| ■オペラ・ガルニエ(オペラ座) |
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路線バスに乗って、オペラ・ガルニエに戻ってきた。今度こそ、今度こそ、シャガールの天井絵を見たい。
2005年は2度も見学に来ていながら、時間外のため入ることができなかった。2006年はリハーサル中のため照明が落とされており、天井絵はフラッシュを焚いたときにしか見えなかった。
その時の模様はこちら。
オペラ・ガルニエについての詳細はこちら。
しかも、そのときは回廊の見学ができなかったのだが、嬉しいことに今回は見ることができた。
が、その前に古本の匂いがたちこめる図書室を通過。なんだかこの場所、映画「オペラ座の怪人」で観たことがあるような気がする。 |
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図書室の先は回廊になっており、もうひたすら豪華絢爛。ヴェルサイユ宮殿でもこんなに豪華じゃなかったような気がするっていうくらい、とにかく金々キラキラ。
出てくるのはもう溜息ばかりだ。
おそらく、このオペラ座を造らせたナポレオン3世が通ったり、謁見するために造られたものだろう。
だが、その主たる皇帝は1870年、戦争捕虜となって退位を余儀なくされ、この回廊を通ることは一度もなかった。
凱旋門建造を命じながら生きてその下をくぐることのなかった伯父・ナポレオン1世と、なんと似た生涯であることか。 |
そして、劇場ホールの桟敷席から念願の天井絵を鑑賞。3度目の正直がかなって本当に嬉しい。
ところが、間もなく職員が現れ、「ここを閉めます、出てください」と英語で告げた。
えっ、まだよく見てないよ〜と思ってギリギリまで粘ったが、「マダム、プリーズ」と言われてしまって、渋々桟敷席を後にした。
それにしてもシャガールの絵は文字通り夢のようで、観る方もなんだか夢心地になってしまう不思議なものだった。 |
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抽象画はまったく理解できないわたしだが、シャガールの絵だけは別。かついてシャガールのポスターを部屋に飾っていたくらいだから、結構好きなのだ。
これからもぜひ別の生シャガールを観ていきたいものだ。
さて、オペラ座を出たわたしたち一行は、路線バスに乗ってシテ島へ向かった。
最高裁判所前で降りたち、まず、すぐ隣にあるサント・シャペルに入ることにした。義母にパリ最古であるステンドグラスを見てもらいたかったのである。
入り口には長い行列ができていた。でも、わたしたちはパリ・ミュージアム・パスがあるから大丈夫、と思って先頭から入ろうとしたが、「列に並んでください」と言われてしまった。
この列、例によって手荷物チェックのものだったらしい。
それにしてはこの行列、さっきからちっとも進んでいない。きっと混雑のため入場制限がかかっているのだろう。入場までには1時間以上もかかりそうだと踏んで、わたしはノートルダム寺院に向かうことにした。ステンドグラスはあちらでも見ることができる。
ノートルダムはどっちだ、と地図とにらめっこし、きょろきょろと周囲を見回して位置を確認するが、方向がどうしてもわからない。
このシテ島に来るのはこれで3度目。なのに、来るたびに方向がわからなくなる。本当に不思議なのだが、いくら地図をくるくる回してもノートルダムの位置がわからない。
一番の理由は、ノートルダムが巨大なわりにその姿が最高裁判所前から見えないことだ。裁判所を挟む左右の道路に出ても、やっぱりノートルダムの尖塔は見えない。チラとでも見えれば迷うことはないのだが。 |
| ■ノートル・ダム寺院 |
ノートル・ダム寺院はセーヌ川下りの時、義母が「ノートル・ダムは行かないの?」と訊いてきたことから行くことになった。船からその姿を垣間見、オーディオガイドの説明を聞いて、行きたいと思ったらしい。
義母は控えめな人だから、「ノートル・ダムに行きたい」と自己主張はしてこない。
だが、「行かないの?」と訊かれて、嫁としては「はい、行きません」と言うわけにはやはりいかないではないか。
実を言うと、後ほどシャルトルという街でノートル・ダムに行く予定だったので、こっちのノート・ルダムは行くつもりじゃなかった。しかし、「行かないの?」と訊かれたわたしは、「じゃあ行きましょうか」と答えていた。
あっちでもない、こっちでもないとウロウロしたあと、ようやく方向を掴んでノートル・ダム寺院前に到着した。
正面の広場前にはイベントブースが設けられ、香ばしいパンの香りが漂っていた。なんの催しかわからないが、非常にたくさんの人で賑わっている。
わたしはまず最初に塔の上に登るエレベータへと向かった。
去年一昨年と、長蛇の列のため登るのを断念したエレベータだ。やはり今年も長蛇の列で、どう見ても1時間待ちの模様。どうしても登りたければ、エレベータが動く9時半になにを置いても一番で来るより他はなさそうである。
登るのは諦めて、中に入ることにした。
ここは聖堂内だけの見学なら無料だ。入場のための列は広場の中央まで延びており、わたしたちはそこまで戻って並び直した。
