3日目 ヴェルサイユ宮殿1日観光 Part3
 
  ヴェルサイユ宮殿へ
 駅を出て、ヴェルサイユの街へと出る。駅から宮殿までは徒歩7〜10分ほど。なんでも、他に Versailles-Chantiers(ヴェルサイユ・シャンティエ駅)というのもあるそうで、そこから宮殿までは徒歩20分もかかるとか。
 娘の体力を考えてなるべく歩きたくなかったので、このルートを選んで正解だった。
 角を曲がるとヴェルサイユ宮殿が見えてきた。
 宮殿前広場の手前に、なんともラフな印象の駐車場。大型車用のスペースもある。
 とても空いていて、係員がいるわけでもない。どうやら終日無料のようだ。
 日本の観光地なら周辺道路が渋滞し、係員が赤い棒を振り回していることだろう。そしてビックリするほど高い駐車料金を徴収されるに違いない。
 土曜日だというのに、午後になってもずっと空いたままだった駐車場。このゆるゆるとした雰囲気が凄くフランスっぽくて好き。
 で、これがヴェルサイユ宮殿の全景。昨年8月に訪れてから、9ヶ月ぶりの再訪である。
 見た目にはなにも変わっていないようであるが・・・。
 前庭は、見るも無惨な工事中だった。ルイ14世の騎馬像もない。
 ※工事前の前庭はこちらでご覧下さい。
 土曜日だったので工事はお休み。重機は放置され、掘り繰り返された土もそのまんま。
 初めて訪れた人はきっとガッカリしていることだろう。他の観光客がとても気の毒に思えた。
 
