ルーブル美術館Part1
◎Part2はこちら。「エロスの接吻で目覚めるプシュケ」の壁紙あります。
2006年の旅行記に「ポンパドゥール侯爵夫人」、ブーシェ作「ディアナの水浴」、
シャルダン作「赤エイ」が紹介してあります。

◎2007年旅行記でのルーブル美術館のページはこちら
 もともとパリは、セーヌ川に浮かぶ小さなシテ島にパリシイ族という人々が紀元前3世紀頃に移り住んできたのが始まりだった。
 1190年頃、カペー朝のフィリップ2世がシテ島を防御するためルーブルの地に城塞を築いた。今でも地下に復元された城塞の遺構「中世ルーブルの壕」を見ることができる。
 やがて16世紀、ヴァロワ朝のフランソワ1世が現在シュリー翼と呼ばれている正方形の王宮を建て、ルーブル宮としての歴史が始まった。美術品の収集を精力的に始めた王が最初のコレクションとしたのが、かの「モナ・リザ」である。
 宮殿はその後、ナポレオン3世の時代に至るまで増築を重ねていき、現在はコの字型を描く形となっている。
 左の画像の、ピラミッド越しに見える棟がフランソワ1世が最初に建てたシュリー翼である。
美術館にはいるときの様子はこちら
【建物の概要】
 朝9時。ピラミッド口から入場し、半地階からドノン翼に入った。まずは混み合う前に「モナ・リザ」を観賞しておこうという作戦だ。
 上の画像や地図を見ていただければおわかりだが、ルーブル美術館は半端な規模ではない。もともと宮殿だし、長年にわたって増改築を重ねているから、異様に入り組んでいる。
 だから、どこをどう歩いていってそこに至ったかなんてことは、さっぱり覚えていない。ここを隅々まで見学して歩くことは、かなりの体力を要する重労働である。
 ドノン翼を上に上がっていくと、荘厳な雰囲気の廊下が長く延びていて、その先の「ダリュの階段踊り場」に「サモトレケのニケ」が置かれていた。
 紀元前2世紀初めに造られたもので、勝利の女神ニケを表わした像。エーゲ海のサモトラケ島から出土したものなので、この名がある。
 軍船の舳先に付けられる、勝利を表わすモニュメントだそうである。 
 後でこの踊り場を通ったら、待ち合わせの人たちやツアー客らでごった返して立錐の余地もないほどだった。
 
※注意:ルーブル美術館では絵画の写真撮影が禁止となりました。これ以降掲載されている画像は、禁止される以前に撮影したものです。
 壁に「La Joconde」という案内表示が頻繁に出ているので、それに従って進む。
 「ジョコンダ」は「ジョコンダ夫人」、つまり「モナ・リザ」のことである。日本ではモナ・リザの名で親しまれている名画であるが、イタリアやフランスでは「ジョコンダ」が通称。
 説明するまでもないが、レオナルド・ダヴィンチによって1503年から1506年頃の間に描かれた女性の肖像画である。中央公論社刊「ルーブル美術館の絵」によると、イタリア・フィレンツェのフランチェスコ・デル・ジョコンダの妻と考えられている、と記されている。
 またルーブル美術館の8ユーロのガイドブックによれば、女性の名は「リザ・ゲラルディ」となっている。
 ダヴィンチが最後まで手元に残した作品で、その死後入手したフランソワ1世がルーブル宮最初のコレクションとした。
 以前、ビートたけしが取材した「モナ・リザはもう一枚存在した!」という内容のドキュメンタリーを観て以来、わたしは実物を見てみたくなった。
 フランス旅行の目的はヴェルサイユ宮殿の見学が第一番だが、次にはこの「モナ・リザ」の観賞が挙げられる。
 標識に従ってだだっ広い展示室を歩き続け、ようやく辿り着いた、モナ・リザ=ジョコンダ。
 絵の前には一人のマドモアゼルが佇んでいるだけで、ひっそりとしている。変な表現だが、わたしたちは二番乗りに違いない。
 はやる気持ちを抑えて、ジョコンドに詰め寄る。手前に手すりがあるので、これ以上近づけない。もっと鼻がくっつくくらい近づかないと、よくわかんないよ。
この絵画、元々はもっと大きなものだったのが、まわりが切られて窓を縁取る付柱などが失われているのだそうだ。
 もっとずっと見ていたかったが、後から後からどんどん人が押し寄せてきて、記念撮影をしたあと、仕方なく場所を譲った。
 待ちに待ったジョコンドとのご対面は、これであっけなく終了した。思ったよりも小さい。そんな印象だった。
 かつて日本にも「モナ・リザ」が貸し出され、それを見んがためたくさんの日本人が上野の森に長蛇の列を作ったという。
 何時間も並んだ人たちの第一印象も、案外こんなものではなかっただろうか。
 ただ、ダヴィンチが精魂こめて描き上げた宝物のような作品であることは、ひしひしと伝わってくるようだった。
 その精緻な筆遣い、細やかな皮膚感、優美な手、確かに名画には違いない。だが、こんなに小さくてシンプルな肖像画に、どうしてこれだけの注目が集まったのか。本当に不思議である。
