しかし、権力闘争の凄まじかった当時の情勢を考えると、天皇が8年ものあいだ都を不在にするということは考えにくい。
孝謙天皇は名を阿部内親王といい、奈良の大仏をつくった聖武天皇の娘である。弟がいたが夭折したため、21歳の時、日本初の女性皇太子となる。別腹の皇子に皇位を渡さないために、母方の外戚である藤原氏が講じた強引な策である。
31歳で天皇になった阿部内親王だが、結婚は許されなかったため子はいない。40歳で大炊王(淳仁天皇)に譲位するが、6年後、再び天皇の地位に返り咲く。
健康が優れないからといって、山梨にまで湯を求めるなどということが自由にできる身の上とは思えない。もし本当に奈良田を訪れたとしたら、この退位していた6年のあいだというのが一番自然だろう。
だとしたら正確には「女帝の湯」ではなく、「上皇の湯」じゃないか・・・と、重箱の隅をつつくようなことはいいとして、方言に関西弁の名残があることで裏付けられるという。(本当だろうか)
女帝が去った後、住んでいた住居が奈良王神社として祭られたと伝えられているそうだ。
女帝は淳仁天皇から位を奪い返し、重祚する。(称徳天皇と称される)
53歳で崩御。家臣の陰謀あり乱あり、結婚したい相手がいても独身を余儀なくされ、敵は例え同族であろうと殺さなければ自分がやられるという、過酷な生涯を送った女帝。のんびりとお湯に浸かっていた奈良田での日々は、彼女にとって一体、どんなものだったのだろうか。




 
H o m e 成11年Top 成12年Top 成13年Top 成14年Top 成15年Top 成16年Top
別キャンプ地一覧 別温泉一覧 こでも温泉 どもと一日遊べる場所 示板

Copyright(C) 2002〜2004 Clara