  ヴェルサイユ宮殿、王の居殿
 まず最初に、「王の居殿」から見学することにして、C2入口に並ぶ。ここは1日パスポート所持者でないと入ことのできない見学コースで、マイバスなどの団体ツアーでは見学できない。
 9時にオープンするはずなのに、さすがフランス、時間通りには開かない。赤い上着を着た女性係員が煙草を吸いながら、ドアの前に立ちふさがっていた。
 中の準備が調わなくて彼女も待っているんだろうけど、それにしても客の前で堂々とタバコをふかすっていうのは、日本の感覚からして、どーも。先進国の中で日本は喫煙大国だと言われているが、フランスはそれ以上である。
 5分遅れでオープンし、オーディオガイドの貸し出しカウンターへ。日本語のガイドも揃えており、無料で借りることができる。
 ファルフェを提示して2つ借り受け、娘と一緒にガイドを聞きながら見学することにした。
 が、後でよく考えると、ファルフェを持っているのはわたしだけ。娘はいわばタダで入場するわけだから、オーディオガイドは駄目と言われてしまえばそれまでだった。でも、なにも言われず貸してもらえた。さすが、鷹揚なフランス人。当然のように二つ貸してと言ったわたしもわたしだけど。(日本なら駄目って言われそう)
 さて、この大理石の階段は「王妃の階段」と呼ばれ、文字通り王妃の居殿に通じている。正殿の「使節の階段」と対比をなすもの。
 「王妃の階段」を登り、最初に入るのは「衛兵の間」。
 ガイドは王の1日をたどる進行になっている。朝、王が寝起きをする居殿には陳情に訪れる人々が殺到する。ここはその控えの間だそうだ。
 陳情にやって来た、身分ある人が乗る輿が置かれている。
 「第一控えの間」。大会食の間とも呼ばれ、王はここで人々に見守られながら食事をした。
 毎週月曜日、王の恩赦を求める嘆願書がここに置かれたという。
 「第二控えの間」は貴人の控えの間とも呼ばれる。廷臣たちが隣室の王の起床を待っていたという。
 白馬にまたがっているのは、おそらくルイ15世だろうか。
 「王の寝室」。1688年、ルイ14世と王妃共通の大広間として造られた部屋で、王妃の死後、「王の身支度を整える間」となった。
 1701年には王の寝室として改装され、毎晩、王の起床就寝の儀式が行われた。曾孫であるルイ15世が「大理石の内庭」の北に寝室を移すまで王の寝室として使われた。
 1723年から1785年までの王室財産目録に従い、寝台、椅子二脚、折りたたみ椅子が再現されているという。
 錦織については、現在に残る見本帳から、マリー・アントワネットの冬の寝室用に使われた錦織を元に再現している。
 ベッドの天蓋の上には「王の眠りを見守るフランス」という題の浮き彫りがある。フランスを女性として人格化して表現しているという。
 「太陽王」と異名をとったルイ14世は朝日を浴びて起床することを好み、こうして日差しが注ぎ込む場所に大きな円窓を造らせたんだとか。
 時は移り、ルイ16世の御世。1789年10月6日、革命勃発から三ヶ月後のこの日、パリからヴェルサイユへ怒りの行進をした民衆は、ついに早朝のヴェルサイユ宮殿に乱入する。王妃付きの近衛兵は「衛兵の間」において怒れる暴徒と戦い、王妃の寝室から王の居殿へとマリー・アントワネットを逃がした。
 近衛兵の犠牲により、アントワネットは命からがら王の寝室へ逃れた。
 「大理石の内庭」には群衆が集まり、国王夫妻はバルコニーに姿を現す。マリー・アントワネットが群衆にお辞儀をしてみせたというのが、このバルコニーなのである。
 もう勝手は許しませんとばかり、パリに連れ戻された国王夫妻はチュイルリー宮殿に幽閉され、二度とこのヴェルサイユ宮殿に戻ってくることはなかった。
 「閣議の間」。皇太子の結婚の契約や、日々さまざまな閣議が開かれ、また家族を集めての食後の祝福などが行われたりした。
 ルイ15世時代の時計、ルイ16世時代のセーブル焼きの壷などが置かれている。
 未だ工事中の「鏡の間」を通る。わたしたちはまだ「王の居殿」の見学途中で、正殿の見学客がこちらに来ないよう、ロープで仕切られた壁側を歩くようになっていた。
 こちらが工事中のため防護壁に覆われた鏡の間。一度きに工事してしまわないよう、段階的に進めているのだとか。
 左側の細い通路が、「王の居殿」見学コース。別料金なので、係員が厳しく見張っている。
 鏡の間に出たところで見学はもう終わったと早合点したが、実はまだ続いていた。鏡の間を通過し、最初の方で見学した「第二控えの間」を通って、再び「王の居殿」の見学コースに入るようになっている。
 とても王様が使用していたとは思えないほど質素な内階段。階下にある王太子や王女の居殿に通じている。
 2階の「鏡の間」の真下に位置する「第一控えの間」。王子・王女の肖像画がかけられた、小さくシンプルな部屋だ。
 ここからが「ヴィクトワール王女の居殿」と名付けられた居殿となる。 
 「ヴィクトワール王女の大居室」。以下の部屋は、当時の人々が進んでいったのとは逆の方向で見学するようになっている。つまり、有料ガイドブックに載っているのとは順番が逆なのである。
 現在の間取り、装飾は、皇太子だった頃のルイ15世と2番目の妻マリー=ジョゼフ・ド・サックスが使っていた時代のものだという。
 「ヴィクトワール王女の大居室」に掛けられたマリー=ジョゼフ・ド・サックスの肖像画。
 これがルイ15世の王女ヴィクトワール。
 劇画「ベルサイユのばら」には、マリー・アントワネットにルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人の悪口を吹き込む、陰険で意地悪そうな大叔母として登場している。
 女の子のドレスを着る王太子。当時の習慣として、男の子は7歳になるまで女の子の格好をさせられたという。おそらく男子は病弱で早死にしやすかったので、女子の姿をさせたのだろうと思う。
 左の2枚の画像は、上が「皇太子の寝室」、下が「皇太子の大居室」と呼ばれるところ。皇太子という名が付いてはいるが、幾たびかの改装を重ねつつ、いろんな人々が代わる代わる住んだ。元はといえばルイ14世の湯浴み殿だったが、その後、愛妾モンテスパン侯爵夫人、トゥールーズ伯爵夫人、ルイ15世寵姫ポンパドゥール夫人、そしてヴィクトワール王女とアデライード王女と、時代につれてあるじが変わった。この2王女はフランス革命のその日まで、この居殿に住んでいたという。
 革命後はルイ・フィリップ王が元帥の部屋として使用した。 

 ←有料ガイドブックには写っていなかった天空儀と地球儀が公開されていた。

皇太子の図書室」。ここまでが「ヴィクトワール王女の居殿」となる。
 次からは「アデライド王女の居殿」とガイドブックにある部分。この王女もルイ15世に愛された。
 左は「皇太子妃の居室」、右は「皇太子妃の寝室」。あるじが変わるたびに改造されてはいるが、マリー・アントワネットも皇太子妃時代、ここに住んだ。ルイ16世が国王となると、プロヴァンス伯爵夫妻が住んだり、王子・王女が使ったりした。
 大広間。ガイドブックに載っていないのでどういう部屋かわからないが(オーディオガイドの説明も忘れてしまった)
 展示されていた古いシャンデリア。

 上は、蒔絵で装飾されたタンス。
 左、幼くして即位したルイ15世。
 これで見学コースはおしまい。実は、まだ入れていない居室の数々があるのだが、そこへは特別に申し込んだガイド付きツアーでしか入ることができないのだろうと思う。
 例えば、ルイ15世が新たに作らせた内殿、新殿、デュ・バリー夫人の居殿、そして王室オペラ劇場などだ。


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