2日目 パリ市内観光1 |
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翌朝6時。JTBのオプショナル・ツアーに参加するため、早めに起きてシャワーを浴びる。
窓の外は中庭のようになっており、殺風景だが静かに眠れた。実は「フランス・ツーリズム旅行情報局」という個人のHPで事前リサーチしたところ、このホテルの情報が載っており、「賑やかな通りに面しているため夜もうるさいが、中庭に面した部屋は静かだ」と書いてあった。だから予約を入れるとき「中庭に面している部屋を」とリクエストするといいとあったのだが、たまたまその部屋が取れていたというわけだった。
これで花や木が植えてあれば言うことなしなんだけど、まあ静かなんだからいいか。
身支度を整えると、1階の食堂へ。いや、フランス式に言うと、1階は0階というのだった。つまり地上階を0と起算して、2階を1階と呼び、3階を2階と呼ぶ。わたしたちの部屋は3階だが、実際は日本で言うところの4階だったことになる。ああ、ややこしい。これが後々、美術館めぐりの時にちょっとした支障となるのだった。
今回のはフリープランのツアーだが、ちゃんと朝食も付いていた。アメリカン・スタイルで、イタリアでも毎朝食べたのとほぼ同じ内容だ。
パンにスクランブルエッグ、ハム、ウィンナー、カマンベールチーズ、缶詰のフルーツにコーヒー、オレンジジュース。ただ、イタリアでは必ずあったベーコンはここではなかった。さすがに本場だけあって、クロワッサンはとーっても美味しい。
ウィンナーも最初は油っぽいと感じたものの、だんだんクセになって最後の朝なんて5本くらい食べてしまった。 |
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外に出ると、相変わらず前の通りは路駐でびっしり。もともと一方通行で狭いところへ左右に駐車しているので、車が一台やっと通れる道になっている。
パリでは路地の駐車はまったくの野放しで、車庫代わりに使ってよいらしい。その代わりシャンゼリゼ通りなどは駐車禁止で、「路駐はレッカー移動するよ」という標識があり、そこは厳しく守られている。 |
パリ市街地では、どんな小さな通りにもちゃんと名前が付いているらしい。ゆえに地図さえ携えていれば決して道に迷うことはない・・・とは聞いたが、わたしの持っている地図にホテルの前の通り名は載っていない。
ま、それはいいとして、その名無しの通りをホテルに向かって右に行くと、すぐに[ハブル通り]というのに出る。そして、斜め前には「プランタン」というデパートが建っており、これがまた素敵な建物なのだ。銀座にもOL時代に通った「プランタン」があるが、まるで及ばない。なんたってここは本場の「プランタン」なのである。そして化粧品売り場の総面積は、世界最大の4,000uなんだそうだ。
が、まだ開店前なので入れず、そのまま[オスマン通り]に抜けてオペラ座の横手へ。相変わらずきらびやかな建物の装飾に感嘆しつつ、[オペラ通り]をルーブル方面へと歩く。
下の地図は、オペラ地区と呼ばれるエリアのもの。青い○がオペラ・ガルニエ、赤い○がマイバス社だ。(↓地図はクリックで拡大できます。緑色の○は見学した場所) |
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てくてくと歩き続けて、ようやくマイバス社へと到着。ホテルを出てここまでだいたい25分くらい。歩けない距離じゃないが、これから観光疲れしてくると辛いだろうし、毎日となるとちょっとウンザリだ。
とはいえ、カールージュはマイバス社付近に止まらないし、タクシーを使うのももったいない。地下鉄を使えばいいのだろうが、階段の上り下りで時間を食う上、昼間でも集団スリが横行していると聞き、けっきょく滞在中は一度も地下鉄を利用しなかった。(ちょっと小心)
マイバス社にはたくさんの日本人客が集まってきていた。今回のオプショナル・ツアーはパリ半日観光である。出発は8時半。時間になるとガイドさんがマイバス社の前に横付けされたバスへ観光客を誘導していく。
わたしたちはバスの前から2番目の席に着いた。一番前は安全上、客を乗せてはいけない席なのだそうだ。今年の4月頃だったか、パリからモン・サンミッシェルへの観光の途中、バスが横転して2人の日本人が亡くなる事故があった。その影響なのか、あるいはそれ以前からあった規制なのかわからないが、とにかくそこに座って事故に遭っても保険は下りないそうである。シートベルトの着用も義務づけられており、安全には特に敏感なフランス当局であった。 |
さて、日本人旅行客42名の一行は出発し、日本人ガイドの案内の元、バスは[オペラ通り]をルーブル方面に進む。
前述した通り[オペラ通り]の起点はオペラ・ガルニエ、終点はルーブル美術館なのだが、オペラ・ガルニエの方からルーブル方面を見やると、なにやら立派な建物が突き当たりに見える。これがてっきりルーブル美術館かと思いきや、そうではない。これはホテル・ルーブルなのである。このホテルを回りこむように進めばルーブル美術館に行き着く。