 ちなみに「ジョコンダ」は2005年4月に新しい展示室に移された。日本テレビからの援助で改修された展示室で、ドノン翼1階(日本式2階)にある。
 さて、念願の「ジョコンダ」も見られたし、あとはゆっくりとドノン翼の奥までまわろうか。
 16世紀以降のイタリア絵画コーナーをつらつらと歩いていく。とにかく豊富な絵画の量だ。
 知っているメジャーな絵より、知らない絵の方が多いのは当然だが、それにしても誰の絵だかわからないものが多い。
 これに関しては図書館から借りてきた本を元にし、時代順に紹介していくことにする。
 天井の絵と装飾も素晴らしい。さすがに宮殿だっただけのことはある。右画像の通路は暗くてきれいに映らなかった。光線で絵が劣化するのを防ぐため意図的に暗くされているせいだろう。
 だけどとにかくゴージャスな廊下で、上を見上げてうっとり。首が痛くなってしまった。
 ようやく知っている絵に出会った。子どもの頃、よく図鑑で見ていた「オダリスク」だ。
 「オダリスク」とはトルコのハーレムの美女のことなんだそうである。
 ジャン=オーギュスト・ドミニク=アングルの代表作であるこの絵は、1814年に描かれたフランスの新古典主義。
 今でこそ裸体の官能美を描いた作品として、ルーブルでもっとも有名な絵のひとつとして知られているが、1819年の展覧会では嘲笑でもって迎えられたという。
 子どもの頃、長すぎる背中のせいだという評判を読んだことがある。どうやらデッサンが未熟だとされたのが原因らしい。
だが、子ども心にも惹きつけられずにはいられない艶めかしさがその絵にはあった。女性のフォルムの理想美を追求した結果、抽象的な表現に行き着いたものなのだそうだ。
 昔、飽かず眺めていた絵に対面できて、「モナ・リザ」以上に感激。やっぱり、とってもステキだった。
 かの有名な「ナポレオン1世の戴冠式」。1806年から翌年にかけて描いた、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748〜1825年)の作品。横10m、縦6mの大作である。
 総裁政府の司令官となったナポレオンはイタリア、エジプト遠征で勝利を収めると、クーデターで権力を掌握。終身執政になった後、1804年、国民の絶大な支持を得て皇帝に即位した。ノートルダム寺院で挙行されたこの戴冠式では、教皇ピウス7世の前で、まずは自分の、次いで皇后ジョゼフィーヌの頭上に王冠をかかげた。
 実はヴェルサイユ宮殿にも作者自身の手による複製画が飾ってあって、このルーブルの方が先に描かれた。おそらくデッサンを元に複製しているのだろうが、ところどころ違いがある。
 間違い探しをしてみたい方は、こちらをどうぞ。
 ◇ヴェルサイユ宮殿とルーブルの「戴冠式」拡大写真
 「皇后ジョゼフィーヌ
 ピエール・プリュードン(1758〜1823年)により1805年に描かれ、のちナポレオン3世のコレクションになっていた。
 ナポレオンの最初の妻にしてフランス皇妃となったジョゼフィーヌは1763年、フランス領西インド諸島マルティニーク島の小貴族、ド・ラ・パジェリ家に生まれた。
 生まれたときの名前はマリ・ジョゼーフ・ローズ。ジョゼフィーヌというのは、結婚するときにナポレオンが名付けた名前だ。ベルギーの歴史学者ジャック・ジャンサンによると、「ナポレオンは新たな処女性を付与するかのように、他の男たちのものであったこの愛する女性に、新しい呼び名を与えた」のである。
 自由奔放に生まれ育ったクレオル(植民地生まれの白人のこと)だった彼女は、6歳年下のナポレオンの熱烈な求愛を入れて結婚したのちも、浮気や不行跡を繰り返した。
 やがてナポレオンの愛情も冷めていき、離婚を考えるようにまでなる。危機感を覚えたジョゼフィーヌは初めて貞淑で賢明な妻となるよう務めるが、すでに遅かった。跡継ぎを宿さないことから、ついに離婚されてしまう。皇后の座について、わずか5年後のことだった。
 離婚後も皇后の称号は保ち続け、パリ郊外のマル・メゾンで余生を送った。亡くなったのは、1814年のこと。51歳だった。偶然にも、ナポレオンが死んだのも51歳の時だった。
 上の絵は、戴冠式の翌年、マルメゾンの庭園で悲しげに黙想するジョゼフィーヌの姿を描いている。この時期、まさにナポレオンから離婚を突きつけられていたのである。
 ちなみに、歯科衛生のまだ未熟だった当時、ジョゼフィーヌの歯も虫歯に蝕まれていた。そのため彼女の肖像画は、常に唇を結んだ状態で描かれている。
フランス王ジャン2世」(リシュリュウ翼2階、日本式3階)
 14世紀後半のパリ派の、西洋絵画として最古の肖像画である。
