わたしたちは金曜日の夜、富山県高岡市に向かって出発した。そこの国分浜海岸で、北陸のメンバーさんたちがホタルイカ・オフを開くからだ。
今回、友だちと映画に行ったりする方が楽しい年頃となった高1の長男は留守番。小5の娘が塾を終えてただちに同行した。
しかし、出発したのは9時くらいで、富山までは440キロほどもある。とても一晩で辿り着ける距離ではない。そこで、今夜は長野県の戸倉上山田温泉で入浴し、付近の駐車場で一泊するつもりであった。
入浴するのは前に一度入ってお気に入りとなった「瑞祥」だ。HPで午前1時までオープンしていることを確認し、間に合うよう時計を見ながら走った。
この「瑞祥」以外に、辿り着ける距離で時間的に入れる温泉は他に一軒もなかった。
瑞祥に到着したのは、午後11時25分だった。
ワンブロック奥まった場所にあるが、建物の壁に付いている「瑞祥」というネオンですぐにそれとわかった。駐車場が狭いため、トレーラーを牽いて入ることはできない。わたしたちは別の場所にトレーラーを停め、歩いて瑞祥に向かった。
が、さっきは見えた「瑞祥」のネオンが、今は消えていた。嫌な予感が脳裏をよぎる。
わたしは小走りになって瑞祥に駆けこんだ。
すると、フロントにいた支配人みたいな男性が券売機のところまで進み出てきて、12時には閉まってしまいますが、いいですか?
と訊いてきた。
「1時までじゃないんですか?」
わたしは少しムッとして聞き返した。だって、HPには12時に閉まるなんて書いてなかったじゃない!
いいですかもなにもあったもんじゃないが、他に入浴できる所もない。
わたしたちは30分という短い時間で慌ただしく入浴を済ませ、いささか憤慨しながら瑞祥を後にした。
洗い場で残り10分を切った頃、店員のおばさんが「12時までに出てくださいねー」と言いにきたのも、怒りに拍車を掛けていた。
浴室に残っていたのは別にわたしだけじゃなかったし、ちゃんと時間通りには出るつもりでいたのに。
そりゃあ店員さんだって早く帰りたいだろうけどさ。
とまあ、そんなことがあった以外は、短いながらもほのかに硫黄の香り漂うお湯を堪能し、ほかほかと暖まってトレーラーに戻ったわたしたちであった。
が、ここでトレーラーにトラブルが起きていたことに気づいた。どんなトラブルかは、敢えてここには書かない。ともかく、下道をゆっくり走る分には問題ないが、高速道路は無理という状況であることに、そのときになって初めて気づいたのである。 |
わたしたちは上信越道方面に引き返し、行きに目星を付けておいた坂城町にある国道沿いの駐車場に入った。
戸倉上山田温泉の中に泊まれそうな駐車場はないが、ちょっと離れた国道沿いになら3箇所ほどP泊可能な駐車場がある。
そのうち一つはトイレ付きだ。
わたしたちが泊まったのは、坂城大橋そばの駐車場。国道を走るトラックの音は結構かまびすしい。 |
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翌朝、夫はハマーに乗って自動車の修理工場を探すため出かけていった。
残ったのはわたしと娘の二人だが、娘はまだ眠っていて起きない。
わたしはレディと千曲川に沿った堤防を散歩することにした。
←標高793メートルの岩井堂山(別称・自在山)と、手前が坂城大橋。戦国時代、この山は武田方の狼煙(のろし)を上げるのに使われていたそうだ。 |
ちなみに、この坂城町は戦国武将・村上義清生誕の地だ。国道から見て線路の向こう側には、義清の墓所もある。
昨年の大河ドラマ「風林火山」を観た人でないと、村上義清が誰なのかわからないことだろう。
義清は信濃国埴科郡、現在の坂城にあった葛尾城で生まれ、北信濃で勢力を誇った。
武田晴信(のちの信玄)は信濃に侵攻しようとして、二度義清に撃退されている。その攻防は12年にも及んだが、1553年にとうとう追いつめられ、長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼って越後に落ち延びていった。
義清は越後で没したが、その嫡男は武田氏の滅亡後、旧領に復帰した。
義清は晴信の長年の宿敵であるが、「風林火山」を観ていると武田晴信や山本勘助の方がよほど極悪人に見えてしまい、わたしはもっぱら義清の方に肩入れしていた。 |
