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 平成20年キャンプ
  平成19年12月30日(日)〜平成20年1月3日(木)Vol.217
 
奈良・大和路をゆく年越しキャラバン〜飛鳥編Part4
         
マ ラ 石
 あまりにもさりげなく置かれているため、最初は気づかずに通り過ぎてしまった。
 引き返して初めて、それが探している石だと認識できた。石の先端を見ないと、それがマラ石だとわからないのである。
 マラ石って、なんなの。と聞きかえされると、ちょっと困ってしまう。なぜなら女性が説明するにはかなり恥ずかしいモノだからだ。
 明日香村の祝戸地区から阪田に至る道の傍らにあり、ちょっと見には倒れかかった墓石か灯籠のようだ。
 だが、改めて先端部分をよくよく見てみると、はっきりとこれがソレとわかる。
 夫とわたしは同時に「おおお・・・」という、なんとも意味不明な感嘆の声をあげていた。
 マラ石は農業信仰や子孫繁栄を願う古代の性器信仰によるものとされており、本来は真っすぐに立っていたという。
 年々、力がなくなってくるものなのね・・・(爆)
 しかし、後から縦の割れ目を入れれば、なんでもマラに見えてしまうんじゃないかしら。後世のイタズラじゃないか、とも勘ぐれる。
 ちなみに、地元では飛鳥側を挟んで反対側にある山を「フグリ山」と呼び、マラ石と一対のものとする考えがあるという。「フグリ」とは、、、以下略。
 ちなみに明日香村じゅうのあちこちに、こうした男根をかたどった石が立っているそうだ。
橘 寺 ・ 二 面 石
 橘寺は聖徳太子生誕の地とされ、太子建立七大寺の一つだ。もともと「橘の宮」という欽明天皇の別宮だったところで、その後、用明天皇の別宮となったものらしい。
 厩戸皇子はここで生まれ、子ども時代を過ごしたという。
 本来は350円かかるが、この日は年始ということで入場料が無料になっていた。
 現存する伽藍は江戸時代以降のものだが、創建当時は四天王寺式伽藍配置の壮大なものだったそうだ。
 ←本堂。
 飛鳥王国パスポートのスタンプがあったので、ポンと押してきた。ついでに100円投じてお札をもらっちゃったー。
 ここにかつて五重塔が建ってたという。高さはなんと、40メートルだったそうだ。
 えっ、40メートル? 斑鳩町の法隆寺の五重塔だって34メートルである。本当にそれより高かったのだろうか。
 三光石といわれる石の遺構。
 606年、推古天皇の命により厩戸皇子が勝鬘経の講讃をしたところ、庭に蓮の花が1メートルも降り積もり、南の山からは千の仏が現れ光明を放ったという。
 そして、この石から日、月、星の光が放たれるなどしたので、天皇はこの地に寺を建てるよう命じたのだそうだ。
 梵字の「あ」(表示不能)を象って、厩戸皇子が作らせたと伝わる池。
 跳ね上がった屋根が印象的な講堂。
 「二面岩」。一つの岩の右が悪人、左が善人の顔に掘り分けられている。
 飛鳥時代の石造物のひとつで、高さ約1メートルほど。
 こちらは善人の顔とされる側。深いシワを刻んだお爺さんの、優しい笑顔のように見える。
 こちらが悪人の顔とされる側。
 人間の心の二面性を表したものとされているが、いったいなんのために作られたものかは不明である。
 亀石と同じで、制作途中で放りだされたもののような気がする。
 別棟の「往生院」というところの天井画が見事だと案内があったので、靴を脱いで入ってみた。
 ご覧の通り、たくさんの花の絵が描かれていた。
 ここでも鐘を突いてよいということだったので、浄財を入れて一回、鐘を鳴らしてみる。
 以前、テレビで鐘の真下に入ると驚くほど静かだという実験をやっていたのを思い出して、突くなり真下に立ってみた。
 「ぶわ〜ん」というささやかな共鳴音が頭上で鳴り響いていて、確かに外から聞くより静かなのに驚かされた。
神 武 天 皇 陵
 日本書紀に「畝傍山東北陵」と記されている神武天皇陵。東西500メートル、南北約400メートルの広大な陵墓である。
 これまで見てきた天皇陵の中では最も交通量の多い道路に面しており、橿原神社の隣りに位置する。
 神武天皇は日本の初代天皇。紀元前711年に生まれ、紀元前660年に即位したとされている。なんと52歳で即位し、127歳で死亡したことになっている。
 その長寿にもビックリだが、紀元前660年というただごとではない年代にも驚かされる。
 それがどれだけ凄いかというと、紀元前7世紀頃、古代イスラエルにはユダ王国が、中国には斉や周といった国があった。日本は弥生時代にあたり、農耕社会が成立した頃。古代ローマ帝国はまだ誕生していない。
 さて、そんな古代に即位した神武天皇は実在したか、実在しなかったのか。
 考古学的なスタンスから見た歴史学では、もちろん創作された架空の天皇ということになっている。
 しかし、明治政府が神武を初代天皇と定めてから昭和の敗戦まで、それを表立って否定できる学者は存在しなかった。神武の存在を否定すれば、天皇家の始祖を否定することになるからだ。
 もちろん、天皇家の始まりにあたる初代天皇は存在したに違いない。しかし、「日本書紀」「古事記」に記されているような、万世一系だと信じる歴史学者はもはや少数派と言っていいだろう。
 初代と現在の皇族がDNA的に繋がっていないとしても不思議ではないし、王朝交代は一度もなかったとするのはむしろ不自然だと思う。
 だが、九州地方にあった神武が東国遠征を行い、近畿地方一帯を支配下に治めたという「日本書紀」の話は、複数の王の事蹟を繋ぎ合わせたものにしても、ある程度真実に近いのではないだろうか。
 神武は畝傍山の東南にある橿原を都と定め、天皇として践祚した。その日が2月11日、つまり建国記念日ということで、日本の祝日と定められているのだ。
 神武天皇は即位すると、「畝火の白檮原宮(かしはらのみや)」に坐して、天下を治めた」と、「古事記」には記されている。
 その「白檮原宮」のあった跡地に建つのが橿原神宮だ。こちらへは行かなかったので画像はない。代わりに橿原神社公式サイトから転載させていただいた。
 明治23年、橿原神宮を創建してほしいという民間の嘆願を入れて、明治天皇が京都御所の建物を下賜して建てられた。
 奈良の神社にしては驚くほど歴史が新しい神社なのだ。
道の駅 吉野路大淀iセンター
 わたしたちが飛鳥での根城とした道の駅。あんまり広くはないが、上段にある第2駐車場へのスロープが細くて曲がっているので上がることができない。
 そこで、大型レーンで2泊した。
 年始のせいで閑散としていたのが幸いだった。
 
