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  湯田中温泉「湯楽庵」お泊まり 
 
【2006年11月10日宿泊 キャンプ日記はこちら
   
 今回のお泊まりは、小林一茶もお気に入りだったという湯田中温泉である。
 宿は「よろづや」の別館、「湯楽庵」。
 「よろづや」は江戸時代の寛政年間に創業したといわれている開業約200年の大老舗だ。松代藩領だったことから、殿様が1799年(寛政11)から1862年(文久2)の6回にわたり「御境廻り」に訪れた記録が残っているという。
 そんな「よろづや」本館の宿泊料はちょっと高めだが、「湯楽庵」はリーズナブルでカジュアルな、いわゆるアネックス館というやつ。一泊朝食付きで6,650円というお手頃価格である。
 それでいてお風呂は「よろづや」の大湯殿を利用できる。
 わたしは前々からここの「桃山風呂」に入ってみたかったので、今回リンゴ狩りキャンプ会の近くに宿を取ると聞いたとき、真っさきに「湯楽庵」を思い浮かべていた。
 さて、わたしたちが到着したのは、金曜日の夜。車を玄関の真ん前に停めさせてもらうことができて便利だった。
 ビジネスホテルのようにシンプルな造りだが、フロントの応対はとてもしっかりしていた。
 ただし、ポーターサービスはなく、荷物は自分で運ぶ。旅館のような仲居さんの挨拶などもないから、かえって気楽である。
 わたしたちの部屋は眺めのよい8階。ロビーから階上のエレベータ周りまではそこそこの造りだったが、部屋のドアなどはちょっと安っぽい。それでも廊下や部屋の掃除には手抜かりがなく、汚れが目に付くことはなかった。
 冷蔵庫の中身が空っぽだったのには、さすがに笑ってしまった。
 一方、こちらが本館「よろづや」。「湯楽庵」とは地下の渡り廊下でつながっている。
 「湯楽庵」の泊まり客は夕食をこの本館でとる。浴衣も同じなので、泊まってしまえば敷居の違いはあまり感じない。ただ、食事とお風呂のときの、部屋との往復はちょっと面倒だった。
 下の2枚の画像、樹木の奥にある建物が登録有形文化財に指定された「松籟荘(しょうらいそう)」である。
 昭和14年(1939年)に地元の腕利き棟梁の手により完成したという、純和風数寄屋造りの客室だ。こちらは本館よりさらにお高い価格設定になっている。
 地下1階にある、湯楽庵と本館を繋ぐ通路。左右に湯田中の自然を写した写真が飾られていた。蝶の写真が多く、美しい。
 このあたりが道路の下のようだ。先の明るくなっている所から本館になっている。
 このすぐ先にあるエレベータか階段で1階に昇れば、すぐに桃山風呂である。

 さて、部屋に荷物を置き、浴衣に着替えたわたしたち。さっそくお風呂に繰りだす。
 桃山風呂は、桃山調の書院造りに天平や鎌倉様式の紅梁、桝組を交えた伽藍建築の浴場だ。「松籟荘」と同様、登録有形文化財に指定されている。
 1951年から1953年(昭和26〜28)にかけて造られ、木材には杉丸太、ケヤキが使用されている。
 天井は浴場にありがちな吹き抜けではなく、一枚一枚、枠の中に板をはめこんだ手の込んだ造り。旧家や寺院の天井のようだった。
 浴槽は37平方メートルとたいへん広い。 
↑夜、わたしが撮影したもの。
↑湯船に浸かりながら脱衣所方向を撮影。 ↑朝、夫が撮影したもの。
 脱衣場。この欄干は越後の彫刻師・相崎武吉によるキジの透かし彫りで飾られている。寄木細工の脱衣床板も当時のままだという。
 扉の上に掲げられている額は、佐久間象山の「洒心」(さいしん)というもの。
 象山はここ松代藩に生まれた下級武士で、のちに兵学者、思想家、洋学の第一人者として知られるようになる。
 嘉永6年(1853年)、アメリカ海軍のペリーが来航して以降は開国派の論客となった。
 香取慎吾主演のNHK大河ドラマ「新選組!」をご覧になった方は、石坂浩二さんが演じた最後に暗殺されてしまう学者役と言えばおわかりになるだろう。
 さあ、ここまで凄いと、なんだかお風呂というより格式の高いお寺のような雰囲気だ。もうお湯なんてどうでもよくなってしまう。・・・とはいえ、温泉好きとしては一応お湯のレポをしておかねばならない。
 お湯はご覧の通り無色透明、匂いもほとんどないサラッとしたもの。
 岩を組んだ湧出口近くでは、硫化水素臭がぷーんと漂っていた。ひしゃくが置かれており、湯をすくって飲んでみると、ほのかな塩分と卵味を感じた。
 湯温が93.6度と非常に高いので、地下水を25%まぜているという。が、それでもここの桃山風呂が一番お湯が濃いように感じた。
 翌日、男女入れ替わった「東雲風呂」にも入ったが、硫化水素臭や卵味、またツルツルした肌触りといったものは特に感じられなかった。
 なにが凄いって、驚くほどよく温まる泉質には感嘆すべきものがある。これまで様々なタイプの温泉に浸かってきたが、野沢温泉に並んで最もよく温まる温泉ナンバーワンに推したい。
 それくらい、ポカポカになるのだ。
 源泉は「畦上噴泉」という。あとで入った「大湯」や他の共同湯はボーリングされた源泉である。
 こちらは桃山風呂の外にある大野天風呂。
 以前、HPでここの画像を見たときは池かと思ったが、れっきとした温泉だった。
 一般のデジタルカメラでは全景を映し出せないのが残念だが、実際はもっと広々としている。とはいえ、HPや雑誌などで見る大野天風呂は広角に映りすぎ。思ったより広くはないが、わたしが撮った画像よりは広いといったところだ。
 屋根は古寺の風格を備えており、思わずお賽銭を投げたくなってしまう。 

