが多い。
もう一人のウェイターはおじさんで、こちらはアメリカのドラマに出ていた役者にそっくり。「プラクティス」という弁護士ドラマに登場していた犯人役である。そうか、あの俳優さん、ご先祖はギリシャ人か。などと、ご飯を食べながら考えるのだった。
国立考古学博物館
ここはギリシャ全土の遺跡から発掘された出土品を展示する、国内最大規模の考古学博物館である。千四時台から後期ローマ時代にわたる豊富な展示品が収められており、館内には50以上の展示室に分かれている。
4室・ミケーネ遺跡、ペロポネソス半島の墓地・先史時代のコレクション
ミケーネの王アガメムノンの黄金の仮面(中央最上)。この画像だとわからないが、眉や顔のまわりを覆うヒゲなどが非常に細かく描かれている。
ミケーネを発掘したシュリーマンは、ミケーネ遺跡の円形墓地で発見されたこの仮面を、トロイ戦争で活躍したアガメムノンのデスマスクと確信した。しかし実際は、アガメムノン以前の紀元前16世紀前半のものであることが判明した。
同じくミケーネ遺跡の副葬品「黄金の王冠」。7本のくさびの部分は鋳型を用いて造られている。
黄金のカップは、バフィオ(ペロポネソス半島)のミケーネ時代の墳墓から出土した。牡牛狩りの場面で装飾されている。紀元前16〜12世紀のものと見られている。
植物か動物の皮かなにかで造られた、武将のヘルメット。
豪華客船「飛鳥」での世界一周ツアー一行がたまたま来館しており、彼らのガイドさんが面白い説明をしていたので、思わず耳をそばだてて聞き入ってしまった。
なんでも、昨年封切られたブラッド・ピット主演映画「トロイ」でブラピが被っていた鉄の兜は、あの時代(紀元前1250年頃)にはまだなかった。本当ならここにあるような兜を被っていたはずだが、それではあまりかっこよくないので、あんな立派な鉄兜になっている、といったものだった。うーん、確かにこのヘルメットではブラピも形無しだわ。でも、やっぱ歴史大河ドラマは史実に忠実じゃなくっちゃねー。

【7室・アルカイック期の出土品】
幾何学式文様の埋葬用土器。紀元前8世紀のもの。ディピロン門から出土され、参列者が遺体を運ぶ場面が描かれている。頭の上に手を乗せるのは強い悲しみを表現するポーズだ。
(画像をクリックすると、壷の絵がアップされます)
13室・アルカイック期の出土品
大理石のクロース(青年像)。台座の碑文には、クロイソスという名が刻まれている。力強さが強調された、アルカイック期(紀元前7世紀〜前6世紀)頃のクロース像の典型である。ギリシアに多くのポリス(都市国家)ができ、交易範囲が拡大した時期にあたる。エジプト美術の影響を受け、墓碑としてクーロス像を造るようになったのがギリシァ彫刻の始まりと考えられている。
13室・アルカイック期の出土品
アリストディコス像。アッティカの出土で、パロス島産の良質の大理石が用いられている。
アルカイック期から厳格様式に移行する過渡期のクロース像の好例である。前方に曲げられた腕には人体を自然に表現しようとする試みが表わされている。
15室・アルカイック期後期とクラシック期初期の出土品
エヴィアのアルテミシオン沖で発見されたポセイドンの青銅像。(ゼウス像という説もある)
三つ叉の鉾(または雷電)を手にして構えた姿だ。(クリックでアップ画像が表示されます)
15室・アルカイック期後期とクラシック期初期の出土品
アルカイック期に発達した表現技巧は、紀元前5〜4世紀のクラシック期にギリシャ独自の彫刻芸術として確立してゆく。
これは農業の女神デメテルとその娘ペルセポネが、エレウシス王子トリプトレモスに農耕を教える様子を描いた「エレウシスの浮き彫り」。
トリプトレモスは穀物栽培を世に広めた使者として知られる。
エレウシスの秘儀が行われていた遺跡から発掘された。
21室・クラシック期の彫像、浮き彫り
クラシック期(古典期・紀元前5世紀〜前4世紀)に、墓碑として建てられたレリーフ。そのせいか、とても物憂げな表情が描かれている。
下は、召使いが差し出す宝石箱の中を見つめる婦人ヘゲソを描いた墓碑。
紀元前6世紀には墓碑の建立が禁止されたが、紀元前440年頃からアッティカで復活した。

21室・クラシック期の彫像、浮き彫り】青銅製の「馬上の少年像」。15室のポセイドン像と同じく、アルテミオン沖で発見された。

(考古学博物館、まだまだ続く)
30室・ヘレニズム期の彫刻
この博物館で一番気に入ったのが、この大理石彫刻。紀元前2世紀に創られた「アフロディーテと牧神パンとエロスの像」である。美と愛の女神アフロディーテが、しつこく言い寄ってくる牧神パンを手にしたサンダルで叩こうとしているのだ。アフロディーテの息子エロスは、パンの角を掴んでからかっている。なんと人間くさいというか、赤裸々というか、漫画的というか。おのれの容貌もわきまえず口説いてくる男も男だが、それをサンダルで引っぱたく女神も逞しい。美と愛の女神にふさわしい気品を湛えた表情と、サンダルを持つ右手の取り合せが限りなくミスマッチで、とにかく笑っちゃう作品である。

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