2日目 パリ観光Part3
オランジェリー美術館
 タクシーで直接乗りつけたオランジェリー美術館。フランス革命時代、ギロチンが置かれて処刑場となっていたコンコルド広場に面して建っている。
 チュイルリー公園の、ルーブルとは反対側の端っこに位置する。その昔、チュイルリー宮殿が建っていた頃オレンジを栽培する温室だったことから、この名がある。
 こぢんまりと小さな美術館だが、モネの「睡蓮」の絵で有名。改修のためしばらく閉鎖されていたためか、けっこうな行列ができていた。
 入場制限を設けているようで、列はなかなか動かない。
 だが、わたしたちはパリ・ミュージアム・パスを持っているため、すぐに入ることができた。 
 もっとも、義母の持つスーツケースを見るや、職員は苦い表情を作って「それは駄目」と言う。わたしが「クロークルームに・・・」と言いかけると、「そんなに大きな荷物を置く場所がない」とすげなく断られてしまった。
 ここでも義母が再度、「ここで待ってるから行ってきて」と譲歩。わたしは再び娘とともに中に入った。
 手荷物検査を待つ列に並んでいると、後ろにいたフランス人のマダムが強引にわたしを抜かそうとしてきた。50代くらいの年配で、身なりもいいマダムである。
 すると、さっきスーツケース駄目と言った職員が「マダム、マダム、なんとかかんとかスィル・ヴ・プレ」とフランス語で言い、手をヒラヒラさせながら列を守るよう注意してくれた。
 おおお、正義の人よ、わたしに味方してくれるんだね。
 でも、このマダムまったく取りあわず、どうあっても抜かそうとしてくる。うーむ、ごうつくなオバハンやなあ。
 結局わたしが一歩も譲らなかったので、マダムの負け。
 若者が騒々しくてマナーが悪いのも、おばちゃんが強引なのも、日仏あんまり変わらないのかな。いやいや思うに、このマダムが特別強引なのであって、多くのフランス人はのんびりしている。せっかちな人は少ない。
 きっと急ぎの用事でもあったのだろう。
 荷物検査を抜け、展示コーナーの手前でパリ・ミュージアム・パスを提示して、中に入る。
 すると、壁一面にモネの「睡蓮」が広がる円形のホールに出た。
 ホールの中央には椅子が置かれ、人々は座りながら、あるいは立ちながら、ゆっくりと「睡蓮」を眺めることができる。
 左の絵は「睡蓮、水のエチュード〜朝の柳」という作品。
 モネの「睡蓮」は高校の課外授業で銀座の美術館で鑑賞して以来だけに、感無量である。
 
 左は「睡蓮、水のエチュード〜緑の反映」。
 「睡蓮、水のエチュード〜雲」。
 このオランジュリー美術館にあるのは合計22枚のパネルからなる8点の「睡蓮」で、2室に分けて展示されている。
 これらは第一次世界大戦終結後の1918年に描き始められ、老いや白内障、身内や親友の死といった苦難を乗り越え1926年に完成した。途中、白内障の手術を受けて視力を取り戻している。
 モネの死後、作品群はチュイルリー公園のオランジュリーに設置され、1927年に開館となった。
 左の絵は「睡蓮、水のエチュード〜朝No.1」という作品。発表当初、「睡蓮」はその捉えどころのなさや輪郭線の欠如などから無理解をもって迎えられた。
 ある批評家などは、この水景画を見ることで気分が悪くなったとまで語った。
 実際、なんとも取り止めのない印象も受けるし、ただグチャグチャと色を塗り重ねているだけのようにも見える。近くで見ると「うちの娘でも描けそうな・・・」とさえ思えてしまう。
 わたしは絵画を観るのは好きでも審美眼はなく、これは名画だと言われれば「うんいい絵だ」と納得するような人間だ。
 そんなわたしが当時鑑賞していたとしたら、きっと「輪郭がはっきりしていなくてグチャグチャした、子どものラクガキみたいな絵」と片付けてしまったかもしれない。、
 だが、この「睡蓮」の本領は離れて鑑賞することに尽きる。離れて初めて、朝もやの中に浮かび上がる睡蓮の庭園が浮かび上がってくる。
 それも、形を正確に描写したものではなく、光そのものを捉えた作品なのだ。モネの「睡蓮」はただの風景画ではない。彼の患った眼で捉えた光そのものを描いているのかもしれない。

