6日目Prat1 デルフィへ〜博物館見学 |
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カランバカから約209キロ離れた遺跡の街、デルフィへと向かった。
道中ひんぱんに放牧風景を見かけた。ヒツジ・ヤギ飼いのおじさんと牧羊犬の姿もあり、まるで「アルプスの少女ハイジ」みたい!
と身を乗り出す。だけど、住宅地や自動車屋さんに隣接した土地で普通に見られるため、なんとも不思議な光景だった。
鶏を放し飼いにして畑を持った半農家のような家もたくさんあった。 |
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恒例のおトイレ休憩。わたしはまた素早くコーヒーを注文し、前々から気になっていたお菓子をゲット。カダイフィという、そうめん状のペストリー生地でクルミや蜂蜜ベースの餡をくるんだもの。甘くてどろっとした汁に浸かっていて、めちゃくちゃ甘かった。残念ながら全部平らげることができなかった。
カプチーノにはシナモンの粉を掛けてくれて、とても美味しかった。 |
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デルフィへ |
バスに揺られること約3時間、ようやく到着したデルフィの街。
小さなホテルや食堂が建ち並んだこぢんまりとした街で、めぼしい土産物店もさほどない様子だ。
だが、高台から臨む景色はとても美しい。
実はまだここがギリシャだという実感が湧かないのだが、これも田舎ばかり歩いているせいだろうか。 |
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遺跡見学の前に、まず昼食。
場所はここ、「バッカス」という名のタベルナである。
タベルナとは、ギリシャの食堂のこと。日本にもタベルナという名のギリシャ料理の店がある。
「食べるな、というのに食べるの?」というのは、誰しもが言ってしまう冗談であろう。 |
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バッカスはギリシャ神話に登場する豊穣・酒と狂乱の神ディオニソスの別名。
壁にもディオニソスの絵が飾られてあった。
料理は前菜がピラフ、次にパスティッチョという、マカロニと挽肉を重ねて焼いた料理。けっこう美味しかったが、付け合わせのポテトが雑な印象。なんかこう、もうちょっと凝ってほしかったよ。 |
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デルフィ博物館 |
古代ギリシャ(ギリシャ本土、南イタリア、トルコ沿岸、黒海地方に及ぶ)世界において、「大地のへそ」として世界の中心と考えられていたデルフィ。起源は紀元前2千年頃で、当時は大地の女神ガイアが、大蛇ピュトンに守られた洞窟で神託を行っていたとされる。
ミケーネ時代の終わり頃、ゼウスの息子アポロンがピュトンを殺して神殿を建て、巫女ピュティアの身体を借りて神託を授けるようになったという。
その後デルフィは、神託を受けにくるギリシャ内外からの巡礼者の絶えない地となり、紀元前6世紀には個人や都市国家からの捧げ物で得た富により全盛期を迎える。アポロン神殿の神託を聞くため、外国の高官がわざわざ派遣され、国の大事を決めたこともあったという。この神託にまつわる話で有名なエピソードがギリシャ神話にある。最後に記述するので、よろしかったらご覧下さい。
紀元前5世紀になると神託の効力は薄れ始め、徐々に衰退していく。381年にビザンチン帝国のテオドシウス帝が発布した異境禁止令によりデルフィの建造物はことごとく破壊され、1892年に本格的な発掘が始まるまで遺跡は地中に埋もれたままだった。
1987年、ユネスコの世界遺産に登録されている。 |
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この国の博物館は閉館が早い。ここも3時に閉まってしまうということで、聖域は後回し、先に博物館を見学することになった。
「アポロンの聖域」からの出土品を中心に展示され、見所が多い。 |
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添乗員さんが、在りし日のデルフィ予想図前で熱弁をふるう。
デルフィはパルナソス山の中腹を段状にならした地に築かれている。背後には岩山ファイドリアデスがそびえ、アポロン神殿や、貢ぎ物を納めた宝物倉などを見おろしている。 |
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スフィンクス像。エジプトのとはだいぶ違い細身で、神秘的な微笑みを湛えているのが印象的だ。頭部は女性、肢体はライオン、鳥の羽を持つ謎の怪物、スフィンクス。これはアルカイック期美術における重要なテーマの一つで、神託守護のシンボルでもあった。
紀元前570〜560年頃、ナクソス島の人々により島の大理石で制作され、デルフィに奉納された。もともとはアポロンの聖域の柱の上に乗っていたものだ。
眠っているように見えるが、当時はちゃんと瞳が入れられていたのだろうと思う。 |
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一対のクロース(青年)像。アルゴス出身の兄弟、クレオビスとビトンとされる。
彫刻家ポリメデスにより紀元前610〜前580年に制作された。この時代の特徴として、立像は左足を一歩前に出して力強さを現わしていることが多いという。
二人の兄弟の親孝行に感激した母親がヘラ女神の神殿で「息子たちの労に報いてくれるよう」祈願したところ、彼らは二度と目覚めることはなかったという。(ひどい話だ〜) |
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上の金細工なども貢ぎ物だろうか。上の画像は、金でできた牛の置物。
宝物殿当時の予想図の下に、壁の一部だった大理石が置かれている。(クリックすると、予想図の拡大写真が表示されます)
きっと、こんな風にたくさんの貢ぎ物が置かれていたに違いない。 |
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アギアス像。アギアスは紀元前5世紀に活躍した有名な運動競技選手で、全ギリシャから参加者を募った格闘競技会で何度も優勝した。
故郷であるテッサリアのフォルサラに建てる目的で制作された青銅製の像の複製で、紀元前335年頃に創られた。 |
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アポロン神の神域内に納められた奉納品の一つ。紀元前4世紀(前335〜325年)、アテナイ人によって奉納された。アカントスの葉で飾られた円柱の上に立つ3人の乙女で、膝丈の透いて見えるような軽やかな衣を身につけている。 |
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オンファロスと呼ばれる大地のへそのシンボル。このデルフィが大地の中心であると考え、神殿奥、アポロン神の像のかたわらに置かれてあった。
その昔、ゼウスはどこが大地の中心であるか知りたいと思い、二羽の鷲を世界の両極から一羽ずつ放った。二羽の鷲が出会った場所がここデルフィであったため、大地の中心と定められたという。 |
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微笑む少女の像。これも奉納品の一つで、金箔が施されていた。紀元前3世紀初期に制作された。 |
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アンディノス像。クラウディウポリス(小アジア)出身で、その美しさゆえローマ皇帝ハドリアヌス(紀元後76〜138年)に寵愛された。
あるとき皇帝は、「最愛の者の犠牲によってのみ、皇帝は死を逃れるであろう」と神のお告げを受ける。
これを知ったアンディノスは、皇帝の生命を救うためにナイル川に身を投じた。
アンディノスが我が身を犠牲にしたという話はローマ帝国内に広まり、この後間もなく、ハドリアヌスの命により、デルフィでアンディノスが崇められることになった。
ちなみに日本で買っていったガイドブックには、アンディノスはハドリアヌス帝の息子とあった。現地ガイドさんは意味ありげに微笑み、「ボーフレンド」と言っていた。どっちでもいいが、とにかくハンサムである。
左は、アンディノス像が掘り起こされたときの写真付きの解説文。(クリックすると拡大表示されます) |
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デルフィでもっとも有名な展示物である、「青銅の御者像」。馬車のレースで優勝した競技者の像である。
競技者の頭に巻かれた鉢巻きの模様が、優勝者であることを表わしているという。
再現図も展示されており、とても大がかりな青銅像だったことがわかる。
その目にはちゃんと瞳が入っており、精密な睫毛も付いている。 |
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