アンボワーズへ〜ル・ショワズール
 ブロアからアンボワーズへは、わずか35キロほどの距離だ。ロワール川沿いを南西に走り、いくつかの小さな街を経て、わたしたちはアンボワーズに到着した。
 途中、小高い丘の上に素敵なお城が見えたりして、このあたりは本当に城のメッカだと実感する。
 空は相変わらず鉛色だ。しかし、ところどころ薄日が差しているようにも見え、天気が良くなりそうな兆しを感じさせてくれる。
 ホテルに着いた。これがわたしたちの泊まるホテル、ル・ショワズール。四つ星のシャトー・ホテルで、カーブを備えている。
 ショワズールという名前は、ルイ15世時代の宰相・ショワズール公爵からとったものだろうか・・・と思っていたら、そのものズバリ、シャワズール公爵の館だったそうだ。
 ホテルは15世紀から18世紀に建てられた3つの館からなっている。
 門から入ってすぐ左手にある建物が、フロントやレストランのあるメインの館であった。
 一見しただけではフロントがあるようには思われず、通りがかった従業員に聞いて教えてもらった。
 フロントは小さくて可愛らしい雰囲気だ。たいへん愛想の良い男性と女性がおり、てきぱきとチェックインをこなしてくれた。
 わたしたちの部屋はこの本館の隣の建物になるそうで、本館の内部を通り抜けて行くこともできるらしい。
 わたしが「車を部屋の前に横付けしたい」と言うと、「玄関を出て左にある坂道を登ってください。ポーターを行かせます」とのことだった。
 義母と娘の待つ車に戻ると、庭を抜けて奥にある坂道を登る。
 ここの敷地は大変ユニークなもので、山の岩肌をくりぬいた倉庫などもあって、中世っぽいというか、ワイルドというか。
 坂道を登り切ったところに、わたしたちが泊まる館があった。バラのトンネルの向こうにある白い建物がそれだ。
 ポーターが迎えに出てきていて、荷物を運んでくれる。
 わたしたちの部屋は「Maison de l'Apothicaire」という館の1階だった。「Apothicaire」とはフランス語辞典によると「薬剤師」という意味があるが、どういう名前なのか不明。
 「Maison de l'Apothicaire」のエントランス。階段下の大きな扉がわたしたちの部屋だ。
 扉は二重になっていて、外側の方だけ鍵がかかるようになっている。内側のドアは古いせいか施錠できない。
 ポーターにチップを渡して、ようやく部屋に落ち着く。多少古びてはいるが、古城ホテルらしい雰囲気は充分にある。
 暖炉とマントルピース、その横にはエキストラベッドが置かれていた。
 
 窓の外にはロワール川が見える。
 ロワールビューの部屋を希望していたが、1階のため、素晴らしい景観が臨めるとはあまり言い難い。
アンボワーズ城
 ホテルの部屋に入ったのが4時ちょっと過ぎ。夕飯まではまだかなり時間がある。
 予定ではアンボワーズ城見学は明日と考えていた。しかし、スムーズに事が進んでいて余裕があったため、わたしはアンボワーズ城に行くことにした。
 娘にそう告げると、「留守番してる」。ああ、やっぱり。義母は一緒に行くというので、再び2人でホテルを発った。
 ホテルからアンボワーズ城へは車で5分ほどの近距離だ。
 昨年のフランス旅行でも、ここアンボワーズ城に立ち寄っている。しかし、中を見学する時間がなくて、外観だけ見て立ち去ったのだった。
 この日も、その時停めたのと同じ道路際の駐車場に車を置き、城の中へと入っていった。
 階段を登っていくと、チケット売り場だ。
 チケット売り場のゲートをくぐると、先はゆるやかな坂になっていた。いかにも馬車や騎馬のまま通行できそうなトンネルである。
 15世紀の昔から、幾人もの人々がここを通行したことだろう。
 アンボワーズ城の歴史は古く、503年の西ゴート族とフランク王国の王同士の謁見にさかのぼる。
 1437年、シャルル7世の時代に王領となり、15世紀末にはイタリア遠征から戻ったシャルル8世がルネッサンスの粋を集めた華麗な城に改築した。
 16世紀初頭には、これまたイタリア好きのフランソワ1世によりアンボワーズの全盛期を迎える。王城に定められ、首都はブロアからここに移された。
 とはいうものの、当時の習慣として王宮はあちこちの城を巡回していたので、王がずっとアンボワーズ城にいたわけではない。
 それでもアンボワーズ城はヨーロッパの政治の中心であり、「豪華城」と呼ばれた。
 しかし城の全盛期が過ぎ去った後、多くの建物群や城壁が取り壊された。現在わたしたちが目にすることができるのは、当時の5分の1程度の城だという。
 巨大なミニムの塔。
 王の居室があった塔に隣接しており、別名「騎兵塔」と呼ばれている。
 内部が直径21mもあり、馬や馬車で上がることができる螺旋斜路になっている。
 
