6日目Prat2 アポロンの聖域
遺跡の入り口。ここからは有料になる。
爪を噛んで待っているのは、現地ガイドのカトリーヌさん。
パルナソス山(標高2457m)の中腹に築かれた「アポロンの聖域」は急な勾配の連続で、最上部の競技場まで足を伸ばすとなると、ほとんど山登りの世界。道にはところどころ大理石の敷石が敷かれており、それがツルツルしていて滑りやすい。わたしは登るとき見事に滑って膝と手のひらを強打してしまった。(2日くらい痛かった)
「スパルタ人の記念館」と呼ばれる遺跡。
紀元前405年のエゴスポタミの海戦で、アテネを破ったスパルタが奉納した建物。当時はもちろん屋根があった。将軍や神々のブロンズ像37体が飾られていたという。
十字架が刻まれた石があるのは、のちにキリスト教の教会として使われたせいだという。
アテネ人の柱廊 -Stoa of the Athenians-
「アテネ人の柱廊」もしくは「アテネのストア」などと呼ばれている場所で、ペルシア戦争後、アテネが戦利品を納めるために建てたもの。
さらにその上には、アポロン神殿の柱が見えている。
有名な「多辺形構造(ポリゴナル)の壁」はカミソリ一枚入らないと言われるほどの緻密な造り。紀元前478年の技術で造られたとはとても信じられない。
アテネ人の宝庫 -Treasury of the Athenians-
ここが世界の中心だと考えていた場所の、へその石のレプリカ。本物はデルフィ博物館にある。わたしたち日本人にはなじみが薄いので解説を聞いても「へえ〜」程度の反応だが、西欧社会の人々はやけにおおはしゃぎで、こんな風にかわるがわる記念撮影をしていた。
「へそ」から見た「アテネ人の宝庫」の裏側。デルフィの建造物の中では一番まともに建っている。と思ったら、最近修復されたものなんだそうだ。ところどころ新しい材質で補修がなされている。脇の石段を登って回りこむと、ご覧の通り正面に出る。
紀元前490年のマラトンの闘いで、アテネ軍がペルシャ軍に勝利したあと、アポロン神に戦勝への謝意を表わすために奉納された。入口に2本の柱を持つドリス式建築物で、パロス島産の最良質の大理石で築かれている。建物の中だけでなく周囲にも奉納品や戦利品が並べられていたという。
とにかく聖域マップを見ても、クニドス人の宝庫だの、メガラ人の宝庫だの、シキオン人の宝庫だの、なにやらウルトラマンに出てくる宇宙人みたいな名前の宝庫がそこらじゅうにある。
数えられるだけでも10戸以上。奉納像もたくさんある。デルフィがいかに諸外国の信仰と畏怖の対象であったかがよくわかる。
紀元前6世紀のイオニア式の柱で、台座のみが残っている。当時、この柱の上にはスフィンクス像が乗っていた。先ほど博物館で見た、頭部は女性、肢体はライオン、鳥の羽を持つという怪物像である。
アポロン神殿 -Temple of Apollo-
デルフィ遺跡の超目玉商品である「アポロン神殿」跡。
紀元前6世紀に建てられた最初の神殿は火事で焼失、再建されたものは紀元前373年の地震で倒壊した。現在目にしている神殿は、紀元前370年再建されたものだ。
幅23m、長さ60mのドリス式建築で、正面に6本、側面に16本の柱をもっていた。
内部は前室、神室、後室に仕切られ、神託が行われたアジトンは神室の奥にあったとされる。
傾斜になっている部分が神殿正面入り口だが、神殿内への立ち入りは禁止されている。
それにしても、こんな壮大な神殿を幾たびか失いながらも、その都度再建できるだけの財力、技術力、政治力を長年にわたって保ち続けたギリシャという国はつくづく凄いなと思った。
想像してみてほしい。残された基礎からイメージを掴むのは難しいかもしれないが、これに壁がくっつき、屋根が乗っている様を。
野を越え山を越え、苦難の末に辿り着いた巡礼者たちは驚きたまげ、お口アングリだったに違いない。現代のわたしたちとは違い、大きな建物など見る機会の少ない純朴な古代人だ。見上げるほどの建築物は、この神殿内で下される神託の真実味を否応がなしに増す。彼らは神託をありがたがって受けとり、喜び勇んで帰路についたことだろう。