 ジャン2世は1319年生まれ。1356年ポワティエの戦いでイギリス軍に敗れた後、ロンドンで幽閉されていた1359年に描かれたとされる。亡くなったのは1364年。
 この肖像画は息子シャルル5世、神聖ローマ帝国皇帝、イングランド王の肖像とともに4枚続きの絵の一部だった可能性があるという。
アヴィニョンのピエタ(寄進者のいるキリストの哀悼)」
 アンゲラン・カルトン(1410年生まれ)による、1450年頃の作品。
 十字架から降ろされたキリストの遺骸と聖ヨハネ、聖母マリアらを描いたもの。
ブルボンの祭壇画(一寄進者を取りなす聖アグリコルスのいる、墓の中に立つ悲しみの人
 プロヴァンス派。ブルボンのサン・マルセラン聖堂にあったもの。年代不詳。
聖アウグスティヌスとひざまづく寄進者
 ベルゴニューネ(本名ダ・フォッサーノ、1481年〜1522年)
 パヴィーアのカルトゥジオ修道院の多翼祭壇画の左翼パネルだったもの。
ミラノ宮廷のある女性の肖像
 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)
 ルイ14世のコレクションだったもの。
岩窟の聖母」(1483年〜1486年)
 これもダ・ヴィンチ作。
 聖母マリア、イエス・キリスト、洗礼者・聖ヨハネと天使を描いたもの。ダ・ヴィンチが完成させた作品の中で最大の宗教画である。
 1483年、ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂のために依頼されて描いたが、教会は受け取りを拒否した。
 その理由を、とあるテレビ番組では「キリストや聖人などの頭上には光輪を描くのが当たり前だった当時にあって、それを描かず普通の人間の子どもとして描いたから」と紹介していた。
 のちにルイ14世のコレクションとなった。
洗礼者・聖ヨハネ
 ダ・ヴィンチが1513〜16年に描いたもの。
聖アンナと聖母子
 ダ・ヴィンチ作
聖母子と聖ヨハネ(美しき女庭師)
 ラファエロ・サンツィオ(1483〜1520年)
 聖母子と子どもの洗礼者・聖ヨハネを描いた1507年の作品。イタリア・ルネッサンスに傾倒したフランソワ一世に買い取られてルーブルのコレクションに加えられた。
左、「慈愛
 アンドレア・デル・サルトが1518年フランソワ一世のために描いたもの。のちにルイ14世のコレクションとなった。
右、「聖ヒエロニムスと聖ゼノビウスの礼拝を受ける聖母子
 マリオット・アルベルティネリ(1474〜1515年)の1506年の作品で、フランチャビジョとの共作)。 フィレンツェのサント・トリニタ聖堂にあったもの。

 1573年アルチンボルド作。春夏秋冬の4枚からなる連作「四季」の中の1枚。夏野菜で顔が描かれている。
 右隣には、花で形づくられた顔を描いた「春」がある。
ガブリエル・デストレと妹
 16世紀頃、フォンテーヌブロー宮殿で活躍した画家の一派の作品。モデルはアンリ4世の愛妾とその妹で、妹が姉の乳首をつまんでいるのは、姉ガブリエルが国王の子を身ごもっていることを暗示しているという。
灯火の前のマグダラのマリア
 ラ・トゥール(1593〜1652年)
いかさま師」(シュリー翼2階、日本式3階)
 ラ・トゥール(1593〜1652年)作。1635年頃。
 女性たちはカードゲームに興じる高級娼婦だそうだ。目や手の動きでいかさま賭博を表現している。
サビニの女たち
 ナポレオンの戴冠式の絵を描いたダヴィッドによる1799年の作品。
アイラウの戦場におけるナポレオン
 ナポレオンの戦争記録の画家アントワーヌ=ジャン・グロ(1771〜1835年)による作品。
 1807年2月9日の戦場でのシーンを描いたもので、1807年に行われたコンクールの結果によって注文された。
カロリーヌ・リヴィエール嬢の肖像
 「オダリスク」と同じ、アングルの作品。カロリーヌはこの肖像画が描かれた1805年、15歳で亡くなった。
サルダナパールの死
 ウジェーヌ・ドラクロア(1798〜1863年)。1827年ころ描かれた作品。
民衆を率いる自由の女神
 上と同じくドラクロアの1830年の作品。同年の7月革命を激情的に描写している。三色旗を掲げて民衆を導く自由の女神はフランスのシンボル、マリアンヌ。銃を手にした青年はドラクロア自身と言われている。
 このルーブルにはドラクロアの作品が60枚も所蔵されている。
Palais Royal-Musee du Louvre
 開館時間 9:00〜18:00(水・金曜日は21時45分まで)
 休館日 火曜日
 入館料 8.50ユーロ(18時以降6ユーロ、第1日曜日無料)
 日本語オーディオガイド 5ユーロ




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