| ■■■ゆ ら ら の 湯■■■ |
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孝謙天皇陵の見学を最後に、日も暮れたことだし、わたしたちはトレーラーを停めている駐車場目指して帰途に着いた。
途中、日帰り温泉「ゆららの湯に」立ちより、一日の汗を流す。
そして、ジャスコでおせちや豆乳しゃぶしゃぶの材料を購入して、駐車場に戻った。
が、出入り口はチェーンで閉ざされていた。詰所の張り紙で、今夜は11時まで出庫できるとあったので、入れると思っていたのだが。 |
詰所の中に人がいるようなので、声をかけてチェーンを外してもらった。
係員は2人に増えており、「これから初詣の車で混んでくる。東大寺の前の駐車場の方に移動しては?」と言ってきた。
邪魔だから大型レーンのある東大寺Pに行ってほしいということなのか、そっちの方が初詣に近いよ、という親切心で言ってくれているのか、真意がわからない。結局、わたしたちはここに留まることにした。
すでにここの駐車場代を支払ってしまっているので、移動したらまたあちらで支払わなければならなくなるからだ。 |
| ■■■ふ た り だ け の 大 み そ か■■■ |
夫はさっそく鍋の準備にかかり、わたしはおせちを重箱に詰めて新年に備えた。
やがて紅白歌合戦が始まった。
鍋をつつき、お酒を飲みながらのんびり過ごす大みそか。なんて素敵なんだろう。
そもそも奈良で年越しというのがいい。理由はわからないが、とにかくいい。
すぐにTVゲームをやるか、カートゥーンを観たがる子どもらに邪魔されず紅白を観られるのもいい。普段は歌謡曲なんてほとんど聴かないのだけど、だからこそ一年の締めに紅白は欠かせないのだ。
今年はワースト3に入る低視聴率だったそうだが、応援合戦やコント的な企画はすっかり省き、真摯に歌で勝負した点が評価できる。
演歌が続くとちょっと飽きるが、長山洋子が立ち弾き三味線で歌う「じょんから女節」はよかった!
演歌ロックとも呼びたいかっこよさだ。
別の演歌ではバックのマッスルシアターの演技が素晴らしくて、歌そっちのけでバックの演技に見入ってしまった。
秋川雅史の「千の風になって」は相変わらず感動的。 |
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↑夫が作ってくれた豆乳しゃぶしゃぶ。すっごくおいしかった! |
SMAPはトリじゃなかったけどエンディングに登場し、出演者総出で「世界で一つだけの花」を歌う。これもなかなか感動的だ。
最後にリボンつきタクトを持った指揮者が登場して、全員で恒例「蛍の光」を歌う。
この場面で、なんでわざわざ指揮者が必要なのか意味不明だ。タクトを振らないと歌手の皆さんが歌えないとも思えないが。
まあ、いずれにしても「蛍の光」を聞くとスーパーの閉店時間・・・じゃなくて、「ああ今年も一年が終わるのか」という実感が湧いてきて、感慨深い。
指揮者役の平尾昌晃はたったこれだけの短い出演のために、何時間も待機していたんだろうなあ。そう言えば、数年前までは宮川泰が指揮者だったのに・・・など思いながら、これまた感慨にふける。
鶴瓶&中居くんの司会を除けば(リア・ディゾンもいらない)、ここ数年の紅白では高品質の出来だと思う。次回も不必要なお祭り騒ぎはなしにして、地道に歌合戦してもらいたい。 |
| ■■■東大寺:除夜の鐘と初詣■■■ |
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紅白が終わる直前、急いで年越しそばをすすりこみ、わたしたちは東大寺へと向かった。
トレーラーの外に出ると、周囲は乗用車でぎっしりだった。
紅白を観ている途中から周りが雑然としていた。車のエンジン音、ドアの開け閉めの音などが次第に近づいてきたことから、そろそろ満車に近いなとはわかっていた。
皆、東大寺にやってきた初詣の車だ。
駐車場を出ると、除夜の鐘の音がどこからともなく聞こえてきた。 |
生まれて初めてかどうかはわからないが、少なくとも大人になってから除夜の鐘の音を生で聞くのは初めてのこと(毎年テレビだもんね)。
闇のなか響き渡る除夜の鐘はたいへん厳かで、なんとも神秘的だった。しかし、それは東大寺の鐘の音ではなく、別のお寺の鐘らしい。
とにかく東大寺へと先を急ぐわたしには、ゆっくり鐘の音を聞く余裕はなかった。
年越しそばを用意するタイミングが遅れ、急がないと年が明けてしまう。今年中に東大寺の中に入って、そこで新年を迎えたいのである。本当は紅白が終わると同時にトレーラーを出ようと思っていたのだが、そばのことをころりと忘れていたのである。 |
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猛ダッシュで坂を駆け上り、奈良公園を走り抜け、東大寺に辿り着く。はあはあぜいぜいと南大門にやってくると、行列ができていた。
やっぱりすごい人出だ。
列の歩みは非常にゆっくりしていた。時々進むが、止まっている時間の方が長い。こんなのに並んでいたら、新年になっちゃうじゃん。と、心が焦る。
わたしは列の先がどうなっているか探るため、夫を残して一人先に進んだ。 |
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なかなか進まない列を横目で見つつ門をくぐり、大仏殿に視線を向ける。
すると、大仏殿の窓が開いているのが目に入った。
窓から大仏の顔が見えているのに、あっと驚く。
なるほど、これが一年に一度、大みそかだけ見ることができる光景なのか。
ぼーん、と除夜の鐘が鳴り響き、お経を読む声も聞こえてくる。
ああ、これが日本の大みそかだわ。
とっても、とっても感動!
