ロワール地方へ
 フォンテーヌブローの街を離れ、目指すは2泊予定のロワール地方だ。
 パリ南部のボース平野から大西洋岸までをロワール地方といい、広大な田園地帯が広がっている。ナント、ル・マン、トゥール、オルレアンといった街がロワール地方に位置している。
 ロワール川が中央部を東から西へゆったりと流れ、川を臨む高台には城砦が多く建てられた。
 その風景美は「フランスの庭園」と讃えられてきた。
 2000年、ユネスコの世界遺産に「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」として登録されている。
 気候が比較的穏やかなことから、15世紀から16世紀の末にかけて王家の城や宮殿が多く建てられた。
 1427年、百年戦争のさなかにシャルル7世がロワールに宮廷を移して以来、約150年に渡って宮廷貴族の華やかな文化が繰り広げられた。
 わたしたちが2泊することになるアンボワーズもそうした街の一つで、歴史的な舞台となったアンボワーズ城がある。
 が、まずはブロアという街に立ち寄り、ブロア城を見学することにする。
 距離は約155キロだ。
 ハイウェイの行く手には、灰色の雲がのしかかるようにしてたちこめている。
 ときおり雨がパラつく。
 時にはワイパーをフル稼働させないと前が見えないほどの大降りにも見舞われた。
 そう言えば、昨年のロアール地方旅行でも同じく雨に見舞われたのだった。5月のこの季節ではよくあることなのだろうか。
 ところでハイウェイでの楽しみといったら、思う存分飛ばせることに尽きると思う。
 郊外のハイウェイは視界良好、渋滞もなし、カーブもない。これで飛ばすなという方が間違っている。
 これだけ条件がよいと、かえって事故を起こす心配もないものである。気がつくと150キロなんて軽く超えてしまって、慌ててスピードを抑えることもしばしばであった。
 それから、キャピングトレーラーやキャンピングカーを見つける楽しみもある。
 対向車線にもひっきりなしに現れ、すれ違うし、こうして追い越し車線から抜かすことも多い。
 その数の多さといったら、日本で見る数よりはるかに多い。
 トレーラーにしてもキャンピングカーにしても、ヨーロッパ製のコンパクトなモーターホームがほとんどだ。アメリカ製はまったく見ない。
 そして、トレーラーの数はキャンピングカーとほぼ同じか、それ以上だ。
 日本では少数派のトレーラーが、こちらではむしろ多数派に近い印象を受ける。
 あとで聞いた話だが、ヨーロッパのキャンプ場ではありとあらゆるものが揃っているので、大きな冷蔵庫を備えていなくても充実したキャンピングライフを送れるのだそうだ。
 もちろん電源も借りられるしレストランもあるので、あれもこれもと持ち歩く必要がない。
 なにより羨ましいのは、昨年の旅行記にも書いたが、シャンボール城やシュノンソー城といった有名観光地のすぐ近くにキャンプ場があること。そこから歩いてもよし、トレーラーならそこをベースにヘッド車で周辺の城めぐりをするのもよし。
 モーターホーム派にとってひじょうに恵まれたアウトドア環境なのであった。
 さて、フォンテーヌブローを発ったのが11時20分くらい、数時間も走ると次第にお腹も空いてきた。ガソリンも補給しなくてはならない。
 わたしたちは2度ほどサービスエリアに立ち寄り、ガソリンを入れたり、サンドイッチや水、ジュースを購入したり、トイレに立ち寄ったりしながら走り続けた。
 やがて、料金所に着いた。
 昨年、プリペイドカードを入れる機械にうっかりクレジットカードを入れてしまうミスを犯してしまったので、今回は慎重に人のいる窓口を選んで車を進める。
 「ボンジュール!」と元気に笑顔で挨拶して、現金で料金を支払う。
ブロア城
 午後2時、ようやくブロアの街に到着した。
 まわりに駐車場は数カ所あるのだが、どこに停めようかウロウロしているうちに城のまわりを一周してしまい、再び同じ場所に戻って車を停めた。
 日本の観光地みたいに警備員が赤い棒を振って案内してくれるということもないので、どこに停めたらいいのか迷うことがしばしばである。
 今回も娘は見学に行かない、車で待ってる、と言う。アメリカでは子どもを車内に残していくと通報されるが、フランスではどうなのだろうか。  心配だったが、中から施錠させて何かあったら携帯に電話するよう言い置いて、義母と2人で城に向かった。
 しょぼしょぼと小雨が降り、空は明るいような暗いような、よくわからない天気だ。
 ブロア城はロワール川右岸にあり、街の高台に建つ。
 ブロアは王族が移り住んでから栄えた街だが、古くから交通の要衝として栄えていた。ブロアとは先住民族ケルト人の言葉で「狼」である。
 中世にはフランス最大の封建領主ブロア伯の領地だったが、14世紀末に王弟オルレアン公がこの伯爵領を買いとる。
 オルレアン公の息子シャルルがサロンに多くの芸術家を集めたため、ブロアは地方宮廷として華やぎ始める。
 そして1498年、シャルルの息子がルイ12世として国王となり、アンボワーズにかわりブロアが王都となった。
 ちなみにルイ12世はイタリア遠征を行い、ローマ「スペイン階段」の上にあるトリニティ・ディ・モンティ教会を建てた人物である。
 続く100年の間にフランソワ1世、アンリ2世、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世と、ヴァロア朝の6人の王がこの城を拠点とした。洗練されたロワール文化の中心を成し、ブロアは王都として栄えた。
 のちに城はアンリ2世王妃カトリーヌ・ド・メディシス(フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世母)の所有となり、1589年、カトリーヌはこの城で波乱に満ちた生涯を閉じた。
 街の中心部に位置するブロワ城は、フランスで初めてルネッサンス様式を取り入れた城として注目される。
 1515年にフランソワ1世の命で着工された塔に作られた螺旋階段は壁がくりぬかれ、八角形の美しい形をしていいる。
 城は約4世紀にわたって増改築されたため、年代も様式も違う複数の建物が混在している。
 「ルイ12世翼棟」の正面にはルイ12世の騎馬像が置かれている。
 