そしてその神託はどうとでも解釈できる曖昧なものが多く、解釈を誤って国を滅ぼしたり、いきなり攻めこまれた国があったりしたという。
で、ご神託を告げる巫女というのは、ついつい未婚の若い女性といったあたりを想像してしまいがちだが、実は50歳を過ぎた農婦のなかから選ばれたのだそうだ。
現実問題として、本当にアポロン神が巫女の身体を借りて予言を下したとは信じられない。では実際どうだったかというと、巫女は神殿の地下から噴出する火山性のガスを吸ってトランス状態となり、「ふにゃらら、ほにゃららら〜」と何事かしゃべる。それを神官がそれらしい預言に調えて巡礼者に下していた、ということらしいのである。
実際に調査したところ、神殿の地下で2つの断層が交差していたこと、周辺の地質が20%の生物化石燃料を含む花崗岩であることなどが判明したらしい。さらに、湧き水の排水設備の岩の付着物からはエチレンが検出されている。エチレンはその濃度によって催眠状態や失神、狂乱死をもたらす。実際、神託の最中に失神したり、発狂する巫女もいたという。
つまり、断層の割れ目から噴出する火山性ガスと、花崗岩に含まれる化石燃料が化学反応を起こす。そして発生したエチレンを吸った巫女がラリったあげく口走った言葉が、神の声だとされた。神託の真実がこういうことだとすれば、50歳過ぎの農婦から巫女を選んだという理由もわかるような、わからないような。いえ決して、50過ぎの農婦に命の価値がないと言っているのではありませんよ、念のため。
ちなみに、むかーし読んだ月刊誌「ムー」には、「古代ギリシャにはコンピュータがあって、神託はコンピュータがはじき出した預言だった」などという説が載っていた。アトランティスなどの超古代文明論はわたしも大好きだが、コンピュータ説にはぶっとんだ。地中からCPUやメモリなどの部品が掘りおこされでもすれば話は別だけど・・・。(余談だが、「ムー」の「文通してください」コーナーに、「わたしは千姫の生まれ変わり。頼朝の生まれ変わりの方、お手紙下さい」というのがあった。この方も、もしかしたら火山性ガスを吸ったのかな?)
神殿正面入り口の向こう側にある、人が歩いている遺構部分が大祭壇跡。
ペルシアから解放されたヒオス島の住民が建てた高さ3mの祭壇である。
劇場 -Theatre-
紀元前4世紀頃の建築で、5千人を収容できる円形劇場。現在残っているのは、紀元前2世紀に再建されたもの。ピュティア祭での演劇などもここで行われた。
舞台にあたる演壇は、クラテロスという人物により奉納されたもの。
こういった円形のスタジアムのようなものを見ると、ついローマのコロッセオなどと同じように、剣闘士の殺し合いなども行われていたのかと思ってしまう。
だが、ローマ人と違って、ギリシャ人は剣闘は好まず、そうしたものは行わなかったという。なるほど、確かに妙に激しいところのあるイタリア人と違い、ギリシャ人は愛想は悪いが温厚な印象を受ける。ギリシャでは剣闘は行われなかったと聞いて、なんだかとてもギリシャ人が好きになったわたしである。
さて、この劇場を見学したところで、ツアー一行は一時解散、自由行動となった。降りて売店などに行くもよし、さらに登って最上部の競技場に行くもよし。
経験豊富な添乗員さんも、これまでのツアーでは時間がないためここで引き返すことが多く、競技場まで登ったことはないという。
さあ、どうする? サユちゃんと顔を見合わせたわたしは迷った。もうこれ以上登るのはかんべん。だけど、ツアー一行のうち、3〜4名は登ると言っている。ここで行かなかったら後で後悔するかもしれないから、くっついていくことにした。サユちゃんはここに残ると言う。再び登山が始まった。
競技場 -Stadium-
左右に曲がりくねった坂道を登りつめ、ようやく最上部に到着した。ガイドブックには劇場から1キロと書いてあるが、そんなにあったかな?
