オペラ・ガルニエ
 ナポレオン3世統治下(在位1852年〜1870年)の第2帝政時代に進められたパリ大改造計画の一環として建てられたオペラ・ガルニエ。
 デザインはコンクールにより、171ものプランが集められた。その中から当時まだ無名だった35歳のシャルル・ガルニエの案が選ばれ、古典様式とバロック様式が取り入れられた劇場が1875年、完成した。
 建設中、セーヌ川による地下水脈にあたったりして工事は難航、けっきょく15年もかかった。
 地下水は貯水湖として残され、それが「地下には怪人が住んでいるらしい」という伝説の元となったらしい。実際、建設中の幽霊話や陰惨な事件などもあったという。
 幅125m、奥行き73m、床面積1万千uの劇場は世界最大級を誇り、抱える劇団員も1,100人以上である。
 屋根の上に燦然と輝く黄金像は、左が「音楽のアポロン」、右が「詩のアポロン」だそうだ。
 これが、オペラ座を設計したシャルル・ガルニエ。この黄金像は正面ではなく、建物の側面にある。
 落成式に呼ばれなくて、ガルニエは怒ったという逸話が残っている。
 ナポレオン3世はバロック様式が大好きで、この当時皇帝の好みにより作られたバロック式建築は「スゴンタンピール(第二帝政式)」と呼ばれている。
 ガルニエは皇帝の好みを取り入れつつ、他にも様々な建築様式を用いたためレポレオン3世の皇妃ウージェニーには不評だったそうだ。「節操がない」と思ったのだろうか。
 「これは何様式ですか」という皇妃の問いに、ガルニエはすかさず「ナポレオン3世様式でございます、陛下」とゴマをすったという。
 1870年、ナポレオン3世はスペイン王位継承権をめぐってプロイセンと争い、自ら出陣した。だが、腎臓結石が悪化したせいで移動できなくなり、包囲されて降伏した。
 結局、暗殺を恐れてオペラ座に専用出入口まで作らせたナポレオン3世は、一度も劇場を利用することなく退位した。
 皇帝不在となったフランスでは第三共和政が誕生。だが、降伏に抵抗したパリ市民が蜂起し、史上初の労働者による革命政権パリ・コミューンが樹立した。
パリ・コミューンについての詳細はこちら
 妙にリアリティのある彫像が入り口部分壁を飾る。
 偉大な音楽家・バッハの横顔も彫られている。
 1990年からはバスティーユにできた新しいオペラ・バスティーユにオペラの殿堂としての場が移り、こちらは現在バレエを中心に公演するようになった。だが、オペラファンの要望に応えて、最近またオペラの上演も再開されているそうである。
 公演やリハーサルがない時は客席内の見学も可能である。しかし、ホテルから近いからいつでも見学できると思って後回ししていたら、とうとうチャンスを逃してしまった。シャガールが描いたという天井画を見たかった。
 エッフェル塔に登れなかったのに並んで、超・悔しかったことのひとつ。アイフルのコマーシャルではないが、「事前にしっかり計画しましょう」である。
 
 ◎2006年5月、入場したときの模様はこちら
 ◎2007年5月の模様はこちら
 
併せてご覧ください。



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