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 平成19年8月2日(木)〜5日(日)Vol.211
 
 ■長岡花火と第5回湯沢フィールド音楽祭キャンプ Part1
今年も長岡花火と湯沢フィールド音楽祭の季節がやってきた。
本当なら、音楽祭は7月下旬に開催されるはずであったが、加山雄三さんのスケジュールの都合により、8月4日土曜日の開催となった。
その週は、恒例・長岡花火と重なっていた。
長岡花火は、キャンプ友だちの りゅう@新潟さんと初めて行った平成15年から毎年欠かさずに訪れている花火大会である。
昨年は新幹線での日帰り観覧であった。
そして今年、わたしたちは思い切って木曜日から長岡花火に行き、その足で湯沢に移動することにした。
ご一緒するのはクマ親父さん夫妻、とみーさん夫妻。今回は初めて有料のマス席を予約しての観覧となった。
 
■国営越後丘陵公園
 わたしたちにしては珍しく、出発は木曜日の朝9時であった。
 だが、いったん出発したあと、仕事のFaxを再送信する必要があったり忘れ物があったりで、2度も家に戻った。そんなこんなで、結局本当に出発できたのは9時半過ぎだった。
 一緒に花火を見るクマさん、とみーさん夫妻は昨夜のうちに出発していた。
 気持ちがはやり、焦る焦る。
 関越道に乗り、途中運転を交代してひた走る。
 長い関越トンネルを抜けて新潟県に入ったのは、1時を過ぎた頃であった。
 当初の考えでは、音楽祭が開催される加山キャプテンコーストスキー場にトレーラーを置き、ヘッドだけで長岡に向かうつもりだった。
 湯沢に立ち寄る時間は十分にあった。だが、トレーラーなしで現地に着いても、休む場所がない。自走式であれば早めに着いても中で休むことができるが、ヘッド車だけでは昼寝もままならない。
相談した結果、わたしたちはシャトルバスの発着場所である国営越後丘陵公園に直行することにした。 
 マス席を購入した人は半マスにつき一台の駐車スペースを与えられ、そこから発着する無料シャトルバスに乗って花火会場に向かうのである。
 トレーラーを牽いて丘陵公園に到着すると、大型スペースに誘導された。
 午前中に到着していたクマさん、とみーさんのキャンピングカーの隣りに駐車。
 シャトルバスに乗る5時まで、クマさんのボナンザでスイカや枝豆を食べ、ビールを飲みながらくつろいだひとときを過ごさせてもらった。
 5時になった。
 わたしたちはそれぞれ支度を調え、丘陵公園の駐車場に入ってきたバスに乗りこんだ。
 バスは数分おきに次々とやってきて、花火会場に向かう人々をどんどん運んでいく。
 バスに乗っている時間は20分くらいだろうと予想していたが、実際は30分かかった。
 花火会場となる信濃川の土手とはちょっと離れた場所に、バスは到着した。
 しかし、わたしたちの有料マス席はここから20分くらい歩くのである。
 花火会場は信濃川に架かる2つの橋、上流の大手橋と下流の長生橋との間。わたしたちのマス席は会場の奥の方、かなり下流の方に位置する。
 バスから降り、土手に登ってまず見えてきたのは大手橋だった。大手橋の下をくぐり、さらに10分ほど歩いた先、長生橋の手前にマス席はあった。
 なんだかジャスコの駐車場の方が近い気がする。
 この日、長岡は37度を記録した酷暑日であった。
 夕方を迎えて幾分涼しくなったとはいえ、それでも結構な暑さの中、わたしは一人で重いクーラーボックスを背負うはめとなっていた。夫がバスに乗る直前、トレーラーのトラブルのため突然引き返したからである。
 そのクーラーボックスを、偶然居合わせた やまちゃん@秦野さんが持ってくださった。
 わたしは大いに助かったが、やまちゃんはそれに加えてご自分のクーラーボックスを肩にかけ、さらに4歳の息子さんを肩車していた。
 「いや、平気平気」と言いながら堤防をずんずん歩く姿は、ただもう逞しいの一言。
 なんと頼りになることか。
 やまちゃんは最近C.C.Cに入られた新しいメンバーだが、オフ会ではいつも「カクテルつくってあげようか?」と優しく声をかけてくださり、おいしいオードブルを皆にふるまってくれる。
 最近では元シェフという腕を生かし、柏崎の炊き出しボランティアに大変な貢献を果たしてくださった素晴らしい御仁である。