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堤防から下ったところに、桜の綺麗な一角があった。東京では散ってしまった桜が、今まさに満開であった。
桜の木の下には、由緒の古そうな石碑がひっそりと設置されていた。
説明文を簡単にまとめると、「天保12年(1841年)の洪水でこの辺り一帯の農地が壊滅に瀕した。幕府は代官所を通じた農民の訴えを受け、ただちに佐藤嘉長を派遣。嘉長は5年の歳月を費やして常山堤を完成させた。
堤は基礎を大石で築いた、300メートルに渡る堅牢無比なものであった。そのため農地は水害から守られるようになり、村人は毎年堤上に祠を置いて祭りを行い、堤を補強するための大石を投じた。そして、嘉長の功績と常山堤の由来を永く後世に伝えるため碑を建立した」ということである。
なるほど人の一生は短いものだが、いい仕事をした証がこうして後世に遺り、語り継がれるということは素晴らしいことである。 |
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散歩から戻ると、ちょうど夫が帰ったとこだった。
カーナビで20キロほどの所にあるカーレスキュー屋さんを見つけ、停めさせてもらうよう交渉をしたので、これから向かうという。
わたしたちはトレーラーを牽いて、群馬方面に向かって走った。
そこは24時間やっている車のレスキュー屋さんで、大きなクレーン車をいくつも所有した運送会社であった。
クレーン車に挟まれたスペースにトレーラーを停め、電気もいただいて、そのままトレーラーを預けていくことになった。 |
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ヘッドだけで富山に向けてひた走る。
トレーラーが付いてないから、速い速い。わたしがハンドルを握って、びゅんびゅん走る。
この日は風が猛烈に強くて、ハマーといえどもユラユラと不安定。しかし、トレーラーなしだと結構強気になれる。揺さぶられながらも構わずびゅんびゅん走って、たちまち北陸自動車道に合流した。
最初の立ち寄り地点は、道の駅能生に併設された「マリンドリーム能生」だ。もっと正確に書くと、その中の「かにや横町」が真の目的地である。
富山に行く前に、「かにや横町」でお腹いっぱいカニを食べていくのだ。 |
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「かにや横町」前に車を停め、目の前にあった「宝寿丸」という店に入る。あらかじめかにや横町のHPを見て、この店に目星を付けておいたのだ。
紅ズワイガニを売っている店が10軒ほど軒を連ねているが、漁船を持っている店と、持たないでよそから買い付けてくる店とがある。
「宝寿丸」はカニ漁をしながら販売しているとのことだったので、あれこれ悩まずここに直行した。 |
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この「かにや横町」では、おばちゃんがくれる山ほどのオマケが名物になっているそうだ。
あとで「それはオマケじゃなくて、最初から値段に入ってるんだよ」と、ある人に言われたが、まあいいじゃない。誰だって「オマケよっ」て同じ量だけもらったら嬉しいものだ。 |
プラスティックのトレイ2つにカニを山盛り載せ、おしぼりと箸をもらって、海辺に移動する。かにや横町の裏手に抜ける通路があって、抜けると碧い海、青い空が広がっていた。
柏崎からの帰りに立ち寄った日本海フィッシャーマンズケープではお店の前のテーブルで食べたが、ここではそういった用意はない。
海辺にもテーブルや椅子といった設備はないが、ベンチや段に座って食べるのである。
わたしたちはちょっと高くなったところにあるベンチに腰をおろし、おもむろにカニをいただく。 |
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ここ、ここで食べたのよん。→ |
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このカニがぜ〜〜〜んぶ、わたしのモノ!!