キリスト昇天祭にからめて連休を取る人が多いのだろうか。どこへ行ってもとにかく観光客が多い。
◎ノートル・ダム寺院についての詳細はこちら。 |
| ■高等裁判所前のカフェ |
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裁判所前からバスに乗ってホテルに戻る前、通りに面したカフェで一休み。
オペラ座でデジカメのバッテリーを使い切ってしまったため、使い捨てカメラで撮影。まだ明るいにもかかわらず、薄暗く写ってしまった。
このあとホテルにいったん戻るが、わたしは独りでルーブル美術館に行くことになった。一方、義母は昨日立ち寄った土産物屋にもう一度行きたいと言う。 |
そこで、方向音痴の義母よりはるかに地理に明るい娘が同行し、2人でその店に行くことになった。
フランスに来て初めての別行動だが、大丈夫だろうか。心配なので娘には携帯電話を持たせ、ときどき連絡を入れさせることにした。
お陰で、わたしは独りでゆっくりルーブルを堪能することができた。独りだと気兼ねせず動けるのがなによりいい。足は痛かったが。 |
| ■モナ・リザはいずこ |
この時、ちょっとした面白い出来事があった。
ルーブルのドノン翼に入り、「サモトレケのニケ」を横目に階段を登ってメイン通路を進んでいると、正面からきた白人男性にいきなり声をかけられた。
50歳代くらいの、背の高い小ぎれいな男性である。
英語で「もうモナ・リザを見た?」と訊いてくるので、「はい、見ました」と答える。すると彼は「ボクは見つけられなかった。場所を教えて」。
「じゃあ、わたしについてきて」と誘導しながら、「そこの角を右に曲がったところにあります」と教えると、「なんだ、とても簡単だったんだね」と恥ずかしそうにしていた。
そう、ドノン翼のメインの通路を一つ内側に逸れた部屋に、モナ・リザ(ジョコンダ)はある。
シンプルだが、結構わかりづらい。なにしろ全体が巨大な迷宮のようなルーブルである。あちこちに部屋が連なり、移動しているうちに自分がどこにいるかわからなくなってしまう。
歩きながら、彼は「どこから来たの?」と訊いてきた。
日本からと答え、あなたは? と聞き返すと、驚いたことにフランスの北部だという。
え、あなたフランス人?
英語で話しかけてきたから、てっきりイギリス人かアメリカ人かと思った。
じゃあ、どうしてわざわざ日本人に訊いてきたんだろう。回りにはフランス人がたくさんいるというのに。
「ここです」と、モナ・リザの前まで彼を連れて行く。
彼は「どうもありがとう。じゃあ、君も楽しんでね」と、手を振って離れていった。
どうやらナンパではなかったらしい。本当にモナ・リザの場所を知りたかっただけのようだ。
この話を友だちにして、「なんだって日本人のわたしなんかにモナ・リザの場所を訊いたんだろう」と不思議がると、たいていは「ナンパだったんじゃない」と返される。
だが、ナンパでなかったことは明らかだ。
それとも窃盗団の一味だったりして。昨日のスリがまだわたしの跡をつけていて、パスポートを狙って接近してきたのかもしれない(なんのために?)
あるいは、よほど切羽詰まっていたので手当たり次第声をかけただけとか。
わたしがよほど自信満々で歩いていて、いかにもルーブルに精通しているように見えたのかもしれない。
真意は今もってわからないが、彼はちょっぴり慌てん坊なおじさんだったのかもしれない。
ともあれ、わたしもついでにちょっとモナ・リザを鑑賞した後、これまで見損なってきた絵画や彫刻などを探しながら歩いた。
普段は夕方6時に閉まるルーブルであるが、今日は金曜日なので9時45分まで空いているはずだ(水・金のみ9時45分クローズ)。そこで職員に確認すると、やはり9時半に閉まるという答えだった。
さすがにその時間まではおらず7時くらいに出たが、時間を気にせずゆっくりまわれてよかった。 |
| ■ホテル前のビストロ |
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ルーブル美術館を出ると、娘に電話を入れる。「夕ご飯食べるからお祖母ちゃんと外に出てきて」と娘に言う。
交差点で待ち合わせをして、ホテルの斜め前にあるビストロで夕食をとることにした。 |
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ワインもいいが、1日歩いて疲れたときにはやっぱりビールに限る。「ドラフト・ビール、シルブ・プレ」と、英仏ちゃんぽんでオーダーを入れた。
義母にはサーモンにスープ、サラダを注文したら、いずれもすごい量で食べきれない。
娘が頼んだホットドックは呆れるほど巨大だ。
でも、チーズやハム、オニオンスープの味はとてもよかった。 |
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巨大ホットドック。これ、一人分? |
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わたしの大好きなエスカルゴ。えっ、カタツムリなんか食べるの、ですって。貝だと思って食べりゃーいいのよ! |