6日目 パリ発、レンタカーの旅7
 
最終日、ロワール地方の古城めぐり2〜ショーモン・シュル・ロワール城
 シュノンソー城を出たのが、午前10時40分頃。次の目的地はロワール地方最大の規模を誇るシャンボール城だ。
 が、たまたまショーモン城とブロワ城のすぐそばを通ったので、車を停めて外から見学した。
 画像はショーモン城。下から仰ぎ見たので屋根しか見えなかった。
 他の城などと同様、元は要塞として築かれたショーモンは、1550年まで永らくアンボワーズ家の所有であった。
 その後、カトリーヌ・ドゥ・メディシスが12万リーブルで城を購入した。
 アンリ2世没後の1559年、カトリーヌは愛妾ディアヌにシュノンソー城の返還を要求した。もともと王家の所有だったものを、ディアヌが計略を用いて領主権を得たのである。カトリーヌの要求は当然なものであった。
 ディアヌは交換に応じ、城を修復させ、頭文字や紋章で飾らせたりした。が、結局ふるさとのアネ城を好み、ショーモンにはほとんど滞在しなかった。こっちの領地からの収入の方がシュノンソーよりも多かったというから、とりあえず受け取っておいたというところかもしれない。
 ショーモン城はぱっとしない城だろうと勝手に思いこんでいたが、写真で見る限りそうでもない。
 むしろ、丸い塔にとんがり屋根といった組み合わせがお伽話に出てくる城を連想させ、ロマンティックですらある。ロワール河に面しているので眺めも悪くない。
 いや、ディアヌにしてみたら、「そんなのは関係ないのよ」と言うかもしれない。
 意趣を凝らして改修を施した城と庭園には当然愛着があり、他のどんな城にも換えがたいものだったのだろう。しかも、シュノンソー城にはアンリ2世と過ごした思い出も詰まっているに違いない。
 それを知っていて、あえてシュノンソーを取りあげたカトリーヌ、なかなかに底意地が悪い。長年虐げられ続けた正妻の怨念と恨みが、そこにこめられている。
 ←こちらの2枚はガイドブックから転載。シュノンソー城に引けを取らない美しい城である。
 
ブロワ城
 さらにシャンボール城を目指して走っていると、もうちょっとという頃に今度はブロア城の前を通った。周辺の道路が狭くて停めることができず、撮影はできなかった。
 ブロア城はフランスで初めてルネッサンス様式を取り入れた城として注目される。4世紀に渡って増改築されたため、様式の違う4つの棟が中庭を囲んで建っている。見所は1515年にフランソワ1世の命で着工された塔に創られた螺旋階段、カトリーヌ・ドゥ・メディシスの書斎、ルイ12世棟、ガストン・ドルレアン棟など。
 ロワール河の北岸に開けたブロワ町の高台にあり、ブロアとは先住民族ケルト人の言葉で「狼」。古くから流通の中心として栄えてきた。
 中世にはフランス最大の封建領主ブロア伯の領地だったが、14世紀末に王弟オルレアン公がこの伯爵領を買いとる。
 オルレアン公の息子シャルルがサロンに多くの芸術家を集めたため、ブロアは地方宮廷として華やぎ始める。そして1498年、シャルルの息子がルイ12世として国王となり、アンボワーズにかわって王城となった。
 続く100年の間にフランソワ1世、アンリ2世、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世と6人の王がこの城を拠点としたため、ブロアは王都として栄えた。
 宮廷が置かれた城につきものの血なまぐさい事件も残っている。フランソワ1世塔の執務室では1588年、宰相ギース公爵が暗殺された。ギース公はアンリ3世を廃位しようと企てていたのだが、それが発覚。ブロワ城に呼び出され、暗殺されたのである。
 そのアンリ3世も翌年には暗殺され、ヴァロア朝は断絶。ブルボン家のアンリ4世が即位して宮廷はパリに移り、ブロア城は次第に寂れていった。
ギース家についてはカトリーヌ・ド・メディシスの項をご覧下さい。
翌年、ブロア城を見学したときの旅行記はこちら
 