行列は、大仏殿まで続いていた。しかし、それに並ばずどんどん進んでいく人たちも多い。これは横入りなのか。それとも、別の理由があるのだろうか。
原因を突きとめるべく、わたしはなおも先に進んだ。
階段を昇ってみて、行列の理由がようやくわかった。階段の中央に線香を焚いた爐(ろ)があって、皆それに並んでいたのだ。
並ばない人は爐を素通りし、そのまま大仏殿に入っていく。なーんだ、お焼香のために並んでいたんだ!
わたしは夫に電話をし、そのことを伝えた。こちらはとっくに大仏殿の中に入っており、夫が来てくれないと間が持たない。
しかし、夫は「いや、このまま待つ!」と断言。深く理由を問うと、「横入りしたら地獄に堕ちる!」だって。おいおい。
じゃあ、わたしは地獄に堕ちるんですか。でも、これは横入りじゃなくて、焼香を省いて直接大仏殿に入ったんだもんね。それとも焼香で穢れを払ってからじゃないと御利益がないとか。
あれこれ考えているうちに時刻は進み、零時を過ぎた。2008年の幕開け。この瞬間から日付は1月1日である。
東大寺の大仏殿で、除夜の鐘とお経を聴きながら迎えた新年。夫がそばにいなかったのが想定外だったが、実に感動的である。
お経を聴きながら手を合わせ、大仏様のお顔を眺めていたら、なんだか涙が出そうになった。 |
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普段はお葬式や法事でしかお経を聴くことはないし、「早く終わんないかな〜」なんて、一生懸命お仕事をされているお坊さんには大変失礼なことを考えている。
だが、お経というBGMがここまで感動を盛りあげるとは、本当に予想していなかった。
実は某仏教系大学を出ているにもかかわらず、わたしは無信心者だ。宇宙のどこかに神に等しい存在がいるのではとは思っているが、特定の神や仏は信じていない。だが、「バチが当たる」という観念は常に心のどこかにある。おそらく日本人の多くがそうだろう。
そんな心の片隅の一片の信仰心がこの時だけは頭をもたげ、「いつか死んだら、み仏の元へ」と思わずにはいられなかったのである。 |
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おまけに昼間は光線の加減で見えなかった大仏様の黒いまなこが、この時はしっかりと見てとれた。
「ひょえ〜、わたしを睨んでる。やっぱり横入りがいけなかったんだわ」と、思わずビビってしまった。
その時、わたしの隣に立っていた女性がふいに地べたに座りこんだ。大仏を仰いで両手を合わせていたかと思うと、延ばした両手を床につけ、深々と礼拝したのである。
女性をよくよく観察すると、日本人そっくりな風貌ながら台湾かどこかの国の人だと思われた。
驚いたが、これが正式なお詣りの仕方なのかも知れない。こんなに混雑した東大寺で全員が座りこんで礼拝したら、どんな光景になるだろう。 |
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いくら待っても夫が来ないので、わたしは一人で大仏の周りをぐるりと一周してみた。
柱の穴くぐりに挑戦する若者たち。ぎゃはは、と大きな笑い声が大仏殿にこだまする。 |
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東北の隅にある多聞天像。夜の仏像は昼間とはまた違った雰囲気があって、凄み満点。
それに昼は逆行でうまく撮影できなかったが、夜の方がよりきれいに見える。 |
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ぐるりと一周してきて再び大仏の前に戻ってきたら、ちょうどお経が終わったところだった。
午前0時から約40分が過ぎていた。
立ち上がったお坊様たちが互いに挨拶を交わし、やがて階段から下りてきた。草履を履いて立ち去るお坊様たちを、周りの参拝客が一礼して見送る。
前をお坊様が通り過ぎたとき、わたしもお辞儀をしていた。 |
あまりに夫が遅いので、わたしは行列に戻った。
夫はまだ生真面目に並んでいる。もう1時間くらいになるだろうか。長いこと一緒にいたので、前後の人たちともすっかり仲良くなっていたところが彼らしい。
ようやく爐の前まで辿り着き、夫は律儀にお線香を上げた。しょうがないから、わたしもそれにつきあう。そして、これで3度目となる本殿参拝を済ませた。
結局、行列をスルーしても待つことになったけど、お経をあげているうちに本殿に入ることができてよかったと思う。 |
このあと大仏殿を出たわたしたちは火にあたりながらスパークリングの栓を抜き、乾杯をした。
まわりに居合わせた人たちにも振る舞い酒をして、一緒に新年を祝う。
今年も無病息災で、幸せな一年でありますように。 |
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