 こちらが「東雲風呂」。近年造られた近代的な浴室で、小さいながらも露天風呂を備え、ジャグジーもある。
 だが、雰囲気は桃山風呂には遠くおよばない。ああ、もう一度、桃山風呂に入りたいなあ。でも、もうあちらには入れないだけに、非常に残念だった。
 桃山風呂は夜9半まで女性専用。22時から男性専用に切り替わり、昼時の清掃時間を経て、午後2時から再び女性専用となる。つまり、金曜日に到着して入れ替わりとなるまでの数時間しか、入ることができないというわけである。
 この宿は日帰り入浴も受け入れている。かつては日帰り入浴だと女性は桃山風呂に入れないこともあったそう。その後 入れ替わり、今度は日帰りだと男性が桃山風呂に入れないようになった。
 女性客を大事にする姿勢は評価したい。
 現在は日、火、木曜限定で日帰りプランを設定しており、時間帯を選べば男女ともに桃山風呂に入ることができるようになった。(要予約)

 ひと風呂浴びて夕飯にのぞむ。食事は本館の「蓬莱」で他の宿泊客とともにとるようになっている。アンティークや美術品に囲まれた、イス・テーブル席の会場だ。
 会議としても使われるのだろうか、部屋の隅には映写スクリーンの設備があった。
 夕飯をつけるつけないは自由に選ぶことができるが、わたしたちはもちろん夕飯付き。せっかく宿に泊まるんだもの、宿で食べたいじゃない。食事はお泊まりの楽しみの一つである。
 この湯楽庵は一見リーズナブルなようでいて、夕食を付けると1万円かそれ以上になってしまうが、ここでケチってもつまらない。
 わたしはけっこう奮発して馬刺しだの天ぷら盛り合わせだの色々と予約しておいた。
 娘は少食なのでざる蕎麦と、わたしたちのお膳から取り分けて食べさせた。息子は好物の牛肉が出て大喜びだ。
 わたしも生ビールや地ビールを堪能して、上機嫌。ああ、極楽極楽。

 外湯の「大湯」。歩くのかと思っていたら「よろづや」の敷地内にあり、あまりに近いので拍子抜けした。
 鍵は「よろづや」と「湯楽庵」で管理されており、宿泊者は申し出れば「大湯」に入ることができる。
 脱衣所と浴室の境には仕切りがなく、ひと続きになっている。浴槽は真ん中で仕切られ、湯口の方が熱く、遠い方がちょうどよい湯温になっていた。
 この「大湯」の完成は明治19年11月。「養遐齢」(ようかれい)の額は、陸軍軍医総監・松本順が「大湯に入って長生きするように」という願いをこめてしたためたもの。
 額の下には「温泉地の共同浴場番付」が貼られており、それによると湯田中温泉は東の横綱だそうである。さらに大関は鳴子、関脇・野沢、小結・那須湯元と続いている。
 前頭は18ヶ所も記されているが、草津温泉が後ろから6番目というのは納得がいかない。
 ちなみに西の横綱は愛媛の道後、大関は兵庫の城崎、関脇は石川の山中だそうだ。わたしは、このどれにも行ったことがない。小結でやっとこさ別府温泉が出てくるが、これにもちょっと納得しかねる。
 ところで、現在の建物は当時の面影をそのままに再現した2代目だという。
 建物の前には「小林一茶句碑」もあった。それによると、信濃町柏原に生まれた俳人・一茶(1763〜1827年)は、門下生である湯元希杖がいたため(湯田中の老舗宿「湯元」の6代前の当主)、晩年に至るまでたびたび「湯元」に逗留したという。
 文政5年(1822年)、温泉がもったいなく流れている情景を詠んだのが、
 「雪ちるや
     わき捨てある
         湯のけぶり」
 という句だそうである。わたしだったら「わき捨てあるや 湯のけぶり バスタブ持参で 入りたい」と詠んじゃうね。
 えっ、俳句になってないって?