シャンボール城Chateau de Chambord
 さて、いよいよ最後の城となるシャンボール城。ブロワの街からは約15キロほどのところに位置する。
 敷地内のソローニュの森は野生動植物の宝庫として有名で、ガイドブックにもそれらの写真が掲載されていた。城を含む広大なソローニュの森は国有地だそうだ。
 城へ至る一本道は有名観光地とも思えぬ気配で、なにやら心配になってくる。
 やがて道の突きあたりに城の尖塔が見えてきて、ホッと一安心。
 森を抜けると駐車場があり、観光バスやキャンピングカー、乗用車などが停まっていた。ここにはキャンプ禁止の看板があるが、すぐ近くにキャンプ場がある様子だ。
 ロワール地方最大の城というシャンボール城であるが、そんなに大きな城の駐車場としては意外と小規模な印象。平日だったせいか、八割ほどの入りだった。
 駐車場はもちろん無料。日本だったら千円くらい徴収されているところだ。
 駐車場から歩いて城へ向かう。
 急に視界が開けた先に大きな城が現れ、思わずおおーと声を上げる。
 これは素晴らしい。
 確かに、今まで見学してきた中では最大規模だ。その雄大さ、華麗さはロワール随一といっても過言ではない。
 女性的な感じのするシュノンソー城に対して男性的と言われるシャンボール城であるが、ショーモン城の丸っこい形が似ていて、可愛らしい印象もする。
 晴れていれば白亜の建物が美しく生えたのだが、今日はどんより曇った雨降り。少し残念な天気だった。
 シャンボール城は”建築オタク”フランソワ1世が、元は狩猟館だったものを増改築した城。イタリア芸術を愛しルネッサンスを奨励した王が、レオナルド・ダ・ヴィンチに設計を命じたという。
 日本語パンフによれば、この頃の日本は「足利将軍による室町幕府の時代で、天皇と戦国大名との争いが絶えず続いていました」とのこと。つまり、応仁の乱(1467〜1477年)によって幕府の屋台骨が揺らぎ始め、織田信長が天下取りに動きだす少し前の時代だ。
 城の工事はフランソワ1世弱冠24歳の1519年から始まり、現在の幅156m、奥行き117m、高さ56mの城郭となったのは1537年のこと。それでも完成を見ることなく、1547年に王は亡くなっている。ちなみに1519年は王の次男アンリ2世、そしてその妻となるカトリーヌ・ドゥ・メディシスが生まれた年でもある。
 城の工事はなお続けられ、アンリ2世が亡くなっても未完成の部分があったという。結果的に、完成までは140年もの年月が費やされ、426の部屋と282の暖炉、77大階段が配された。
 城から少し離れたチケット売り場で料金を支払い、城の内部に入る。職員の数もインフォメーションコーナーといった設備も、他の城よりだいぶ大がかりな感じだ。でも、オーディオガイドを借りたかったのに、日本語のものはなかった。これだけ日本人観光客が多いのだから、日本語ガイドも揃えてほしいものだ。日本語で書かれたパンフレットはあった。
 シノン城にも社会科見学の小学生が来ていたが、ここにも同じような子どもたちが大勢来ていた。日本同様、5月は社会科見学シーズンなのだろうか。
 それにしても、雨が降っているというのに傘を持っている生徒は誰一人おらず、レインコートすら羽織っていない。傘を差しているのは引率の教師だけというのも、ちょっと奇妙に感じた。
 日本の小学校だったら、しおりの持ち物欄に「雨具」と書いてあるのが常なのだが、フランスではそこまで指導しないのかもしれない。
絵画陳列室
 
 かつて何度かこの城を訪れたルイ14世の頃には控えの間として使われ、ルイ15世の時には、その愛妾ポンパドゥール夫人を城主サックス元帥が迎えた部屋でもある。
 シャンボール城はフランス革命時の略奪などで家具調度や装飾品はほとんど失われてしまい、古い時代のものは残っていない。シュノンソー城と比べてみると、ガランとした部屋が多い印象だ。
 この部屋を埋め尽くす肖像画は、革命後に城主となったシャンボール伯爵が父ベリー公爵の城、ロスニーから運んだコレクションが中心となっている。
二重螺旋階段
 