いや違った、家族みんなのものだよね。
小さいのが千円、一番大きいのが三千円のカニである。
これをビールと一緒にいただく。気の利くわたしは、トレーラーを長野に置いてくるとき冷蔵庫から缶ビールを一つ持ってきたのである。
カニとビールは、最高の伴侶だ。
しかし、蟹ミソは少し淡泊だった。ところどころ足の付け根に付いているのが濃厚で美味しかったりする。
また冷凍なので水っぽくなってしまうのも難点だ。
かにや横町のHPによると、「ベニズワイガニを販売するには食品衛生法上必ず冷凍しなくてはならないと定められている」そうだ。
いやー、それにしてもいい天気だ。
天気予報では土曜日は曇りときどき雨なんて予報が出ていたのに、嘘のように暖かくてピーカンであった。
しかし、冷たいカニを延々と食べているうちに、身体が次第に冷えてきた。日差しは暖かいのだが、風が冷たいのである。
夫は寒い寒いと言って、レディを連れて散歩に行ってしまった。娘もごちそうさまと言ってパパを追いかけていったので、わたしは1人でカニをつつくことになった。
周囲には1組、また1組とカニを持って現れるグループが増えてきた。わたしの向かいのベンチにも女性二人組が座ってカニを食べ始めた。
わたしはすべて食べ尽くすとおしぼりでベンチを拭き、次の客にその場を明け渡した。
そして、かにや横町の「宝寿丸」にトレイを返しに戻る。
それにしても、こちらのおばちゃんたちは大変愛想がよい。「手を洗っていって」と言うので、中で洗面所をお借りした。そして、マリンパークのトイレを借りに行こうとして立ち去るときと戻ってきたとき、目ざとくわたしを見つけて笑顔で会釈してくれた。
で、マリンドリームの建物の中で土産物ショップを見ていたら、ヒスイのお店が目に止まった。
ヒスイの根付けやキーホルダーは千円から5千円。アクセサリーとなるとさらに万単位のものが並んでいた。
携帯ストラップとして根付けが欲しかったが、あいにく財布にお札が入っていない。クレジットカードとVISAの金券ならあるのだが、ここでは使えないという。
うーん、がっかり。
お店のお姉さんにお金を持っていないので買えないことを正直に話したが、いいのよ、と言って商品を色々見せてくれたり、ヒスイの話をしてくれたりした。 |
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ちなみに糸魚川産、つまり地元産のヒスイは緑色が薄く、白っぽかった。
隣のケースにある中国産は大変濃い、きれいな緑色だ。悔しいが、どちらがいいと聞かれれば中国産を選んでしまうだろう。
「そう言えば、近くにヒスイ海岸がありますね」
わたしはふと思いついて言った。そこで本当にヒスイを拾えるのかと訊いてみる。
ここ能生は新潟県だが、ヒスイ海岸は富山県朝日町にある。
以前、「鉄腕Dash」という番組で、TOKIOの山口達也君がヒスイ海岸を歩いてヒスイの原石を拾うシーンがあった。
それ以来、いつかわたしもそこでヒスイを探してみたいものだと憧れ続けていた。
わたしは子どもの頃から「石好き」な女の子だった。今ではダイヤやルビーといった「石」に夢中だが、かつてはアニメ「おじゃる丸」に出てくる男の子のような石マニアだった。
ヒスイショップのお姉さん、「なかなか見つからないけど、運が良ければ拾えることもありますよ」と言う。
今でも拾えるんだ。行ってみたいなあ。
結局、一番安いヒスイすら買えずにショップを後にした。車で待つ夫からは「まだ?」コールが。えーん、ヒスイ欲しいよ〜。 |
ところで、ここ能生マリンパークでは海辺で車中泊をすることができる。風力発電のプロペラの足元あたりが駐車場になっていて、かにや横町前の駐車場よりも静かな雰囲気だ。
本当は昨夜のうちにここまで辿り着いて海辺で一泊したかったのだが、出るのが遅くて長野止まりとなってしまったのである。
来年はここでP泊したいと思っている。 |
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北陸道からマリンドリーム能生に向かう途中、左手の海の上に見えた弁天岩。そのあまりの美しさに、帰りに立ち寄ってみた。
陸橋の測道を下って橋をくぐると、浜に出る。民宿なども建っているが、今は営業していないようだ。
駐車場は広い。夏は海水浴で賑わうというが、オフシーズンならここでP泊できそう。
能生マリンドリームからの広大な景色もよいが、ここの眺めも最高だ。
特に50匹ほどが勢揃いしてはためく鯉のぼりが絶景に花を添えている。
これまでいろんな所に行っていろんな景色を見てきたが、ここまで心惹かれる美しい景色は初めてではないかと思う。
弁天岩のてっぺんには灯台が置かれており、その下には厳島神社がある。 |
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赤い欄干の橋は「曙橋」という。そのたもとには野口雨情の歌碑があった。
野口雨情は1882年(明治15年)〜1945年(昭和20年)の童謡作詞家である。
わたしは数日前、某所で教育関係者の話を聞く機会があった。その方が語った野口雨情の「しゃぼん玉」の話は、人の親なら涙なしで聞けないものであった。
それによると、雨情が結婚して設けた長女が、わずか生後七日で他界してしまった。
そのことを悔やみ悲しんだ雨情はある時、村の少女たちがしゃぼん玉で遊んでいる様子を見て詩を書いた。
それが、「しゃぼん玉」という歌なのである。
『シャボン玉飛んだ/屋根まで飛んだ/屋根まで飛んで/壊れて消えた
シャボン玉消えた/飛ばずに消えた/産まれてすぐに/壊れて消えた
風、風、吹くな/シャボン玉飛ばそ』
詩の裏に隠された意味を知らなければ、子ども向けに作られた、ただの明るい童謡で終わってしまうところだった。