 今回も柏崎から直接駆けつけてきたのだそうだ。
 ようやくマス席の入り口に到着した。
 いや、それにしてもエライ距離を歩いたもんである。
 来年はシャトルバスを利用せず、別の手法を考えよう。やっぱりジャスコの駐車場が一番じゃないだろうか。
 さて、わたしより5分ほど先を歩いていたクマさん、とみーさん組とはマス席の受付で一緒になった。再入場のための蛍光ワッペンを受けとり、人数分のお弁当を受けとっているところであった。
 係の人にお弁当を持ってもらってマス席に移動。
 予約した時期が早かったため、なんと最前列の席だった。マス席は土のテニスコートにスノコのような台を敷いて作られたもので、数はとても多い。
 ←マス席に座るクマさん夫妻とうちの息子。娘は花火を見ないというので、駐車場のトレーラーで留守番である。
 ←とみーさんとオジョー。
 マス席は1マス20,000円、半マス11,000円である。1マスの定員は4〜5人、半マスは2〜3人。今回、各家族がそれぞれ駐車スペースを必要としていたため、半マスを3つ予約していた。
 マス席を予約すれば、1マスでも半マスでも駐車スペースを1つずつもらえるのだ。さらに座布団がわりの丸いレジャーマット、パンフレットがこれにつく。
 これは2,500円のお弁当、2段重ね。
 ウナギ、揚げ物、煮物、魚など、おかずの種類は豊富。
 昨年までの花火はいつも りゅう@新潟さんと一緒で、りゅうさんに見学場所を確保してもらっていた。今年は指定席なのでその点は楽ちん。でも、ちょっとりゅうさんに申し訳ないような気がする。
 お弁当を食べたり、持参した缶酎ハイやビールを飲んでいるうちに、日が暮れてきた。
 振り返ると美しい夕焼けが。
 長岡の大花火大会は「長岡まつり」のイベントとして行なわれており、毎年8月2日と3日に打ち上げられる。
 その歴史は天保11年(1840年)にまでさかのぼるほど古い。時の長岡藩主、十代牧野忠雅に川越移封の命が下ったが、 翌年それが沙汰やみになった。
 それを祝い、「合図」として打ち上げたのが発祥とも言われている。
 本格的な花火は明治12年9月14日から。2日間にわたって、花街関係者がお金を出しあい、千手八幡社裏手で花火350発を打ち上げたのが、最初の花火大会と伝えられている。
 昭和12年を境に情勢が戦争へと傾き、翌年には花火大会も中止となり、終戦を迎えた。
 戦後の昭和22年8月1日と2日、「長岡市戦災復興祭」の名で花火大会が復活した。
 翌年からは8月1日を戦災殉難者の霊を慰めることに重きを置くことにし、花火は2日、3日に変更。以来、長岡花火は戦後の長岡復興の象徴として再出発することになる。
 現在、正三尺玉4発を含め2日間で打ち上げられる花火は約2万発、60万人を越える人を集め盛大に開催されている。(長岡まつり協議会HP掲載文を参考にしました)
 さて、7時30分となり花火が始まった。
 これまで最後のコーナーだった「メッセージ花火コーナー」が、今年はプログラムの冒頭になっていた。
 マス席の最前列なので、花火が非常に近くてこちらに迫ってくるかのよう。10号といった大玉などは頭上から大輪の華が降り注いでくるような、それはそれは雄大なものだった。
 音の迫力も満点だ。
 続いて、橋に花火が仕掛けられた「ナイアガラ」と超大型スターマインが組み合わされたプログラムが始まった。しかし、ここからは遠くて、ナイアガラはちょっとイマイチ。
 去年までの無料自由席の斜面で見たときの方が近くてぜんぜん迫力が違う。
 しかし、このあと次々に打ち上げられる「ベスビアス大スターマイン」とか、「10号10発」などといった一連の花火は目の前で、そしてすぐ頭上で花開くので本当に素晴らしい。
 ここの花火大会の特徴は、花火の種類と名称、そしてスポンサー名と宣伝文句がアナウンスされるのが特徴だ。
 花火が寸断されるのでそれが嫌、という人もいるが、そのお陰で最後まで飽きずに見られるということも言える。
 しかし、今回マス席で寝っ転がりながら花火を見ていたら、心地よくてうっかり眠ってしまった。ああああ、もったいない。楽ちんなのも考えものだわ。
 それにしても、隣のマス席の男性はおしゃべりはうるさかった。
