【見学した場所一覧】
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| ■平泉 高館義経堂 |
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4代藤原泰衡は源頼朝の圧力に屈し、文治5年閏4月(1189年)、衣河館にいた義経を急襲した。義経は戦うことをせず、館に火を放って持仏堂に入った。そして22歳の妻と4歳の娘を殺害し、おのれも自害して果てた。享年31歳。
その衣河館が建っていたのが「高館(たかだて)」であると伝えられている。地元では義経の官職にちなみ「判官館(ほうがんだて)」と呼ばれている。 |
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階段を登ると、丘の上に義経堂が建っている。これは仙台藩主第4代・伊達綱村が義経を偲び、1683年に建てたものだ。中には義経の木像が安置されている。堂創建時そのままの状態らしい。 |
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義経主従の供養塔。
昭和61年、秀衡、義経、弁慶供養のため塔が造立された。 |
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北上川と、その向こう、束稲山(東山)を眺める。五分咲きのサクラがしだれ咲いて美しい。
川のあたりに弁慶の屋敷が建っていたという記録もあるという。
この川を左に遡ったところに衣川が合流している。衣川は「前九年・後三年の役」の戦いの場や、弁慶立ち往生の故事で知られる場所である。 |
松尾芭蕉の「夏草や 兵ども(つわものども)が 夢の跡」という句の句碑が建つ。
芭蕉が弟子の曽良を伴って平泉を訪れたのは元禄2年(1689年)5月のこと。(注:もちろん江戸時代です)
この高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光るさまを眺めた芭蕉は、百年にわたり平泉文化を築きあげた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経を思い、この名句を詠んだ。
句碑に刻まれた句は芭蕉直筆の拓本である。
さて、この地で31年の生涯を閉じたとされる義経には、有名な北上伝説がある。
ここ高館前の説明文によると、義経は泰衡が急襲する1年前すでに弁慶ら配下を連れて平泉を脱出し、上の画像にもある束稲山を越えて北を目指したという。
文治5年、この館で自害したのは義経の影武者・杉目太郎行信であるという。
個人的には、義経ほどの戦略に優れた武将がなんの打つ手も打たずに襲撃されるとは思えないし、泰衡の方もそんなにひどいボンクラだったとは考えにくい。2人は示し合わせて、この急襲劇を演出したのではないか。と、考えられなくもない。
実際、東北には義経一行が立ち寄ったとされる場所が数々残る。それが、後世の捏造だと言ってしまえばそれまでで、裏付ける証拠が出てこないことがもどかしい。
◎関連サイト:http://www.motsuji.or.jp/gikeido/ |
| ■平泉 柳之御所跡 |
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北上川の近くの段丘にある、平泉の政治中枢があった跡。読みは「やなぎのごしょ」だが、字は「柳御所」と書く。
鎌倉幕府の公式な歴史書「吾妻鏡」に書かれている平泉館(政庁を司る館)に該当するとされており、藤原秀衡の居館「伽羅御所」はこの西南にあったとされている。
昭和63年から発掘調査が進められ、当時の遺構や遺物が多数出土している。 |
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柳御所遺跡平面図。平成9年に国史跡に指定され、保存されることになった。
少し離れたところに「柳之御所資料館」があり、柳御所跡から発掘された国内初の印章などの貴重な遺物が展示されている。 |
| ■平泉 毛越寺 |
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毛越寺(もうつうじ)に伝わる言い伝えによると、嘉祥3年(850年)、慈覚大師が東北巡遊のおり、この地に差しかかると一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなった。
ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちていた。大師が不思議に思ってその毛を辿ると、前方に白鹿がうずくまっていた。