 オランジュリー美術館の地下にはルノアール、セザンヌ、ピカソ、モディリアーニ、マティス、ユトリロらの絵も展示されており、必見である。
 ピエール=オーギュスト・ルノアール(1841年〜1919年)はフランスの印象派の画家として代表的な存在である。右は1895年から1896年頃に描かれた「長い髪の浴女」。
 左は同じくルノアールによる「ピアノを弾く娘たち」。1892年頃の作品。
 右の小品は「2人の少女の肖像」。1890年から1892年の作品。
 パブロ・ピカソ(1881年〜1973年)の「抱擁」。1903年の作品。
 モーリス・ユトリロ(1883年〜1955年)による「メゾン・ベルノ」。1924年の作品。
オルセー美術館
 痛い足を引きずって次に訪れたのはオルセー美術館。セーヌ川沿いに建てられた駅庁舎が元になった近代絵画の美術館だ。
 ここは去年も来ているので割愛。詳細は昨年の旅行記でご覧ください。
次なる災難
 さて、挫いた足も痛いし体も疲れきっていたので、わたしたちはバスに乗ってホテルに戻っていた。
 部屋の冷蔵庫を開けて小休止・・・と思ったが、水のペットボトルもオレンジジュースの瓶も小さくて割高。これじゃあもったいない、水やジュースをぐびぐび飲みたいねってことで、3人揃ってオペラ通りにあるスーパー「モノ・プリ(Mono Prix)」に繰り出すことになった。
 ホテルから数ブロック離れたところにある「モノ・プリ」は、入り口の所が化粧品コーナー、その奥が衣類コーナー、さらに奥と地下が食料品となっている。日本のSEIYUみたいな位置づけのスーパーと言ってよいだろう、料金はわりと安い。
 青果コーナーの盛りつけ方がマルシェみたい。チーズもワインも品揃え豊富で、なかなか楽しい。
 ジャム、蜂蜜もたくさん。重くなってしまうから買えなかったけど、マーマレードなんて死ぬほど美味しそうだった。
 わたしはミネラルウォーター「ビッテル」のミニボトル、コントレックス1.5リットルを6本ずつカゴに入れてレジに向かった。
 これはシャルトルのモノ・プリで買い物したときの画像。
 モノ・プリのレジはとてもユニークだ。客は自分でカゴから商品を出し、レジ横のベルトコンベアに置く。そして、次の人と区別するための仕切りを置く。
 レジ係は椅子に腰掛けたままレジ打ちをし、傾斜のついたサッカー台に商品をひょいひょいと落としていく。で、最後にレジ袋をぽんと乗せ、お金を受け取ってお仕事終了。
 客はその場で素早く袋詰めをする。
 なんて合理的なんだろう。その無駄のなさに目を見張らされる。日本のレジもこうだったらパートの人も楽だろうな。
 なんて、感心している場合ではない。捻挫に続いて降りかかった災難は、この直後に起こったのだ。
 クレジットカードで支払いを済ませたわたしは財布をショルダーバッグにしまい、商品を詰めた袋を持って数メートル移動。
 喉が渇いて死にそうだったので、その場で買ったばかりのコントレックスを開け、ぐびぐびと飲み始めた。娘も同様、ビッテルを飲んだ。
 で、その後、パン屋さんのコーナーに出来合いのサラダを発見、買っていって部屋で食べようということになった。数点手に持ってレジに並ぶ。このレジがまた、もったもたしている。
 早く早くと焦れながらショルダーバッグに手を入れ、財布を出してお金の準備・・・と思ったら、アラ、財布がない。
 あら? あら? あら? 慌ててバッグの隅々まで探すが、ない。
 財布がない。
 もしかして、あなた持ってる? と娘に問いかけたが、首を横に振る。
 そりゃそうだ、さっきのレジで支払いし、カードとレシートを財布に入れ、それをバッグにしまったのだから。
 落としたのか? いやまさか、それはない。となると、考えられるのはスリしかない。
 頭が一瞬、真っ白になった。
 信じられない。わたしが犯罪に遭うなんて。未だかつて、痴漢以外の犯罪に遭遇したことのないわたしはかなりうろたえてしまった。
 どうしたらよいのかわからず、思わず店内をウロウロ。こういうときどこに行ったらいいのか? 