 この城の中心部にある、2つの螺旋階段を組み合わせた不思議な造りの階段。屋上のテラスへと続く大階段で、ダ・ヴィンチが考え出したものと言われている。
 どちらか一方の階段を昇り降りしても、反対側の階段を昇り降り人とは絶対にすれ違わないというトリッキーなもの。
 ダ・ヴィンチは城の基本設計にも大きく貢献したと言われ、ロワール河の方から見たシンメトリーな姿は彼ならではの様式美かもしれない。
 ダ・ヴィンチは城の建築が始まった年に、アンボワーズ城近くのクロ・リュセで亡くなっている。
フランソワ1世の寝室
 北東棟にあるフランソワ1世の居室群のひとつで、寝室は2階にある。
 金糸で縫いとられたビロードの天蓋が豪奢なベッドは16世紀当時のもの。
 フランソワ1世はこの部屋のステンドグラスの一枚に「女は皆心変わりするもの、それを信じるものは愚か者」という言葉を刻ませたという。おいおい、じゃあ男は心変わりしないんかあ?と思ったのはわたしだけだろうか。
フランソワ1世の執務室
 
 イタリア・ルネッサンス風の小さな部屋。半円アーチの格天井にはフランソワ1世の紋章サラマンダー(火トカゲ)と王の頭文字Fが彫りこまれている。
王の寝室と儀式用の寝台
 
 王の起床と就寝の儀式が行われた祝典用寝室。
 下は王妃の寝室。
馬車の間
 
 王が城にやってくるときは、大臣、政府の役人、王妃や王族の従者もともに従った。長持、寝台、壁掛け、タピスリー、芸術品、書物、テーブル、椅子などを持ち込み、たいへんな数のキャラバンとなったという。
 フランソワ1世の32年間の統治生活の中でシャンボールで過ごした日数はわずか72日。最後にこの城を訪れたのは、1545年2月から3月にかけてだった。王はロワールの城よりフォンテーヌブロー宮殿の方に魅力を感じるようになり、18年もの歳月、シャンボール城から遠ざかっていた。
 息子のアンリ2世、王妃カトリーヌ・ドゥ・メディシス、3人の王を含む子どもたちは、狩猟のためにたびたび滞在している。
 その後、1685年までルイ14世の宮廷が定期的に移動してきていた。また、ルイ15世の舅、スタニスラフ・レグザンスキがポーランド王位を追われた後、この城を与えられて8年間住んだ。
 1746年、サックス元帥に恩給としてシャンボールが与えられ、フランス革命後はナポレオンによりベルティエ元帥に与えられた。
 1930年、フランス国家がシャンボールを再取得し、修復を施して現在に至っている。
 ↑上は投石機と思われる。そう言えば、「タイムライン」という映画でこんな感じの武器が登場していた。物語の舞台は中世フランス、イングランドとの百年戦争の最中である。現代からタイムスリップした若者が中世のフランス人と一緒にイングランドと戦うという内容だった。
 娘は「ミッキーの三銃士」というアニメでこの投石機を見たと言っていた。このアニメには牢獄としてモン・サン・ミッシェルも登場し、満潮時には囚人のいる牢屋に海水が満たされるという恐ろしい内容であった。
 これでお城見学はすべておしまい。完全に予定通りというわけにはいかなかったが、まずまず合格といったところかな。
 なにより無事に見たい城を見つけられ、見学できたことが嬉しい。
 わたしたちは小雨が降りしきるなか駐車場に戻り、車に乗りこんだ。
 フランスでいいのは、こうした観光用の駐車場で料金を取らないことである。
 しかも、すぐ近くにはオートキャンプ場もある。いつかキャンピングカーをレンタルして城めぐりをしたいものである。
Chateau de Chambord
場所:ブロア駅から車で20キロ。
時間:9時〜18時15分(10〜3月は17時15分まで))
休館日:なし
料金:7ユーロ
サイト http://www.cambord.org


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