 ところで、夫がタクシーを呼んで藤澤BTキャンプ場に行くというので、わたしも途中のコンビニまで同乗し、帰りは歩いて戻ることにした。実はコンタクトレンズの消毒液とケースを忘れてしまったのである。
 コンビニに入ってもお目当ての商品がなかったら困るので、あったら店内から合図を送るからと言い置き、タクシーに待っててもらった。
 昔はほとんどのコンビニでコンタクトレンズ用品を置いていなかったが、今では大手チェーンであれば地域に関係なく置かれるようになった。幸いこのローソンにケース付きの消毒液があり、わたしは運転手さんに大きく合図を送って、行ってもらった。
 他にポテトチップスなどを買うと、ほとんどのシャッターが閉まって人気がない温泉街を、ブラブラ歩きながら戻っていった。
 途中、「白樺の湯」という共同湯を発見し、はたと足が止まる。うううっ、そそられる。入りたい。
 だが、ここの外湯はすべて鍵付きで、そこの組に属する地元住民しか入ることができない。毎月26日(ふろの日)だけは一般に無料開放されるそうだ。
 鍵を見つめて呆然と立ち尽くしていたら、洗面器を抱えた人が現れた。木の鍵を穴に差し込んでドアを開け、中へと消えていく。一瞬のことで、とても「入れてください」とお願いできる雰囲気ではなかった。
 分析表を見たら、源泉は「共益会12号ボーリング」となっていた。ちなみに、さきほど入った「大湯」は「共益会4号ボーリング」だ。
 またブラブラ歩いていくと、今度は「滝の湯組公会堂」というのがあった。ここも指をくわえて素通り。えーん。
 さらに「鷲の湯」「綿の湯」の前を通る。湯田中温泉には9ヶ所の外湯があるそうで、渋温泉の九湯と同じ数。建物の雰囲気もよく似ている。
 それにしても本当に入りたかった。今度は絶対絶対、26日に泊まりに来るぞ。

 朝ご飯は湯楽庵3階にある「ふくふく亭」で。7時半から9時半の間、自由にとることができる。
 和定食とご飯、味噌汁、つけ合わせなどを自由に取れるビュッフェ形式の組み合わせだった。
 落ち着いていて、なかなかよい感じである。

 「湯楽庵」のロビーには、1998年の長野オリンピックで活躍した原田選手を含む「日の丸飛行隊」の記念品が展示されていた。
 「よろづや」の6代目当主がスキージャンプをされていた関係からと思われる。
 ちなみに金曜日の夜のいっとき、フロントに紺色の甚平を着た若い男性が立っていた。黒背広の他の職員とは雰囲気が明らかに違っている。
 あとで喫茶コーナーに置かれていた雑誌で「よろづや」が紹介されたページを見ていたら、その方の顔写真が載っていた。
 なんと、彼は「よろづや」7代目当主であった。こんな格式の高い老舗旅館の当主でも、アネックス館のフロントに来るんだわ、と感心した。
 その方とは話しをしなかったが、他の職員の肩も応対が丁寧で、みな親切だった。
 外湯の「大湯」に行きたいと申し出れば、「ご案内します」と鍵を取って、すぐ近くにある「大湯」の鍵を開けてくれた。
 その後、夫が藤澤BTキャンプ場に遊びに行ってしまったので、わたしはフリースポットがあるという喫茶コーナーに行ってインターネットをすることにした。
 すでに消灯された状態だったが、わたしがノートパソコン持って「いいですか〜?」とお伺いすると、快く電気を付けて「ごゆっくりどうぞ」と言ってくれた。
 そのうち自動販売機でヱビスビールなんぞ買って、ビールを傾けながら2時間近くほどネット三昧しただろうか。ロビーは無人だったが、すぐそばのフロントには常に職員がいたので安心して過ごすことができた。
 翌朝、チェックアウトする時には無料でコーヒーを飲むことができ、出立前のひとときを過ごした。
 
 
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