しかし、しゃぼん玉を子どもの命に例えた雨情の心を想うと、もう涙なしにこの歌は聴けない。 |
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| 橋を渡り、険しい岩を登ると祠の前に出る。厳島神社だ。これは白山神社の末社で、海の神様「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」が奉られている。本尊は弁財天だそうだ。 |
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神社でお詣りし、さらに上に登る。
鳥居をくぐり、灯台の足元へ。この灯台、高さは8.7メートル。海からの高さは29メートルである。
昭和26年に設置されて以来、能生漁港や隣接する港に出入りする船舶の指標となっている。
灯台の足元にも漁師が信仰する祠があり、龍神が祀られている。
能生の花火大会では、この弁天岩に花火を仕掛け打ち上げるのだそうだ。 |
後ろを振り返ると、松の木の向こうに夫が待つハマーが見える。電話を掛けて手を振ると、夫からも見えると言ってきた。
一番てっぺんに登りつめた。
とにかく絶景、絶景。
思わず一句ひねりたくなるが、悲しいかな歌心がない。ひたすら「凄いねー」を連呼するだけだ。 |
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| てっぺんから下を覗きこむと、とっさに「火曜サスペンス劇場」のテーマ曲が頭をよぎった。ここでクライマックスシーンのロケをするとよいのではないだろうか。カメラマンが転げ落ちてしまうかしら。 |
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| 橋を渡って戻りながら、娘と一緒に鯉のぼりの数を数えてみる。二人の間に誤差があったが、約50匹の鯉のぼりが見事にはためいていた。 |
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新潟県糸魚川市の日本海沿岸には、「親不知・子不知(おやしらず・こしらず)」と呼ばれる急峻な断崖絶壁が15キロに渡って続いている。
名の起こりにはいくつか説がある。有名なのが、波打ち際を通るときには親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がないほどの危険地帯だったことから、というものだ。
この海岸線は「フォッサマグナ」と呼ばれる日本を二分する地溝帯の北端にあたり、北アルプスが直接日本海に落ちこんだことによってできたものだそうだ。 |
(フォッサマグナという言葉は後でも出てくるので、覚えていてくださいね。)
現在のようにトンネルなどなかった時代、越後と越中を行き来するためには断崖と日本海のわずかな隙間を通らなければなかった。
迂回しようにも、背後にはさらに急峻な山岳地帯が控えている。そのため旅人は波を避けながら、あるいは岩にしがみつきながら、必死の思いでここを渡っていった。
波がいっそう荒くなる冬場などは、特に危険だったことだろう。親は子を、子は親を振り返る余裕もない。 |
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無事に渡りきってふと振り返ると、姿が消えていた。幼い子どもが波にさらわれる事故もあったに違いない。そんなことが、「親不知・子不知」の名前の由来となったものというのだ。
わたしは小学生の頃、「小学校○年生」シリーズでこの「親不知・子不知」の話を読み、ただならぬ興味を抱いた。記事には確か、荒波が叩きつける崖っぷちのような道を命がけで歩く旅人のリアルな挿絵があったと思う。
親が子を顧みる余裕もないほど命がけの道だなんて、なんて恐ろしいのだろう・・・。 |
情報の少なかった当時の小学生にとって、それは非常に刺激的な読み物であった。「深海の大ダコ
対 巨大イカの戦い」、「魔のサルガッソー海域」といった読み物や心霊写真特集などとともに、「親不知・子不知」の名はわたしの脳裏に深く刻みつけられた。
最近になって、この海岸を富山や石川で開かれるオフ会に向かうため毎年のように通るようになった。
そのたびに「どんな海岸なんだろう。いつか見てみたい」と思っていたが、残念ながらほとんどがトンネルだ。といって、わざわざ北陸自動車道を降りてまで見学していく機会はなかなかなかった。
が、この日はトレーラーがなくて身軽であったし、大急ぎで富山に向かわなくても大丈夫な状況だった。
しかも、ハンドルを握っていたのはわたし。夫は助手席でウトウトしている。
わたしは思い切って、親不知インターチェンジで降りてみることにした。 |
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言い伝えでは、平清盛の弟・大納言頼盛の妻がここを通りかかったとき、二歳の子どもをふところから取り落として波にさらわれてしまった。
その時に悲しんで詠んだ歌が
親しらず子はこの浦の波枕
越路の磯のあわと消えゆく
だという。この歌によって以来、この地を「親不知・子不知」と呼ぶようになったと言われている。 |
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「親不知・子不知」海岸を過ぎ、車はやがて富山県に入った。
しばらくして「境ヒスイ海岸」という看板の文字が目に入った。次に、「朝日町ヒスイ海岸」という看板が現れた。
ふーん、ヒスイ海岸にも二つあるのか。
行ってみたいな。ヒスイが拾えなくてもいい、海岸を歩いてみたい。
そう思うといてもたってもいられず、わたしはハンドルを海岸に向けて切っていた。
駐車場は結構広くて、トイレも完備。あら、ここP泊地にいいんじゃない?
