2日目その2 パリ市内フリー観光2 |
パリの美しい景観を作り出している要因のひとつに、「看板がない」ことが挙げられる。
しかし、映画の広告だけは免除されているのか、どこでもデカデカと掲げられていた。
これはどんな映画なのかわからないが(サスペンス?)、男優の顔に見覚えがあったのでパチリ。うちに帰って調べたら案の定、「マリー・アントワネットの首飾り」に出ていたエイドリアン・ブロディという人だった。
この映画、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットが実際に巻きこまれた「首飾り事件」を元に描いた作品で、フランス行きが決まってから借りてきて予習的に観た。
内容の方はともかく、男優がかっこよかったのでなかなか楽しめた(ストーリーにちょっと嘘が多いのだ)。このエイドリアン君は主人公ジャンヌと名ばかりの結婚をした放蕩者という設定。そのわりに引き締まった見事なカラダつきをしており、真実味がな〜い!(でもかっこよかった。ジャンヌの愛人役を演じたサイモン・ベイカーも素敵だったのよ〜) |
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華麗なる迷宮ルーブル美術館。絵画と美術品の宝庫、ミイラまである。 |
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[オペラ通り]をてくてく歩いて、ルーブル美術館に到着。ここは明日の朝イチからゆっくり見て回る予定。今日はここに「カルト・ミュゼ・モニュマン」を買いに来たのだ。このパスを購入すると、ルーブル美術館を始めとする数多くのミュージアムや、凱旋門などの観光名所、寺院など60箇所ほどにフリーで入れる。1日券が16ユーロ。
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元はパリ随一の歓楽街、パレ・ロワイアル |
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次に[オペラ通り]をちょっと戻って「パレ・ロワイヤル」に立ち寄る。ここは無料。
ルイ13世の宰相リシュリューが1624年に建てた館で、当時は「Le Palais Cardinal」(宰相邸)と呼ばれていた。没後、ルイ13世に寄贈され、幼少期のルイ14世が母とともに隣のルーブル宮殿から移り住んだので、「パレ・ロワイヤル」(王宮)と呼ばれるに至った。 |
1790年にルイ14世の弟オルレアン公の手に渡り、のちに財政難のため回廊の中をテナントとして貸し出すようになった。現代のアーケード街の走りだが、当時は娼館などもあったとか。
そのため市民の憩いの場(盛り場とも言う)となり、大変な賑わいだったとか。ルイ16世の時代にはフランス革命に至る反体制主義者の巣窟ともなっていた。
その後、革命後の王政復古の時代に王位に就いたルイ・フィリップがアーケードから娼館などを追い出してしまったために寂れ始め、現在も相変わらず寂れたままになっている。
現在見られるストライプの柱は、近年になってダニエル・ビュランという芸術家が造ったもの。建物は16世紀、広場は18世紀、モニュメントは20世紀という、新旧ごっちゃな不思議な空間だ。 |
 | カールージュに乗って |
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わたしたちはルーブル美術館横のセーヌ川沿いにあるバス停からカールージュに乗った。
JTBからもらったパスを見せると、9箇所のバス停で乗り降り自由。エッフェル塔から始まり、ノートルダム寺院、ルーブル美術館、オペラ・ガルニエなどパリの主な観光地を周ってトロカデロ駅前で終わるルートとなる。
わたしたちはこのバスをよく足がわりに利用して回った。だが、8月の下旬でありながら、このときのパリはもう秋の気配。紅葉が始まりかけ、とっても寒かった。
夏の衣類しか用意してこなかったわたしたちは「寒い寒い」と体をさすり合いながら、2階席に座っていた。
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カールージュの1階に座っていたら、バスが騎馬警官を追い抜いていった。このあとバスはノートルダム寺院へ。すると同じ警官2人が馬で現れた。
さてこのノートルダム寺院、ディズニーアニメ「ノートルダムの鐘」の舞台にもなったゴシック建築の最高峰(とワタシとしては思ってます)である。
1163年着工、約170年の歳月をかけて完成。遠くから見たらチョコレートケーキの飾りのようなビラビラした装飾が、とっても美味しそうだ。(おいおい)