 中央の翼館が「ガストン・ドルレアン棟」。
 下2枚の画像、螺旋階段のある棟は「フランソワ1世翼棟」である。
 見学者のツアーは、この螺旋階段を登ることから始まる。
 
 「衛兵の間」の暖炉には、フランソワ1世とその王妃クロードの紋章が彫られている。
 
 フランソワ1世翼館にあるカトリーヌ・ド・メディシスの寝室。
 フィレンツェの名門メディチ家からアンリ2世に嫁いできたカトリーヌは、フランスの歴史に大きな足跡を残した。
 1559年夫が死ぬと、3人の息子たちを次々に即位させ、30年もの長きにわたり摂政として大きな権勢を誇った。
 寝室を出ると、礼拝堂を経る。
 礼拝堂の次に、カトリーヌの執務室があった。
 壁一面に取りつけられた237枚の彫刻つきの羽目板は、初期フランス・ルネッサンス様式の装飾の名品として有名である。
 この羽目板の後ろには秘密の引き出しがあり、毒薬や秘密の外交文書を隠していたと言われている。
 実際はこの隠し戸棚の存在を誰もが知っていたそうで、それだけカトリーヌが政争に明け暮れていたことの象徴でもあるかもしれない。

 アンリ3世の居室群の、最初の1室目。カトリーヌの居室群に比べると、息子の方がなぜか地味目。
 アンリ3世は兄フランソワ2世とシャルル9世の逝去を受けて、1574年に即位した。このときフランスはカトリックとプロテスタンとの陰惨な宗教戦争のまっただ中であった。
 アンリ3世の執務室。ここで、城につきものの血なまぐさい事件が起こった。
 1588年、この場所で宰相ギース公爵が暗殺された。カトリック勢力の有力者であったギース公はアンリ3世の従兄弟でもあったが、国王を廃位しようと企てていた。しかし、それが事前に発覚したため、彼はブロワ城に呼び出された。
 アンリ3世は5人がかりで襲撃させ、ギース公を殺害した。
 その時の模様を伝える絵も飾られている。
 屈強なギース公は5人の襲撃者に反撃し、相手に怪我を負わせてもいる。
 翌日には、捕縛されていたギーズ公の弟ロレーヌ枢機卿も殺害された。2人の遺体は焼かれた上に、その灰はロワール川に投げ捨てられた。
 こうして自らの地位を守ったアンリ3世だったが、翌年にはカトリックの修道士に暗殺され、ヴァロア朝は断絶した。
 ブルボン家のアンリ4世が即位して宮廷はパリに移り、ブロア城は次第に寂れていった。
 フランソワ1世の紋章「火とかげ(サラマンダー)」で装飾された暖炉。
 アンリ3世の寝室。
 天蓋の布が取り払われ、「ただいま修復中」との断り書きが書かれてあった。

 
 テラスから見下ろした中庭。
 
 ブロアの街とロワール川。

 
 城の敷地内に建つシャペル・サン・カレイス。
 ルイ12世により1508年に建てられた。
 ステンドグラスは1957年に従来の方法で復元されたものである。 
 
 見学を終えて外に出ると、観光用の馬車が客を待っていた。 
 かなり大きいと思っていたブロア城だったが、意外に小さいお城だった。各部屋にある英語の説明を読みながらゆっくり見学していって、わずか45分ほどで終了した。
 かといって見ごたえがないというわけではなく、歴史好き(特に藤本ひとみ氏の著書が好きな向き)には堪えられないものがある。
 日本語のオーディオガイドがあれば、1時間以上はかかると思う。
 あらかじめ各部屋の詳細な説明と写真が載った資料を入手し、見比べながら見学していく、国王の紋章のことや、カトリーヌの秘密の隠し戸棚のこと、暗殺事件のこと、アンリ3世のその後のことなどがわかって興味も増すことと思う。
 ヴェルサイユ宮殿やフォンテーヌブロー城に比べると地味なので、何も知らずにただ漫然と見ても退屈な見学に終わるかもしれない。

 ブロア城から出て階段を下っていく途中で、木の向こうに教会の姿が見えた。
 フォンテーヌブローの項でも書いたが、教会を見ると入りたくなってしまうわたしは、このときも教会に入ってみることにした。
 うっかりして名前を記録してくるのを忘れてしまったので、なんという教会かは不明。
 
 教会を出て駐車場に戻る途中、トレーラーに遭遇。お城めぐりの最中かな?
 由緒ありげな建物に差しかかった。レストラン・オランジェだって。いつか行ってみたいな。
 
 車に戻った。娘は無事だったが、この時になってわたしは、このパーキングが有料だったことに気づいた。
 よく見ると、足元に「PAYなんとか」と書かれてある。こういう場合は近くの券売機でチケットを購入し、フロントガラスのわかりやすい位置に置いておかないといけなかったのだ。
 しまったーと思ったが、あとのまつり。今からチケットだけでも購入しようかしら。
 しかし、のんびりしたこの界隈で警察がパトロールしている光景を見ることはない。
 道路の適当な場所に停めている車が警察のチェックを受けている様子もない。
 本当にのどかなブロアの一角であった。


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