疲れたけど、とにかく来てよかった。
ここはピュティア祭礼競技(オリンピックの原型となった競技会)も行われた競技場で、トラックの長さは178m、幅23m。岩山をくりぬいて造られた観客席は7千人収容されたと言われる。
4本の凱旋門の柱の他、競技場の両端にはスタートとゴールの位置を示す大理石の埋めこみが残されている。(下の画像で、わたしが立っているところだ)
観光客もここまではあまり登ってこないらしく、ひっそりと静かだ。すると、添乗員さんが汗水垂らしてやってきた。いつも汗をかいているK氏だが、やっぱり添乗員魂が来させたのだろう。汗を拭き拭き、「いやー、来てよかった。いいところですね」と言っていた。
最上部から見おろしたところ。右側にアポロン神殿の柱が見える。
谷をはさんで反対側の山にうっすらと付いている山道は、デルフィが全盛を極めた時代、神託を受けるためにやってきた巡礼者たちが行き交った道だという。
大きな大理石の貢ぎ物を馬車や荷車などに乗せての山越えはきっと難儀だっただろう。
このあと、添乗員さんらと一緒に下山。添乗員さんの解説つきなので、やっぱり登ってよかった! 下に着くと売店で日本語で書かれたガイドブックを購入したり、オレンジジュースを買って飲んだ。(これはイマイチの味)
そしてバスに乗り込み、ホテルへと向かう。間もなく、土産物店などに近い「イオニホス」に到着、スーツケースをロビーに運び入れた。が、ややあってフロントから戻った添乗員さんの「ホテルを間違えました」の声で、みな苦笑しながらバスに戻った。
わたしたちが泊まる予定のホテルは「キング・イオニホス」なのだが、運転手のジョルジュさんがその存在を知らず、姉妹ホテルである「イオニホス」の方につけてしまったのだ。
バスは再び走り出したが、「キング・イオニホス」はなかなか見つからない。Uターンしたりしてウロウロしながら探した結果、ようやく到着した。しかし、商店街からはずっと離れてしまっていた。
ホテル・キング・イオニホス
賑やかな一角からはちょっと遠くなってしまったが、閑静な道沿いに位置したホテルである。
小規模な造りで、ロビーにはおしゃれな暖炉がある。そして、あらビックリ、手で開けるエレベータだ! 手でガラガラと開けるタイプのエレベータは映画でも見るが、かなり古い建物にしかないと思っていた。ということは、ここは古いホテルなの? 添乗員さん曰く、「改修している最中で、最上階は改修が済んで綺麗になっているそうです」とのことだ。
このエレベータ、中に入ると安全柵もなく、そのまま動き出した。ドアが下へと過ぎ去り、次に剥き出しの壁も流れるように下がっていく。なんかディズニーランドの「フォンテッドマンション」みたい。
日本だったら、危険防止のためにもこんなエレベータは真っ先に改修すると思うのだが。おまけにこの夜から、故障のため使えなくなってしまった。部屋よりなにより、まずこっちの方から取りかかるべきだろう。
3階にある、わたしたちの部屋。屋根裏風で、なんだか「アルプスの少女」のハイジの部屋みたい。
ハイジに倣って窓を開けてみたら、すがすがしい景色が広がっていた。
一番奥の山の手前には海も見える。デルフィは山間の遺跡なので内陸部のように感じていたが、意外にも海は近かった。いわゆる地中海に面していて、見えるのはコリンティアコス湾である。
改修されたばかりというだけあって、バスルームはとても綺麗。ただし、バスタブはとても小さかった。
デルフィの街
夕食前、お買い物をするためにちょこっと外出した。
ホテルと隣の建物との間には、わずか1ミリ程度の隙間しかない。というか、ほとんどぴったりくっついている。これで立て替えのときはどうするの? と思ったが、こちらの建物は古くなっても建て替えしないんだって。
デルフィは坂の街。車道に沿って歩いたら遠回りでも、こういう階段を利用すればショートカットできる。遠いと思っていた場所でも、けっこう近かったりするのだ。
階段の上には小さな公園もあり、地元の子どもたちが元気に遊ぶ姿も見られた。
ここが、先ほどバスからチェックしておいたミニストア。田舎の町のよろず屋さんみたいなお店で、おじさんが独りでやっていた。
お酒からパスタ、瓶詰め、菓子、洗剤など、いろいろなものが置いてある。ここでギリシャのお酒・ウゾやメタクサなどの小瓶、パスタなどを購入した。
ディナー
今回はちょっと奮発して、赤のフルボトルを注文。けっこう美味しかった。
キルシュのような前菜。山羊のチーズが入っており、後味がとっても動物臭い。と言ってマズイというのでもなく、臭いと言いつつ、クセになって最後まで平らげてしまった。
この動物味は人によって好き嫌いがありそう。
つけ合わせのご飯とキャベツ、メインのチキンソテー。
食後、添乗員さんや他の参加者数名とバールで食後酒を飲んだ。
イタリアやギリシャでは食事時にコーヒーを飲まず、こうしたバールに移動してコーヒーや食後酒などをひっかけるという。
わたしが注文したウゾは、ワインを絞った後のぶどうの皮から創ったブランデーにアニス(ういきょう)を漬けこんだもの。
アルコール度数が高いので水で割ったりロックにすることが多いが、水と反応して白濁するのが特徴。わたしのグラスも、氷から水が溶け出し、底のあたりが白く濁り始めている。
この夜はウゾにノックアウト。明日はいよいよ観光の最終地、アテネへ移動だ。

- アテネへ - 旅行記Topに戻る -

[平成11年Top] [平成12年Top] [平成13年Top] [平成14年Top] [平成15年Top][平成16年Top]
[平成17年Top][平成18年Top] [県別キャンプ地一覧][県別温泉一覧][トレーラーってなに?]
[子どもと一日遊べる場所][掲示板][HOME]

Copyright(C) 2002〜 Clara 画像、記述内容などすべての転用を禁じます。