意外だったのは、このルーブルの中庭にバスが入れちゃうってこと。建物を貫くように造られた、その昔は馬車が通った細いトンネルのような道をずどーんとバスが入っていったときは、ほんとに驚いた 。
で、この中庭をカルーゼル広場というのだが、そこの端にあるピンク色っぽい門がカルーゼル凱旋門と言って、ナポレオンが遠征時の勝利を祝って建てたものだそうだ。
門の向こうに[シャンゼリゼ大通り]が延び、その先にはもう一つの凱旋門が見える。これが有名な方の凱旋門で、エトワール広場にあるため「エトワール凱旋門」と呼ばれている。これもナポレオンが造らせたものだが、完成を見ることなく亡くなっている。 |
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バスは[シャンゼリゼ大通り]を進む。左手に、1900年のパリ万博のメイン会場となったグラン・パレが見える。[チャーチル通り]を挟んだ反対側にはプチ・パレが建っている。
1900年と言えば、日本は明治33年。伊藤博文が首相で、夏目漱石が英国に留学していた頃だ。そして、日露戦争が始まる4年前でもある。そんな時代に、ここフランスでは優雅に万博を開き、こんな新旧折衷したような建物を築いていた。 |
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先ほどカルーゼル凱旋門の股のあいだ(笑)から見えていたエトワール凱旋門が、[シャンゼリゼ大通り]の突き当たりにたたずんでいる。
ブランドのお店を始めとする様々な高級店が居並ぶ通りだが、けっきょく途中までしか歩かずウィンドウショッピングもできなかった。時間が足らなかったのだ。したがって、エトワール凱旋門のまわりを歩くこともできず。何度も観光バスでそばを走る機会はあったので、見るときはいつも車上からだった。次に来るときは、必ず凱旋門の上に登るぞ〜。
ちなみにこの広場をシャルル・ド・ゴール広場といい、凱旋門の周りはロータリーとなっている。
コンコルド広場から始まった[シャンゼリゼ大通り]もここで終わり、凱旋門より向こうはまた別の通り名となっている。パリの街の特徴として、こうした広場を起点に道が放射線状に延びており、また別の広場にぶつかって終わるというのがある。1区から20区までの全体地図を見ると、パリの街が星の形の集合体であることがよくわかる。
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これもパリ万博の際に建てられた塔だが、グラン・パレが建てられたときの万博でなくて、さらにその11年前の1889年第4回パリ万博だというからまた凄い。パリで一番高い建物というだけでなく、東京タワーができるまでは世界一の塔だった。
だが、その精密な鉄骨の組み合わせ具合はさすがフランス♪ というべき美しさ。とても無骨な東京タワーなんぞの及ぶところではない。
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エッフェル塔も美しいんだけど、そばの公園の花壇も素晴らしい寄せ植えだった。
パリの街の至るところにこうした寄せ植えがあって、ガーデニングのセンスや技術も卓越している。道路の中央分離帯にも美しい花々が植えられてあって、ただ木をぼんと植えて「はい、緑化完了」といった趣の日本とは大変な格差がある。 |
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駐車場にズラリと居並ぶキャンピングカー発見。わりあいに小型のサイズで、バンクベットを備えたタイプばかり。どうやらここを根城にしてパリ市街観光を楽しんでいる模様だ。パンを焼く匂いなどが中から漏れてきていた。 |
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エッフェル塔でバスから降りてゆっくり記念撮影できたわたしたち、再びバスに乗って今度はモンマルトルへと向かう。
途中見えてきたキンキラ彫像の柱は、パリで一番美しいといわれる「アレクサンドル3世橋」の装飾である。グラン・パレとプチ・パレの間の[チャーチル通り]にかかる橋で、数あるセーヌ川の橋の中でもきらびやかさでは群を抜いている。
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「アレクサンドル3世橋」を渡ってグラン・パレ、プチ・パレの間を通過し、パリの北へと進む。すると賑やかな街の一角に、赤い風車を乗せた建物が見えてきた。これがかの有名な老舗キャバレー「ムーランルージュ」である。何年か前、ニコール・キッドマンが同名題の映画に出てましたね。フレンチ・カンカン発祥の地でもある。
創業は1889年というから、第4回パリ万博の頃。世界中から集まる観光客を狙ったのかな? キャバレーといってもいかがわしい場所ではなく、いわゆる大人の社交場だ。とはいえ、このあたりはちょっと歓楽街的な空気が漂っていた。次にパリに来るときはぜひ観にきたいなぁ。 |