 ■道の駅吉野路大淀iセンター
  住所:奈良県吉野郡大淀町芦原536-1
  公式サイト: URL
 
 近くの「柿の葉寿司本舗たなか」で買った大好物の「柿の葉寿司」。
 
 ■たなか 桜 吉野店 URL
ま と め
 さて、これで奈良、斑鳩、飛鳥の神社・遺跡めぐりはおしまいだ。
 有名な大寺院から道ばたや田んぼの中の石造物に至るまで、ほぼ希望通りに見てまわることができた旅行だった。高松塚古墳の壁画館や、その他の資料館、博物館が軒並み正月休みだったのは残念だったが、中学校の修学旅行以来だった奈良を満喫することができた。
 今こうしてレポを書いている最中にも、唐招提寺の金堂大修復のドキュメンタリーがTBSで放送されたり、神功皇后陵内部が調査されたという記事が新聞に載ったりしている。
 平城京跡の大極殿も再建中だ。
 まだまだ訪れていない神社・仏閣や古墳もたくさんあるので、大極殿が完成したあかつきにはぜひ奈良、飛鳥を再訪するつもりだ。
 わたしたちは橘寺見学を最後に、その日のうちに三重県に移動して公園駐車場で一泊。翌日は一気に高速道路を走って東京へと帰り着いた。
 ←諏訪湖サービスエリア 
 諏訪湖をバックに、通りすがりの人に撮ってもらった一枚。
 今回子どもたちは留守番だったので、旅のお供をしてくれたレディに感謝。人けのない寂しい里道でもあなたの存在が心強かったよ。
 それから、ともに遺構めぐりをし、時には運転主役に徹してくれた夫にも感謝。これからも3人(?)でたくさん、いろんな所を一緒に旅していこうね。
 
     

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