なんて言いながら車を停め、海岸に降りてみる。夫は車の中でレディと一緒に留守番、再び眠りに就いた。 |
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わたしは娘とともに海岸を歩き始めた。後から知ったのだが、ここは宮崎海岸といい、夏は海水浴場として有名だそうだ。
海岸線がどこまでも長く続き、右にも左にも半島が見える。ずっと遠くの方ではヒスイを探して歩く人の姿がみとめられた。
駐車場から階段を降りていくと、最初は普通の砂浜だった。が、波打ち際に近づくにつれて、普通の海岸とは明らかに違う点があった。
石が一面にゴロゴロと敷きつめられているのだ。まるで「賽の河原」のようである。 |
そのせいで、ちょっと歩きづらい。しかも引き波の音すら違う。
波がどどどーっと打ち寄せたあと、普通はザーッという音をたてて引いていくものだ。しかし、ここの波は引く際に、ガラガラガラーッと砂利を掻き混ぜるような大きな音をたてていく。
波に揉まれながら、様々な色の石が転がっている。赤っぽいの、白っぽいの、緑色っぽいの、灰色っぽいの。
さて、ヒスイはどれだ?
わたしは娘と一緒に石の一つ一つに目を凝らして歩き始めた。
が、その時になって肝心なことに気がついた。ヒスイの原石ってどんなんだろう?
どんな色をしているの? |
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わたしは一度もヒスイというものを見たことがなかったのだ。
確かに能生の売店で見た。しかし、原石ではなく機械で綺麗に研磨されたぴかぴかのヒスイだ。
売店のお姉さんが縦にスライスした大きな原石の向こう側からライトを照らして、「ほら、ヒスイは光を通すんですよ」なんて見せてくれたが、原石のザラザラした表面はどんな感じだったかしら・・・と、まったく記憶がない。
原石がどんなものか知らないのに探しあてようだなんて、ちょっとお馬鹿である。
とりあえず、緑色の石を片っ端から拾ってみる。
それから、海の波に磨かれて真ん丸になった真っ白な石も、かわいいのでいくつか拾っておいた。赤い石はどうみてもヒスイじゃなさそうだが、磨いたら綺麗そうなのでこれもキープ。
←画像真ん中の白っぽい石は内部にところどころ緑色が混じっているので、かなり確信あり。その下の2つも緑色っぽくて、ヒスイかも知れないという期待はあった。
が、原石を見たことがないのでなんとも言えない。
さて、果たしてこの中にヒスイはあるのだろうか?
←これは絶対にヒスイでしょう! と思ったほど綺麗な緑色の石。しかし緑すぎて、なんだかトルコ石みたい。やっぱヒスイじゃないのかな。
さて、鑑定やいかに!?(結果は後ほど。実はPart2もあります。) |
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いろいろあってちょっと遅くなっちゃったけど、無事に国分海岸に到着した。
空は抜けるような蒼さで天気は上々。だが、風が強い。波は叩きつけるような勢いで堤防に押し寄せる。こんな天気で果たしてホタルイカはやってくるのだろうか? |
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ついでに過去のキャンプ日記もどうぞ。
◎平成16年ホタルイカ・キャンプ
◎平成17年のホタルイカ・キャンプ
◎平成18年のホタルイカ・キャンプ |
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ボールを負ってどこまでも走るレディ。
背後には新しくできた日帰り入浴施設「越乃庭」と、雨晴海岸の女岩が見える。
トレーラーのないわたしたちは最初、この「越乃庭」で宿泊しようと考えていた。 |
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ずっと車の中だったので、弾けるレディ。
走る走る!