大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく一人の白髪の老人が現れ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げた。 |
大師はこの老人こそ薬師如来の化身と信じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と称した。これが毛越寺の起こりとされているという。
その後、大火で焼失し荒廃したが、藤原氏2代目の基衡が壮大な伽藍を建立した。「吾妻鏡」によると、当時は中尊寺をしのぐ規模だったという。
以後、鎌倉幕府にも保護されたが、数度の火災や兵火にあい、土壇と礎石を残すだけとなった。1989年(平成元年)、現在の本堂が再建された。 |
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アタマ良くなあ〜れ、と石川ファミリー。 |
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能舞台では国の重要無形民俗文化財に指定されている「延年の舞」が披露されていた。
800年も前から伝承されているものだという。
下2枚は本堂内のご本尊・薬師如来像で平安時代の作だそうだ。 |
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「南大門」跡。
二階惣門ともいい、両脇に仁王像を安置し、正面に「金堂円隆寺」の勅額を掲げ、もんの東西に築地塀が巡らされていた。
礎石12個がそのままの状態で残っている。 |
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南大門跡の向こうにある大泉が池。
塔山を背景にした典型的な浄土庭園で、池は南大門から中島、さらに円隆寺へと続く2つの橋で東西に二分されている。
かつてこの池に船を浮かべ、管絃の楽を奏したという。
ちなみに毛越寺入り口近くには宝物館があり、平安期の仏像、書籍、工芸品、発掘遺品などが陳列されている。 |
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このあと、近くにある「平泉温泉」にわたしだけ入浴。そして、うどん屋さんでうどんを食べ、キャンプ場への帰途についた。 |
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| ■平泉 達谷窟毘沙門堂 |
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延暦20年(801年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が戦勝を記念して、京の鞍馬寺から毘沙門天を勧請し、108体の毘沙門天を祀って「達谷窟毘沙門堂(たっこくいわやびしゃもんどう)」と名付けた。
清水寺を模して造らせた伝えられているが、後年の火災により焼失。現在の堂は昭和38年に再建されたもので、創建以来5代目となるものだ。
階段を登って2階にあがることができる。
伝説では、蝦夷の首領・悪路王がここに立て籠もったと言われている。
悪路王は領民を苦しめ、女子どもを掠めるなどの暴虐の限りを尽くしたため、延暦20年(801年)、桓武天皇の詔命を奉じた坂上田村麻呂が征伐したという。
そして、毘沙門天のご加護により戦勝したと感じた坂上は、この毘沙門堂を建てたという。
↓庭園もひじょうに美しい。 |
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ちなみにお堂をお参りする際は、願いがかなうよう、拍手を打つか、合掌して「オンベイシラマナヤソワカ」と御真言を唱えるのだという。
←毘沙門堂入り口。道路からも岩窟にへばりつくように建てられた2階建てのお堂が見えるため、大変目を引く。 |
| ■須川温泉 |
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キャンプ場に戻り、昨日とは少し離れたサイトにすべてを移動させる。
管理人さんの話によると、わたしたちがキャンプを張った場所はコテージの駐車場だったため、そこに泊まる予定だったお客さんが怒って帰って行ってしまったとか。
申し訳ないと、思わず謝ったが、管理人さんはあっけらかんとしている。どう考えてもわたしたちは悪くなくて、コテージの駐車場に他の客を泊まらせてしまうのはどうかとも思うのだが。
わたしたちが移動した先は、管理棟正面の通路の奥。道路に泊まるよりははるかにマシとはいうものの、引っ越し作業はもの凄く面倒だった。
最初からこのサイトが取れれば良かったのだが、GW後半のさらに前半は予約でギッシリ。後半は多くの客が帰っていき、キャンプ場は静まりかえった。 |
