P泊場所の「カッパ王国」からはわりと近かったので、飯坂温泉に立ち寄ってみることにした。
飯坂温泉街は狭くてトレーラーを置ける場所がないと聞いていたが、以前から名前に惹かれていたため、行ってみたかったのである。
わたしたちは温泉街に乗り入れるのをやめ、コンビニの駐車場にトレーラーを停めることにした。
夫はそこで買い物をし、共同浴場の「鯖湖湯」へはわたし一人で行くことにした。
で、なぜ「飯坂」の名前に惹かれていたかというと、かつての愛読書、山岡荘八著の「伊達政宗」の影響が大きい。 |
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伊達政宗の側室に「飯坂の局」という女性がいたが、彼女はここ飯坂の出身なのである。
そして、飯坂町古舘は飯坂の局が生まれた城のあった場所だ。現在は「古舘公園」となっており、城の名残を留めるものは残っていないという。 |
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さて、温泉街の中心街を200メートルほど歩いていくと、突きあたりになんとも風情のある建物が見えてきた。「ほりえや」という旅館だ。
鳥居のところには石碑が、さらに奥には鯖湖神社と「湯かけ観音」が立っている。
「鯖湖湯」の歴史は4世紀、「古事記」や「日本書紀」の時代にまでさかのぼる。
景行天皇(在位71年〜130年)の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと、景行天皇皇子)が東征のおりに入浴して病を癒したと伝えられている。
また元禄2年(1689年)には「奥の細道」の筆者・松尾芭蕉が飯坂に立ち寄り、「鯖湖湯」に浸かったと言われている。
「鯖湖湯」の建物は鯖湖神社の向こう側に建つ。明治22年に建てられ、平成5年12月に当時の姿をそのままに改築されている。
日本最古の木造建築共同浴場で、道後温泉「坊ちゃんの湯」(明治27年築)より古いそうだ。 |
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こちらが正面の出入り口。ヒバ作りの外観はたいへん立派で、堂々たる構えを見せている。
女湯の扉を開けて中に入る。 |
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わたしは浴室の古風な佇まいに目を奪われ、サンダルを脱ぎながら口を開けて見とれていた。
すると、突然後ろから「お客さん、お客さん」と呼びとめられて驚いてしまった。
入ってすぐのところに受付があって、おじさんが座っていたのだ。
わたしは浴室に気を取られて気づかず、そのまま脱衣所に入ってしまうところだった。 |
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脱衣所と浴室はひと続きにつながっており、いかにも共同浴場らしいスタイル。
御影石づくりの浴槽には無色透明のお湯が掛け流されていた。
先客は地元の方であった。
「おはようございます」と挨拶をすると、笑顔で返してくれた。
洗い場にシャワーはない。地元の方は浴槽の傍らにべったりと座りこみ、洗面器で湯をすくって洗髪をしている。 |
わたしは上がり湯で掛け湯をし、湯に浸かった。しかし、とても熱い。足しか入れられない。それも、ほんの5秒ほどだ。
思わず「あっちっち」と声を上げると、先客の女性が「薄めてくださいね」と優しく声をかけてくれた。
壁には、「最近、観光で共同湯を訪れる人が増えています。中には熱いお湯が苦手な方もいらっしゃるので、42度くらいにうめてください」と書かれた張り紙があった。
どうやら観光客に好意的な温泉街のようで嬉しい。 |
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お言葉に甘え、上がり湯のところにあるホースを浴槽に入れて水を注ぐ。その箇所だけ少しぬるくなったので、すかさず水を止めて湯に浸かる。
源泉温度は51度。浴槽の中は45度以上に違いない。このまま水を入れていけば、もっと浸かっていられるだろう。たが、それでは熱湯が好きな地元の方に申し訳ない。
「観光客が来たからぬるくなっちゃった」なんて思われるのも嫌なので、少し浸かれただけで満足することにした。 |
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それにしても、地元の人たちはあの激アツのお湯を頭から被って洗髪をしている。熱いの駄目なわたしは呆れるやら、感心するやら。
あまり暖まると汗が引かないので、わたしはすぐに上がった。バスタオル巻きのまましばらく脱衣所に立ち尽くしていたが、やっぱりなかなか汗が乾かない。
気温自体がひじょうに暑いので、何時間ハダカで立っていたところで引かないだろう。
わたしは汗ダラダラのまま、先客に挨拶をして「鯖湖湯」を後にした。 |
右は「鯖湖湯」横の湯かけ観音と鯖湖神社。
わたしは来た道を引き返しながら、左右に並ぶ商店を眺めて歩いた。
すると、とある商店のガラスに05年のNHK大河ドラマ「義経」のポスターが貼られているのに目がとまった。その写真が主役のタッキーだったら、一瞥して終わりだっただろう。だが、源義経の家来、佐藤継信・忠信兄弟が2人だけで映っていたから、あらっと意外に思ったのだった。
その時は単純に「佐藤兄弟は奥州の人だから、こちらでは人気があるのね」と結論づけていた。 |
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しかし、後で調べてみると、佐藤兄弟は奥州の人どころか飯坂出身であることが判明し、非常に驚いた。
佐藤兄弟の父・佐藤基治は奥州藤原氏の一族であり、飯坂町の旧名である信夫を拠点として郡一帯を治めていたという。
飯坂温泉の西にある大鳥城は佐藤氏の城であり、継信・忠信兄弟はこの城で生まれた。
その大鳥城から見下ろせる場所に建つ医王寺は佐藤家の菩提寺だ。義経とともに連戦し壮絶な最期を遂げた継信・忠信兄弟は、ここに奉られている。
彼らの両親、佐藤基治・乙和御前の墓所もある。
松尾芭蕉はこの寺にも立ち寄り、継信・忠信兄弟を偲んで「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んだ。
そして、芭蕉が奉納した笈は今も、この寺の宝物殿に安置されているという。
飯坂は単に湯の街というだけでなく、想像以上に奥深い街であった。
他に共同浴場が6カ所ほどあるし、医王寺詣でもしたいので、ぜひまた訪れたいと思っている。(ちなみに「片岡鶴太郎美術館」もあります) |