2日目中盤 凱旋門へ
 アルマ広場からエッフェル塔を望む。黄金の「自由の炎」にはダイアナ妃を偲ぶ白バラが捧げられていた。この広場の真下を通るトンネル道で、ダイアナ妃が壮絶な事故死を遂げたのである。
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 ところで、エッフェル塔から凱旋門に向かおうとして、うっかり反対側行きのバスに乗ってしまった。一方通行が多いパリならではの間違いである。慌てて乗り直したが、カルネを2枚無駄遣いしてしまった。
 で、ようやく凱旋門に辿り着くや、一台の車を取り締まっている警官に出くわした。片足をポールにかけて書類をしたためる女性警官のかっこいいこと。いや、日本で女性警官がこんなカッコしていたら、非難を浴びるんじゃないかしら。
 いままで車中からしか見ることのなかった凱旋門。やっぱり直に見る迫力は違う。それにとても美しかった。
凱旋門とナポレオンについての詳細はこちら
 凱旋門はシャルル・ド・ゴール・エトワール広場の真ん中に立っており、車が常にまわりを走っている。信号も横断歩道もなく、車はノンストップ。そのため道路を歩いて横切ることはできない。
 ではどうやって凱旋門のたもとに行くかというと、地下道を通って門の真下に出るのである。
 凱旋門を真下から見上げたところ。別のページでも書いたが、この門を造らせたナポレオンも完成時にはこの世になかった。流刑先のセントヘレナ島から亡骸が運び出され、棺に入れられて、荘厳な行列とともにこの門をくぐったのである。
 主に外側の壁面にはフランス軍の戦闘の様子を描いたレリーフが飾られ、内側には、フランス革命後からナポレオン1世の帝政時代の重要な会戦に参加した660名の将軍名が名前が彫られているという。地下には第一次世界大戦で死亡した「無名戦士の墓」があるのだそうだ。
 今日は記念日だったのだろうか、式典の後のようだった。たくさん飾られていた生花が片付けられている最中で、周囲には花の香りがたちこめていた。
 銅色の丸いものは「永遠の炎」と呼ばれており、1920年に「無名戦士の墓」とともに造られたという。
 凱旋門を登るには階段、エレベータの両方を利用することもできる。有料だが、カルト・ミュゼ・モニュマンが使える。
 わたしたちはエッフェル塔で高いところを満喫したので登らなかったが、実はエッフェル塔からの眺めよりもよいという声も聞く。登ればよかった。
贖罪礼拝堂
 次の見学地へも、路線バスで移動した。オスマン通りから一本入った所にある「贖罪礼拝堂」に向かう。
 1793年1月、革命広場(その後、コンコルド広場に改名)においてルイ16世が、その9ヶ月後には王妃マリー・アントワネットが処刑され、遺体はマドレーヌ墓地に運び込まれた。
 藤本ひとみ氏の小説「マリー・アントワネットの遺言」によると、もともと尼僧院の菜園だったものを1793年に革命政府が没収し、コンコルド広場の断頭台で処刑された人間の遺体を埋めるのに使ったという。
 コンコルド広場に断頭台が置かれていた2年弱の間(悪臭に対する近隣住民の苦情が殺到するため、処刑広場は時々移転した)に処刑された1,113名の遺体は、すべてここに運ばれたという。
 その後、王党派の人間がこの土地を買い取り、隣に家を建てて王家の神聖なる地を守り続けた。王政復古後、フランスに帰還したルイ18世(王弟プロヴァンス伯爵)がこの土地を買い取って建てさせたのが、「贖罪礼拝堂」である。
 実は前回のフランス旅行でも訪れているのだが、朝早い時間だったため中に入れず、今回二度目の訪問となった。
 外側はその名も「ルイ16広場」という緑豊かな公園で、市民の憩いの場となっている。
 ここはカルト・ミュゼ・モニュマンで入場できる。パスを見せると、係員が「英語の解説がいるか?」と訊いてくる。思わず「Yes」と答えると、A4版のクリアケースに入れた英語の解説文を持ってきてくれた。ううーん、日本語のはないんかいな。ルイ16世とアントワネットって、日本では結構人気があるのよー。
 石造りのゲートをくぐって中に入っていくと、バラの茂みに包まれるようにして礼拝堂が建っていた。
 中は広いホールになっていた。
 正面には祭壇、左右にはルイ16世とマリー・アントワネットの彫像が向かい合って建っていた。
 どうやら、罪を悔い改め天使によって救済される国王夫妻、という構図のようだ。
 こちらがルイ16世。
 そして、こちらがアントワネットさん。
 処刑直前、コンシェルジュリ牢獄に投獄中のアントワネットの肖像画。模写かコピーだと思われる。
 実は前の週、これの本物を江戸東京博物館の「ナポレオンとヴェルサイユ展」で見ているのだ。やつれてはいるものの気品を失わない表情に、胸を打たれたものである。
 地下に降りていくと、もうひとつ祭壇が設けられていた。 
 掘り起こしの計画が持ち上がった当初、国王夫妻の遺骸がどこに埋められているのかわからず、当時の穴掘り人夫を連れてきてやっと掘り起こしたという。適当な埋葬ながらも、「身分のある亡骸は両足の間に頭を置く」という一応のルールにのっとって埋葬されていたという。
 ルイ16世夫妻の亡骸は王家の霊廟サン・ドニ大聖堂に移され、手厚く葬られた。今でもその地下に眠っている。
 そして、この「贖罪礼拝堂」の地下には、現在でも革命犠牲者の亡骸が埋葬されているという。
サント・シャペル教会とノートルダム寺院の彫像
 このあと、またまた路線バスでシテ島に渡る。前回も見学したサント・シャペル教会ノートルダム寺院のステンドグラスを再び見たくての再訪である。
 今回、たまたま面白いものを見つけたのでご紹介しておく。サント・シャペル教会の横を歩いていたら、柵の中にワイヤーで固定された天使像があった。
 ずいぶんぞんざいな展示方法だなと思ってみると、足元を見て大笑い。
 なんと、天使はひっくり返ったカメの上に乗り、さらには杖で押さえつけていたのである。
 かわいそうなカメさん、とつぶやく娘。
 「いやいや、このカメはきっと悪いことをしたカメなんだよ」と、わたし。
 教会などをまわっていると、退治した悪者を踏みつけにしている彫像はよくお目にかかる。
 わたしなんかは娘同様、踏みつけられている方に思わず同情してしまうのだが・・・とってもキリスト教的な一面を垣間見たような気がした。
 キリスト教的と言えば、自分の首を自分の手で持つこの聖人のことを忘れてはならない。
 ノートルダム寺院の「聖処女の扉」(1210〜1220年頃)横にある彫像で、自分の首を持っているといえば、これはもう聖ドニ(サン・ドニ)しかないだろう。
 聖ドニは3世紀頃、宣教のためにローマ教皇からパリに派遣され、パリの初代司教となった。
 モンマルトルの丘で首をはねられ処刑された聖ドニは、自分の首を抱えて数十キロ歩き、やがて力尽きて倒れた。その場所に彼の墓所がつくられ、サン・ドニ教会の原型となった。一説によると、この聖ドニの伝説と後に現れた別のドニさんとが混同され、ごっちゃになって祭り上げられたんだとか。
 王家の霊廟があり、上記のマドレーヌ墓地(贖罪礼拝堂)から掘り起こされたルイ16世とマリー・アントワネットの亡骸がここに移され埋葬しなおされたということで、あさって土曜日 向かう予定になっている。


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