行け、レディ! どこまでも! |
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屋根のついたベンチ周辺に調理器具を置いて餃子パーティ。
走りすぎたレディ、ちょっとバテ気味。
さて、今回は愛知、浜松といった東海地方のメンバーさんが多くいらしていた。その中の1人、nobu@知多半島さんにわたしが拾った石を見てもらったところ、「どれも違うな〜」という鑑定だった。「えーん、本当?
これもあれも違うの!?」と、超ガッカリ。といってその場に捨てていく気にもなれず、未練がましく箱に収める。 |
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焼き竹の子。
今日の午前中、今回の幹事の釣り船さんやHAYAさんらが採ってきたものだそうだ。
皮を剥いて食べようとしたら、HAYAさんがナイフでカットして食べさせてくれた。ほっくりとしてとっても美味しかった。
↓ホタルイカの沖漬け。幹事さんたちが下見キャンプで大漁ゲットしたときのもの。 |
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夜の宴会タイム。
宮腰さんが作ってきてくれたイカめしの美味しいこと! すっかりイカめしファンになってしまった。
↓深夜だというのに、HAYAさんがラーメンを作り始めた。ぐつぐつ・・・。
食べたいけど、夜のラーメンは太るのが心配。でも、食べたい。どうしたらよいのか・・・? 葛藤しつつ、ついつい一口だけいただいてしまった。これまた美味しいっ!
皆さん、本当にご馳走様でした。m(_ _)m |
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さて、夜も更けたので、わたしたちは旅館にチェックインした。
←これは翌朝撮影した「旅館加古川」の外観。
実は「越乃庭」はすでに予約で一杯とのことだったので入浴だけ済ませ、11時にになって加古川旅館に部屋を請うたのだった。
国分海岸のすぐ目の前に建つ旅館で、小さく見えるが部屋数は多くて、とても助かった。
料金は素泊まりで大人4,500円。素泊まりのため前払いだ。 |
部屋で支払いを済ませると、女将は宿帳を置いて立ち去った。
部屋はとても広くて清潔。テレビ、ファンヒーター、お茶の支度もある。わたしと娘が「越乃庭」で入浴しているあいだに夫が申し込みに来ていたので、すでに布団が敷かれていた。
部屋にトイレはない。お風呂は1階にあるが、温泉ではない。廊下のあたりやドアの簡易さはちょっと民宿っぽい雰囲気だ。 |
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日曜日の朝。
海に面した窓からは、C.C.Cのキャンプ会場がよく見えた。
荷物を片づけているあいだ、夫は海岸に行って会場の後片付け。
支度を終えると、たわたしと娘は玄関に荷物を置かせてもらい、歩いてキャンプ会場に向かった。
皆さんに挨拶を済ませ、会場を後にする。
で・・・えっ、ホタルイカはどうなったかって?
昨夜は強風により、ホタルイカ漁は中止となったのだった。 |
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リベンジを心に期して、再びやってきたヒスイ海岸。
だが、今回はいきなり突撃せず、あらかじめヒスイを扱っている店を訪れることにした。
海岸近くには客がいるんだかいないんだかわからないホテルが建っていて、ヒスイの店はほど近くにあった。店と呼べるような構えではないが、おばさんが1人店番をしていた。
とても親切なおばさんで、磨く前と磨いた後の原石を見せてくれ、見分け方の説明などをしてくれた。 |
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これが標準的なヒスイの原石。
特徴としては、真ん丸ではなく角がある。白地に緑、青の色が混じる。ずっしりと重みがある。 などだ。
ヒスイは非常に固いので、波に洗われても角が取れにくいのだそうである。
これらは「これからヒスイを探しに行く」と言うわたしたちに、おばさんが「見本に持っていきな」とくれたもの。 |
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鮮やかな緑色がとっても綺麗なヒスイ2個、これは購入したものだ。ただ見せてもらうだけでは申し訳ないので、こんなの拾えたらいいなと思って買った。本当は1,000円と600円だったが、オマケして800円と500円にしてくれたのである。
わたしが「昨日拾いに来たけどわからなくて、緑色っぽいのをとりあえず拾ってみたんだけど・・・」と言うと、おばさん「持ってきてごらん。見てあげるから」と言ってくれた。
お言葉に甘え、石を入れたプラスティック箱を車から持ってきておばさんに見てもらう。 |
おばさんの鑑定眼は、凄かった。
絶対ヒスイだと思った緑色の石は、「ああ、これはネフライトだね」と、ペケ。
ちょっと緑がかった石は、「これはヒスイになりかけ」。(土に埋めておいたらヒスイになる?)