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またカールージュに乗って、次はオルセー美術館で降りる。
この美術館の建物は、もとは1900年パリ万博の際に建設されたオルセー駅だ。建物の両側にある大きな時計がとても目を引く。正面口前にはゾウとサイ(それとも恐竜?)の像が2体置かれ、これもまた目を引く。
実はこのオルセーからバスティーユ広場まで歩いていこうと思ったのだが、地図を見ると遠いので断念した。ノートルダム寺院からなら歩ける距離だったのだが、判断を誤ってしまった。
めんどくさくなって、ここでタクシーに乗りこみ、バスティーユ広場へ。カールージュはここまで走ってないし、地下鉄を利用するのは心配だったので仕方ない。(4.6ユーロかかりました) |
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 | オスカルが命を落とした場所(?)バスティーユ監獄跡 |
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1789年7月14日、フランス革命の火ぶたが切って落とされた民衆のバスティーユ監獄襲撃の舞台がここである。革命後、監獄は取り壊され、地下鉄のホームに土台の一部が残るのみとなっている。広場には後に勃発した7月革命の犠牲者を祭る記念塔が建っている。
また広場の横にはオペラ・ガルニエより収容人数が多くハイテクな新オペラ座(オペラ・バスティーユ)が建つ。
で、このバスティーユ監獄がなぜ攻撃されたかというと、過去多くの政治犯が収容されてきたため君主専制と圧政の象徴と思われたからだ。
元はパリの街を守る要塞だったが、アンリ4世の時代から牢獄として使用されるようになった。18世紀には、8つの塔と頑強な扉を備え、周囲に幅26メートル、深さ8メートルの掘りをめぐらせた堅牢な建物となった。デュマ作「三銃士」で有名な、あのレオナルド・ディカプリオも演じた「鉄仮面」もここに収容された時期があった(1698年入獄〜1703年死去)。
しかし、1789年の襲撃当日収容されていた囚人はわずか7人。それも紙幣偽造など、政治犯や思想犯とはほど遠い受刑者ばかり。獄内の生活もかなり自由が利いて快適なものだったようで、圧政の象徴とは言いがたい現状であった。
宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」では、衛兵隊長オスカルが「まず手始めにバスティーユを攻撃しよう!」と呼びかけていたが、それはないんじゃないの、てなシーンの代表格となっている。
ちなみに「鉄仮面は何者か?」という歴史の謎については、諸説いくつかある。
個人的に好きなのは、「ルイ14世の双子の兄(弟)説」。「三銃士」ではこれを採択している。藤本ひとみ著「ブルボンの封印」では、やはり形を変えながらルイ14世の兄弟説を採っている。
次に、「ルイ14世の母、アンヌ・ドートリッシュの私生児」説。「ルイ14世にそっくりなので仮面を被せられた」というものである。これは桐生操氏の著書に記されている。
ここでウンチクをたれておくと、囚人が被っていたのは鉄の仮面ではなく、ビロードの仮面であった。鉄仮面といった方がインパクトが強いため、小説ではそういうことにされたのだろう。
確かにビロード仮面というより鉄仮面の方がおどろおどろしい印象が強い。
この囚人、しゃべることを堅く禁止されている他は、食事などの待遇は非常に良かった。ただ、看守は、囚人がもしなにか話そうとしたら、ただちに殺すよう命令を受けていたという。 |
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さて、いよいよ夜になった。夕飯はどうしよう? 息子と色々調べた結果、日本人シェフがやっているというフランス料理店に行くことにした。まずはいったんオペラ座界隈に戻り、プランタンで香水を買ってからホテルに戻り、少しおしゃれな格好をしてから、また歩いて向かったのだった。
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★お・ま・け★
プランタンで買ったマカロン。写真がピンぼけになっちゃったけど、お菓子は美味しかったです。
フランスで有名なお菓子というとこのマカロンだけど、実は食べるのは初めてだった。ふんわりサクサクッとした触感がなんともイイ。今度デパ地下に買いに行こ! |
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