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「フランス王ジャン2世」(リシュリュウ翼2階、日本式3階)
14世紀後半のパリ派の、西洋絵画として最古の肖像画である。
ジャン2世は1319年生まれ。1356年ポワティエの戦いでイギリス軍に敗れた後、ロンドンで幽閉されていた1359年に描かれたとされる。亡くなったのは1364年。
この肖像画は息子シャルル5世、神聖ローマ帝国皇帝、イングランド王の肖像とともに4枚続きの絵の一部だった可能性があるという。 |
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「アヴィニョンのピエタ(寄進者のいるキリストの哀悼)」
アンゲラン・カルトン(1410年生まれ)による、1450年頃の作品。
十字架から降ろされたキリストの遺骸と聖ヨハネ、聖母マリアらを描いたもの。 |
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「ブルボンの祭壇画(一寄進者を取りなす聖アグリコルスのいる、墓の中に立つ悲しみの人」
プロヴァンス派。ブルボンのサン・マルセラン聖堂にあったもの。年代不詳。 |
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「聖アウグスティヌスとひざまづく寄進者」
ベルゴニューネ(本名ダ・フォッサーノ、1481年〜1522年)
パヴィーアのカルトゥジオ修道院の多翼祭壇画の左翼パネルだったもの。 |
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「ミラノ宮廷のある女性の肖像」
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)
ルイ14世のコレクションだったもの。 |
「岩窟の聖母」(1483年〜1486年)
これもダ・ヴィンチ作。
聖母マリア、イエス・キリスト、洗礼者・聖ヨハネと天使を描いたもの。ダ・ヴィンチが完成させた作品の中で最大の宗教画である。
1483年、ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂のために依頼されて描いたが、教会は受け取りを拒否した。
その理由を、とあるテレビ番組では「キリストや聖人などの頭上には光輪を描くのが当たり前だった当時にあって、それを描かず普通の人間の子どもとして描いたから」と紹介していた。
のちにルイ14世のコレクションとなった。 |
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「洗礼者・聖ヨハネ」
ダ・ヴィンチが1513〜16年に描いたもの。 |
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「聖アンナと聖母子」
ダ・ヴィンチ作 |
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「聖母子と聖ヨハネ(美しき女庭師)」
ラファエロ・サンツィオ(1483〜1520年)
聖母子と子どもの洗礼者・聖ヨハネを描いた1507年の作品。イタリア・ルネッサンスに傾倒したフランソワ一世に買い取られてルーブルのコレクションに加えられた。 |
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左、「慈愛」
アンドレア・デル・サルトが1518年フランソワ一世のために描いたもの。のちにルイ14世のコレクションとなった。
右、「聖ヒエロニムスと聖ゼノビウスの礼拝を受ける聖母子」
マリオット・アルベルティネリ(1474〜1515年)の1506年の作品で、フランチャビジョとの共作)。 フィレンツェのサント・トリニタ聖堂にあったもの。 |
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「夏」
1573年アルチンボルド作。春夏秋冬の4枚からなる連作「四季」の中の1枚。夏野菜で顔が描かれている。
右隣には、花で形づくられた顔を描いた「春」がある。 |
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「ガブリエル・デストレと妹」
16世紀頃、フォンテーヌブロー宮殿で活躍した画家の一派の作品。モデルはアンリ4世の愛妾とその妹で、妹が姉の乳首をつまんでいるのは、姉ガブリエルが国王の子を身ごもっていることを暗示しているという。 |
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「灯火の前のマグダラのマリア」
ラ・トゥール(1593〜1652年) |
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「いかさま師」(シュリー翼2階、日本式3階)
ラ・トゥール(1593〜1652年)作。1635年頃。
女性たちはカードゲームに興じる高級娼婦だそうだ。目や手の動きでいかさま賭博を表現している。 |
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「サビニの女たち」
ナポレオンの戴冠式の絵を描いたダヴィッドによる1799年の作品。 |
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「アイラウの戦場におけるナポレオン」
ナポレオンの戦争記録の画家アントワーヌ=ジャン・グロ(1771〜1835年)による作品。
1807年2月9日の戦場でのシーンを描いたもので、1807年に行われたコンクールの結果によって注文された。 |
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「カロリーヌ・リヴィエール嬢の肖像」
「オダリスク」と同じ、アングルの作品。カロリーヌはこの肖像画が描かれた1805年、15歳で亡くなった。 |
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「サルダナパールの死」
ウジェーヌ・ドラクロア(1798〜1863年)。1827年ころ描かれた作品。 |
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「民衆を率いる自由の女神」
上と同じくドラクロアの1830年の作品。同年の7月革命を激情的に描写している。三色旗を掲げて民衆を導く自由の女神はフランスのシンボル、マリアンヌ。銃を手にした青年はドラクロア自身と言われている。
このルーブルにはドラクロアの作品が60枚も所蔵されている。 |