サクレ・クール寺院〜モンマルトル |
さて、いよいよ17区にあるモンマルトルに到着した。でもここまでバスで入ってこられるわけでなく、手前の[ロシュシュアール大通り]からバスを降り、狭い商店街を歩いて「サクレ・クール寺院」に向かう。
その狭い商店街はなぜか洋服や布地のお店ばかりが並んでいた。少し坂になっていて、たくさんの観光客で非常に混雑していた。
「ウィレット公園」に至るとカルーセル(回転木馬)がひとつ置かれた広場があって、頭上に「サクレ・クール寺院」が見える。 カルーセルの左手奥側にケーブルカー、いわゆるフニクレール(イタリアだとフニクラだ)があり、寺院の下まで乗って行ける。すぐ側には階段もあり、健康な人だったらほいほい登っていける程度の長さだ。お年寄りや幼い子ども、足腰の悪い人などを同伴している場合は、このケーブルカーを利用した方がいいだろう。
「サクレ・クール寺院」は1870年の普仏戦争の敗北をきっかけにカトリック教徒の発案によって1876年に着工し、完成したのは約40年後のことだそうだ。 |
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寺院の中を見学してから、テルトル広場に向かう。ここまで団体行動だから、ガイドさんにはぐれないように歩くのでもう必死。広場はフランス中からのフランス人観光客と、各国からの観光客でごったがえしていた。
バカンスシーズンというのが幸いしてか、どこへ行っても日本人ばかりという状況ではなかったのは良かった。フランス人もオノボリさんよろしく、パリの街を観光して歩いている時期だからだ。 |
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回転オルガンを奏でるおじさん。なんかパリジャンぽい格好をしてます。
ここモンマルトルはパリで最も標高の高い丘だそうで、そこに19世紀末頃の芸術家たちが集った。ユトリロ、ルノワール、ロートレック、ピカソなど。
近世絵画にはまったく知識のないわたしだが、ずーっと昔やってた某ロボットアニメにこのモンマルトルが登場し、ここが絵描きさんのメッカだということを知ったのである。(笑)
左の画像は、ユトリロが好んで描いた[モン・スニ通り]。・・・って、わたしユトリロの絵って知らないんですけど(汗)。
奥に「サクレ・クール寺院」がちょこっと見える。
なんだかよくわからないが、19世紀以降の絵画もいいかもしれない。今回のツアーでは行かなかったが、次回はオルセー美術館やオランジュリー美術館(現在閉鎖中)などにも足を運んでみたい。 |
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ここで自由行動となったが、有名なぶどう園には行かなかった。これは市内唯一のぶどう畑で、16世紀頃までこの一帯を覆っていたぶどう畑の最後の一つだそうである。
わたしたちはクレープを買って食べた。これは「ショコラ・オ・バナーヌ」。バナーヌってバナナのことだよね、確か。と思いながらつたないフランス語で注文すると、店員さんがバナナを切り始めたのでホッとした。 |
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トイレに行きたくなったので、カフェでお茶することにした。お店の入り口に立つやいなや、トイレの無断使用を防ぐためウェイターがすっ飛んでくる。飲み物メニューを口頭で言うので、その中から息子にホット・チョコレート、わたしはカプチーノを注文した。
通りに面した外の席に座るよう指示され、行き交う雑踏を眺めながらのコーヒー・タイムとなった。(それにしても上に乗ったクリーム、めちゃ多い!)
だけどこの外の席、入れ替わり立ち替わり絵描きさんが似顔を描きに現れるので、やっぱり中の席の方がよかったかも。
事前にガイドさんから、フリーの絵描きさんは絵を描く場所を持っていない人たちで、しつこく迫って強引に絵を描き始めるので注意してくださいと言われていたが、本当にそうだった。「Non」を連発して何人かは撃退したが、最後の一人が息子をモデルに切り絵を始めてしまい、気が付くと「あら、可愛いじゃん♪」という仕上がり。しょうがないから、16ユーロを10ユーロに値切って買いましたわ。日本人はいいカモかもね。 もっとも、これは後々いい思い出になること請け合い。時間があるなら、後でボラレないよう料金を確かめて描いてもらうのも悪くない。
→バスに戻る途中で見かけた彫像おじさん。いきなり動いて、道行く人々を笑わせていた。
これでパリ半日観光は終わり。バスは[オペラ通り]に戻り、パリ三越のお買い物で解散となった。わたしと息子は、今度は歩いてパリ市内観光へ繰り出すことにした。 |
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