 小さな男の子のパパが耳障りなほどの大声の持ち主で、花火の間もひっきりなしにしゃべっている。なんか集中できなくて、よっぽど「静かにしてもらえませんか」と注意してやろうかと思ったくらいだ。
 しかし、「花火の時は静粛に」なんてルールはない。
 しょうがないから我慢していたが、彼はずーっとずーっとしゃべっていた。ああ、うざったいヤツ。
 そしてプログラム42番、復興祈願花火「フェニックス」が打ち上がった。
 これは7月16日に起こった新潟中越沖地震の復興を祈願しての花火で、6カ所から一斉に打ち上がる迫力は超弩級。全天を覆い尽くす花火と、バックに流れる平原綾香の「ジュピター」にひたすら感動した。
 翌3日には平原綾香が実際に会場を訪れ、フェニックスの打ち上げにあわせて「ジュピター」を歌い上げている。
 つまり、この時わたしたちが聴いた「ジュピター」は録音だったわけだ。
 生「ジュピター」聴きたいなあ・・・と思ったが、実は土曜日の「湯沢フィールド音楽祭」にも彼女は出演する。
 そこで、わたしたちは生「ジュピター」を聴くことができたのだった。
 花火大会は終わった。
 わたしたちは席を引き払い、二手に分かれて雑踏の中を歩いた。
 クマさん夫婦はもと来た方向に戻り、シャトルバスで丘陵公園へ向かう。わたしたちはとみーさん夫婦と一緒にタクシーを求めて国道方面に向かった。
 シャトルバスを待つ行列がそれはそれは長くて、駐車場に戻れるのは少なくとも2時間後という話を聞いていたため、忍耐力のない夫がタクシーに乗ろうと言い出したからだ。
 しかし、国道に出てもタクシーは一台も見あたらなかった。
 それどころか道路は大渋滞で、車はちっとも動かない。そんなところにわざわざやってくるタクシーなどいるわけもなく、わたしたちは延々国道沿いを歩くこととなった。
 30分以上は歩いただろうか。浴衣姿の若者たちの後ろを、わたしたちは行き先も知らずただ漫然と歩いていた。
 今どこにいるのか、自信満々に先頭を歩く夫さえも実はわかっていない。
 わたしも現在こうして書きながらも、最初は一体どこを歩いていたのか見当もつかなかった。
 だが、右手にジャスコを見、左手に極楽湯があったのを思い出して地図を確認したところ、わたしたちは国道351線を西に向かって歩いていたことを知った。
 わたしは「JRの長岡駅に行こうよ。そうすればタクシーがある」と主張した。
 しかし、夫は「長岡駅はたぶんあっちの方だろう」と左の方向を指さすだけで、その主張を容れなかった。
 だが、長岡駅は川を挟んでまったくの反対側に位置していた。
 地理に疎いよそ者の悲しさ、完全に方向違いだ。さらに丘陵公園とも違う方角に向かっていたのである。
 うちの夫と冬山登山でもしようものなら、「大丈夫、大丈夫、こっちで大丈夫」などと言いながら完全に方向を見失って遭難死するに違いない。
 あともう少しで8号線というところで、わたしたちはようやく一台のタクシーを掴まえることができた。
 しかし、一台に5人は乗ることができないため、夫だけ別のタクシーを探すことになった。
 こうして3組に分かれて丘陵公園に向かったわたしたちは、いったい誰が最初に帰り着くのかが最大の関心事となった。
 わたしたちが乗ったタクシーは、しかし運転手さんの要領が悪くてインターチェンジ渋滞にはまってしまった。
 とみーさんの「右車線によけたら」の一言であっさり渋滞から抜け出し、その後は快調に丘陵公園の手前まで辿り着いた。
 しかし、あと数百メートルというところで警備員がタクシーを止めた。
 ここから先はシャトルバスしか入ることができないので、タクシーを降りて後ろのシャトルバスに乗ってくれと言う。
 わたしたちはシャトルバスに乗りこんだが、待たされた乗客たちの視線が冷たい。
 そして、やっとのことで駐車場に到着。
 「クマさんたち着いているかな? 向こうが先に帰ってたらがっかりだよねー」と、とみーさん。
 わたしも「クマさん着いていないで」と念じながらボナンザを見ると、車内は灯りがともり、人影が見えた。
 な〜んだ。まったくあの苦労はなんだったのよ。足の力がへなへなと抜けていくようである。
  

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