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わたしたち夫婦は子どもを置いて、須川温泉に行くことにした。須川温泉は栗駒山の山頂近くにある温泉で、岩手、宮城、秋田の3県にまたがっている。
かねてよりここの温泉に浸かるのが夢だったわたしは、娘を置いて夫婦2人で出発。石川ファミリーはお留守番だ。 |
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カーナビによると須川温泉に至る山道は冬期閉鎖になっているが、「須川高原温泉」に電話確認したところ、オープンしているという答えだった。
しかし、山道を登って行くにつれてチラホラ雪が見受けられ、さらに高度が上がると分厚い雪の壁が左右を覆うようになった。
そういえば乳頭温泉郷黒湯温線を訪れた平成16年のGWでも、思いがけない雪の名残に驚いたものだった。 |
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ようやく須川高原温泉に到着。オートキャンプ場からは約32キロの距離で、同じ岩手県一関市だが、カーブが連続する山道のこと、けっこう時間がかかった。
車を停め、温泉に向かう。須川高原温泉は日帰りも受けつけている宿泊施設で、標高1126メートル。雨まじりの天候で、灰色のどんよりとした雲が低くたちこめている。
温泉建物内はごったがえすような人混みで溢れていた。GW中だから混んでいるのは仕方がないとしても、売店の真ん前に堂々と喫煙所があるのには閉口した。
混雑するロビーを奥に進むと、温泉棟がある。その手前には警備員が座っていて、チケットを受けとっている。なるほど、混雑に紛れて温泉だけちゃっかり入る輩がいないようチェックしているのだな。
※温泉レポは後日アップ予定です。 |
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須川高原温泉を出て車に乗り、道路に出る。すると、県境を示す「秋田県」という標識発見。ちょっと秋田県に入ってから帰ろうと、少し車を走らせる。
秋田県にはいると、ちょっと気になる建物が目に入った。
なんだろう? なんだか温泉の建物みたいにも見えるけど・・・と、夫にそばまで行ってくれるよう頼む。
すると、そこは栗駒山荘という、秋田県側にある須川温泉の宿泊施設であった。実はわたしが須川温泉で入りたかった本命は、この栗駒山荘だった。が、秋田県にあるということで、もっと離れていると勝手に思いこんでいたのである。
実際には、数百メートルという近距離にあった。
ここまで来たからには、念願の栗駒山荘に入浴しないはずがない。本当は夏に来ようと思っていたのだが、もちろん入る。
※温泉レポは後日アップ予定。
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下山途中、「ぶなの恵み」という名水の供給所があったので車を停めて立ち寄った。
ありあわせのペットボトルにありったけ水を詰めてきた。舌に甘みの残るひじょうに美味しい水であった。こんなに甘い天然水は初めて!
しかし、キャンプ場の天然水も同じく甘くて大変おいしい。さらに、ここの貸し切り風呂は天然温泉で、泉質も素晴らしかった。なにが良かったって、須川温泉より周囲のどこよりも、このキャンプ場の温泉が一番良かったりして。 |
今回の旅で念願だった平泉見学ができたのは嬉しかったが、素晴らしいキャンプ場との出会いはなにより思い出に残った。
オーナーの手作りだというこのキャンプ場、ぜひまた訪れたいものである。
管理人さんは大変親切で、いい意味でおおらかな方。最初の夜の宿泊代金も、本当にこんな額でよろしいんですか、と思うほど格安にしてくださった。一家族ずつ料金を取ってもおかしくないのに、2家族まとめてのサイト利用料金だったので、安いねえ、と石川さんとえらく感心してしまった。
貸し切り温泉の利用では、夜の終了時間まで予約がいっぱいになってしまったため、さらに延長してまでわたしたちを入れてくださった。そのご好意には心から感謝。
また最終日、まだ撤収準備もしていないわたしたちを残して、「ちょっと用がありますから」と立ち去っていったオーナーと管理人さん夫婦には、悪いが笑ってしまった。
まだ客が数組残っているのに、チェックアウトを確認もせず出かけちゃうなんて・・・。
その大らかさがたまらなく魅力的である。いつまでもこのままの素晴らしいキャンプ場、素晴らしいオーナー夫妻ででありますようにと、願ってやまない。
最後に、今年のGWも同行してなにかとお世話になった石川夫妻に感謝申し上げます。これからもよいキャンプ友だちでいてください。 |
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