これは違う。あれも違う。と、ほいほい鑑定していく。
で、うんと小さい白っぽい石が「うん、これはちょっとヒスイが入ってるね」との鑑定結果。が、あまりに小さくて、どうにもこうにも喜びが少ない。
だって、店に置いてある石はみんな大きくて綺麗なんだもの。ぜったい綺麗なヒスイを見つけるぞ!と、わたしも娘もやる気満々で店を出る。
「拾ったら、またおいで。見てあげるから」と、おばさんが送りだしてくれた。 |
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いよいよ海岸に繰りだす。
おとといより波が荒いようだ。実は、こんな海が荒れた日の朝ほどヒスイが多く見つかるという。
海底が波でさらわれ、ヒスイが打ち上がるんだそうだ。
海が荒れたせいで昨夜はホタルイカすくいができなかったが、こんな副産物もあるのかと嬉しくなる。しかし、それはヒスイを見つけたらの話。 |
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前述した通り、ヒスイ海岸の波打ち際はこんな丸い石がぎっしりと敷きつめられている。砂浜ではないので、波の音はザーッではなく、ジャ〜ガラガラと相当うるさい。 |
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探し始めてから数分後、娘がかなり大きめの石を持って来た。
「ねえねえ、ママ。これどう? 緑色だよ!」
一抱えもあるそれは、まるで漬け物石にでもなりそうな大きさだ。これが本当にヒスイだったら、すごい大発見なんだけど。
持って歩くには重いので、後からレディと見に来た夫に持っててもらって、わたしたちは再びヒスイを求めて歩く。
しかし、おばさんがくれたような白いヒスイや、購入した緑色のヒスイは見つからない。 |
というか、いざとなるとよくわからないというのが本音だ。どれもこれもヒスイに見えてしまうし、違うとも思える。
悩みに悩みながら、ヒスイを求めて波打ち際を歩くわたしと娘。
浜には、おとといよりもたくさんの人がヒスイを探して歩いていた。これではもう落ちてないかも・・・と思いつつ、お尻まで海水に濡れながら石を拾い集める。
小一時間ほどしてから、わたしたちは海岸から引き上げた。再びヒスイの店を訪れ、おばさんに見てもらう。 |
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案の定、これも違う、これもペケという状態だ。
娘が見つけた大きな石もヒスイではなかった。がっかりして思わず捨てて帰りたい気にもなるが、せっかく娘が拾って大喜びだったものなので、庭石にでもしようと持ち帰ることにした。
で、これ。この紫色っぽい石。ナントこれだけはヒスイだったのである!
パンパカパーン! やったね♪ 二日も通った甲斐があったというものだ。
でも、本当の紫ヒスイはもっと綺麗なパープル。これはちょっと淡い藤色という感じで、少し迫力不足かなとも思う。 |
でも、店に立ち寄ったご近所のおじさんに「1時間で1個見つけたんだから、大したもんだ」と褒められ、とても嬉しい。
自分で見つけたヒスイはなによりの宝物である。 |
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おばさんは磨き方を丁寧に教えてくれた。
水ヤスリと称される、濡れてもOKなサンドペーパーで水に濡らしながら磨くのだそうだ。最初は目の粗いペーパーで磨き、少しずつ細かい目のペーパーにランクを上げていくのだという。
わたしは帰宅してさっそくサンドペーパーを買いにいき、現在コシコシと磨き中。時間がかかるが結構ぴかぴかしてきたので、近いうちに画像をアップする予定です。
左の2個もおばさんがくれたヒスイ。 |
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| これは夫が母親に土産として買い求めたもの。大きいので1,500円。尖った方に緑色のヒスイが濃厚に含まれている。 |
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これも買ったもの。小さいが、緑色がきれい。 |
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おばさんが娘にくれたメノウ。メノウというと赤い石が多いが、こういう白いものもあるとか。巻き貝のように渦を巻いて形成されているのが特徴だという。
この他にヒスイの付いたキーホルダーを購入し、店を後にした。
本当に楽しかったヒスイ探し。おばさんは「波が荒い冬の時期がいいのよ」と言う。真冬は寒そうだけど、来たいなあ。
おばさん、色々ありがとう。お友だちも連れてまた来年来るね。 |
ヒスイは古来、中国やインカなどで珍重されてきた。特に中国では魔除けの効果があるということで、宝石の中でも一番人気だったという。
ヒスイは硬石(ジェダイト)と軟石(ネフライト)とに分類され、鉱物学的にはまったく別物だそうだ。中国ではいずれも宝石として扱っているが、一般にはジェダイトの方だけが宝石とされる。