 ミニムの塔の内部。
 馬車に乗ったまま螺旋状の斜路を上がって城のテラスに直接アクセスできたという。
 王の居館。左側が「シャルル8世の翼棟」、右側が「ルイ12世とフランソワ1世の翼棟」である。
 ルネッサンスを奨励したフランソワ1世はレオナルド・ダ・ヴィンチを城に招き、手厚く待遇した。
 ダヴィンチはすぐ近くにクロ・リュセという館を与えられ、そこで天寿を全うする。
 亡骸はアンボワーズ城のサン・ユベール礼拝堂に埋葬された。
 これは猟師の守護聖人であるサン・ユベールに捧げられた礼拝堂で、1491年から1496年の間に創られた。
 城壁からにょっきりと突き出すように建っているのがおもしろい。
 小ぢんまりとした礼拝堂だが、内部は荘厳な雰囲気に包まれ、ゴシック・フランボワイヤン様式の装飾が美しい。 
 ダ・ヴィンチは亡くなると、城内にある聖フロランタン教会に埋葬された。
 第一帝政時代、教会と城の一部が破壊され遺骨はこの礼拝堂に移されたという説と、墓は暴かれ遺骨は行方不明という説と、二通りある。
 礼拝堂の一角にはいちおうダ・ヴィンチの墓があり、彼の横顔が刻まれた石碑が見られる。
 ダ・ヴィンチのご遺体はここに眠っているのかいないのか。ファンとしては非常に重要なところなので事実を知りたいのだが、よくわからないのが残念だ。
 フランソワ1世の孫にあたるフランソワ2世の時代、城は血なまぐさい宗教戦争の舞台となった。
 ギース公爵ら旧教徒(カトリック)が1200人もの新教徒(プロテスタン)を虐殺し、塔から吊るしたり、生きたままロワール河に投げ込むなどの「アンボワーズの虐殺」を行ったのである。
 ちなみにスコットランド女王メアリー・スチュワートは将来の王太子妃として、王妃カトリーヌ・ド・メディシスにより、この城で育てられた。
 メアリーはギーズ公爵の姪にあたる。スコットランドがイングランドの脅威を受けたため、母マリー・ド・ギーズが兄のいるフランス宮廷に6歳の娘を逃がしたのである。
 1556年、王太子フランソワとメアリーは結婚した。
 1559年、アンリ2世が騎馬試合での事故により死去したため、王太子がフランソワ2世として即位した。
 当時の実権は新王妃の伯父でもあるギーズ公爵が握っており、新教徒の弾圧を支持していた。
 1560年3月、新教徒たちはアンボワーズ城でフランソワ2世を奪取し、ギーズ家の影響を排除しようと画策した。しかし、陰謀は事前に露見し、陰謀の加担者たちは捕らえられて処刑されてしまう。
 一部の者は「見せしめとして」、城のバルコニーで絞首刑を受け、吊された。
 この対立は、1572年8月4日のサン・バルテミーの虐殺において頂点に達するのである。
 上2枚は、バルコニーから見降ろしたロワール川とアンボワーズの街並み。
 左は、そのロワール川に架かる橋から撮影したアンボワーズ城。
 ギーズ公爵による虐殺によって城が死臭に包まれたため、王宮は城を移したという。
 これ以降、アンボワーズ城が華やかな時代を取り戻すことはなく、多くの建物群も取り壊されていった。
 のちに牢獄として転用され、ルイ14世の時代には財務長官ニコラ・フーケが投獄されたという。
 ナポレオンが帝位に即いたとき、城の大部分は取り壊されたが、帝政後、城はオルレアン家の手に戻った。 
 ←こちらは「三部会の間」。百合の花とアーミン模様が柱に装飾された会議の間である。
 ルイ・フィリップ(1773年〜1850年)のアパルトマン。これは音楽サロンを当時の流行にあわせて復元したものだ。
 ルイ・フィリップはブルボン家の一族でありながら革命指導者であったオルレアン公(のちにギロチンにより刑死)の次男で、1830年、ブルジョワジーらに擁立されて国王となった。
 ここに「7月王制」の名で知られる18年間の治世がの始まった。
 左側の肖像画は彼の妻と2人の息子を描いたものだ。
 
 ←「フランス国民の王」と称したルイ・フィリップの肖像画。
 彼は立憲君主として前半は経済的繁栄を築いたが、やがて深刻な経済的・社会的危機に見舞われる。
 彼は選挙改革の実行を拒否したことから人々の不満が表面化し、1848年退位。
 イングランドに亡命し、2年後死去した。
 オルレアン・パンティエーヴルのサロンと呼ばれる部屋。ルイ・フィリップの書斎を復元したものである。
 パンティエーヴル公はルイ・フィリップの母方の祖父で、アンボワーズ城を購入した人物だ。
 1821年、ルイ・フィリップは祖父からアンボワーズ城を受け継いだ。
 彼は当時この城の周囲にあった46戸の家屋を手に入れ、それらを取り壊すことによって城壁を甦らせた。
 ルイ・フィリップの退位とともに城は政府の所有となった。
 肖像画の女性はルイ・フィリップの母、オルレアン公爵夫人。
 城のバルコニー。
 ひょっとしたら、新教徒たちの遺体が吊り下げられたというバルコニーはここかもしれない。
 内部の見学を終えて、外に出る。
 庭園の一角にはレオナルド・ダ・ヴィンチの石像が置かれていた。
 先ほど紹介した王の居館を反対側から見たところ。
 こちら側からの方がお城らしい雰囲気で、わたしは好きである。
アンボワーズの街
 初めに登ってきた階段を降りて、アンボワーズの街に戻った。
 義母が友だちへの土産物を見たいというので、お土産物屋さんをいくつか覗いていく。
 どうやら義母は友人への土産物のことで頭がいっぱいのようだ。
 だが、外国旅行には慣れていないにもかかわらず、堂々と買い物をしている姿はアッパレ。しかも、「ディスカウント、プリーズ」という片言で見事値切ってしまう度胸には恐れ入ってしまった。わたしにはできん。
 ところで、アンボワーズ城前の街並みは可愛らしい上にも情緒があって大好きな一角だ。
 翌日はここのカフェでパスタを食べたが、この日は城の真ん前にあるチョコレート屋さんでチョコレートを購入してホテルに帰った。
 奥にはカフェもあるチョコレート屋さん。
 ここのスイーツがめちゃくちゃおいしい。普通のチョコレートはもちろん、メレンゲを固めた白いお菓子が大のお気に入りとなった。(名前がわからん)


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