エメラルドと並んで5月の誕生石になっているのは、硬石であるジェダイトの方である。
おばさんに「ネフライト」と鑑定された緑色の石は軟石のヒスイで、宝石ではなく貴石と言われるものらしい。まあ、これはこれでパワーストーンショップなどで売られているから、磨けば綺麗になるかもしれない。
ジェダイトの産地としてはミャンマーが有名だそうだ。日本でも縄文時代から採掘が行われ、ヒスイの勾玉などが作られていた。北陸地方の「越」という国が世界最初の産地とされ、加工されていたことが日本書紀にも記されているという。
しかし、なぜか弥生時代から採掘されなくなり、昭和初期に再発見されるまでヒスイの鉱床は放置されたままだったという。
そして、昭和31年に小滝ヒスイ峡が硬石の産地として、国の天然記念物に指定された。
小滝はヒスイ海岸から姫川沿いに数十キロ内陸に遡った渓谷地帯に位置する。明星山の大岩壁が落ちこんだ川原一帯がヒスイの産地で、そこから流れ出たヒスイが姫川を下り、ヒスイ海岸に辿り着くという仕組みのようだ。
ホタルイカのキャンプ会場で、富山のラブ母さんが「姫川でもヒスイ拾いができるらしい」と話していたが、これで納得した。
これは想像だが、明星山の岸壁が崩壊したのは、フォッサマグナと呼ばれる大規模な地溝(要するに窪み)のせいだろう。そこに山が落ちこみ、崩壊した内部からヒスイが現れて川に流されたというわけなのである。
フォッサマグナは、伊豆半島を伴って北上してきたィリピン海プレートが日本列島にぶつかったときにできたと言われている。 |
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前にも書いたが、新潟県糸魚川市の親不知・子不知海岸の断崖絶壁は山地が海に直接落ちこんでいることから生じたものである。
ちなみにヒスイは漢字で翡翠と書く。まったく同じ字を書いて「カワセミ」とも読ませるので、少しややこしい。いずれも美しい緑色をしていることから同じ漢字があてがわれたと思われる。
C.C.Cにも翡翠さんというハンドルネームの人がおられるが、「ヒスイさん」ではなく「カワセミさん」だ。自己紹介にもフリガナを振らないと判別できない、ちょっと紛らわしい二字なのである。 |
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続けて訪れたのは「たから温泉」。源泉掛け流しの看板に惹かれてのことだが、ジーンズがお尻までぐっしょり濡れてしまったので着替えたかったのもある。
ひなびた施設だが、お湯はけっこう良かった。
駐車場は広く、長距離トラックが数台停まっている。
夜10時まで営業しており、建物の一角にはコインランドリーもある。これはP泊にうってつけかも。 |
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ちなみにこの一帯の名物は「たら汁」で、この「たから温泉」でも食べることができる。
HPの謳い文句は「ひすいのお風呂」。しかし、浴室のどこにもヒスイなんかなかったぞ〜。 |
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再び下道を走って新潟県糸魚川市に入る。これまで「高速道路を真っしぐら!」という旅ばかりだったので、下道の旅は実に楽しい。
突如、夫が「トイレに行きたい!」と言ったので、親不知ピアパークの駐車場に入る。
親不知海水浴場にはたくさんの人の姿が見えた。まさか海水浴ではあるまい。
よく見ると、皆一様に下を向いて歩いている。おそらくここでもヒスイ探しが行われているに違いない。いいヒスイは落ちているのかな? |
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親不知・子不知の海岸沿いを走る。高速道路はこのあたりからトンネルに入ってしまい、こんな絶景は見ることができなくなる。 |
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日本海沿いを走っていた国道8号線が姫川大橋を渡ると、右手に妙高の山々が見えた。
姫川沿いには、ホテル糸魚川の茶色の建物も見える。
やがて右に折れ、148号線へ。目指すは、橋からも見えたホテル糸魚川に併設された「ひすいの湯」である。 |
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ホテル糸魚川に到着。手前の駐車場にはもうもうと湯煙を上げる源泉湯畑が。思わず露天風呂かと思ってしまった。 |
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ホテル糸魚川の隣りに建つ「ひすいの湯」でひとっ風呂浴びる。油臭のするなかなかの良泉で、最後の締めくくりに選んで正解だった。
お風呂上がりは大広間で、遅いお昼ご飯をとった。ここは完全分煙で、大広間はもちろんロビーや通路でも禁煙なので大変ありがたい。
最後にホテルの売店でヒスイの根付けを夫に買ってもらい、ルンルン♪で帰途に着いたのであった。 |
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