 サービスカウンターだろうか。すると、衣類コーナーに立つ背広姿の店員が目に入った。
 ワラにもすがる思いで「My wallet was stolen.」と言ってみる。
 そのムッシュウ、「Wallet?」と、財布の単語自体理解できないようだった。それとも発音が×だったのか。だけど、「I don't understand, sorry.」とだけ言ってクルリと背を向けられて、さすがにムッとした。客が困っているのに、理解しようとする努力もしないのか。
 仕方がない。わたしたちは重い水の入った袋を持ち、そのまま力なくモノ・プリを後にした。
 部屋に戻っても、ショックのあまり何も喉を通らない。
 義母のスーツケースの故障、捻挫に続いてこのトラブルだ。思えば、昨日からトラブルの種はあった。今度のフランス旅行、序盤はかなり散々である。
損保ジャパンに電話してみる
 わたしは海外旅行保険に加入していたことを思い出し、損保ジャパンに電話することにした。ちゃんと海外の連絡先の電話番号一覧と保険証書を持ってきててよかった。
 通話料金は無料とのことで、レンタルしていた携帯電話からフランス・オフィスにかけてみる。
 しばしのコールの後、男性が出た。
 わたしが事情を話すと、相手は「まず最寄りの警察署に行き、ポリス・レポートを発行してもらってください」と言う。
 が、わたしは捻挫していて、そんなに歩けない。行けなかったらどうなるのかと問うと、「同行の方が第三者証明を書いていただけば、通る場合もあります」とのこと。
 「では、通らないこともある?」と聞くと、「まあ、状況によって判断されます」と言う。
 次に「ホテルから近い警察署がどこか調べてほしい」と頼むと、「現在フランス・オフィスが閉まっているので、シドニーのオフィスに転送されている。そのためお調べできません」のいう答えだった。
 わたしは明日になったらレセプションで聞いてみようと思い、電話を切った。
 左足の2倍くらい腫れあがった右足首を眺めながら、警察署に行くか、義母に第三者証明を書いてもらうかで思い悩む。
 もしも義母の一筆だけで保険が降りるなら、これほど楽なことはない。だが、万一降りなかったら?
 実は、盗まれた財布はルイ・ヴィトン。海外旅行保険では携行品の盗難もカバーされており、クレジットカード、現金の盗難は保障されないが、携行品として財布の損失分を申請すれば保険が下りるはずだった。
 それには、警察の証明書と購入したことを証明するレシートか領収書が必要になる。
 すべてのレシート類は一枚も捨てずに取っておいてあるので、帰って探せば見つかるはず。
 あとは盗難にあったということを証明する書類だけなのだが、これがもし第三者証明で事足りるのなら、わざわざ痛いのをこらえて行くこともない。
 だが、万一これで保険が通らなかったら、警察に行かなかったことを絶対後悔するに違いない。やっぱり行くことにしようかしら。
 うーむ、悩む。
 とりあえず湿布薬を貼り、患部を冷やす。
 この湿布薬、義母が整形外科で出してもらったものを持ってきていたもの。たくさん歩くと足や腰が痛むからだという。
 義母の用意のよさに感謝しつつ、この夜は就寝した。
 いきなりだが、ここで後日談。日本に帰ってから医者に行きレントゲンを撮ったら、骨にヒビが入っていることが判明した。こりゃあ腫れるはずだわ、と改めて感心。
 写真だと大した腫れじゃなさそうだが、とんでもない。もう足首のクビレなんてなくなるほど腫れ上がっていたのだ。
 ホント、象の足みたいだったんだから。(と掲示板に書いたら、口の悪い某友人に「象に失礼だ」と言われてしまった)
 ところで書き忘れていたが、盗まれた財布には80ユーロほどと、VISA付きのセゾンカード、カルネ(地下鉄・バスの券)が入っていた。
 80ユーロは日本円にして約13,000円くらいだ。
 現金は、まあ、いい。もったいなかったが、気になるのはカードの方だ。
 わたしはホテルに戻ると、ただちに日本にいる夫に電話を入れた。
 日本はこのとき夜中の2時くらい。夫は寝ぼけた声で「どうひたのー」と応じたが、構ってはいられない。わたしはクレディ・セゾンに電話してカードを無効にしてくれるよう、夫に依頼した。
 
 幸いなことに、わたしは用心のため財布を二つに分けていた。普段は盗まれた方の財布から現金を使っていたため、残された財布の方には数百ユーロという大金が入っていたし、パスポートと免許証類も入れてあった。
 そちらの方を盗まれなくて、本当によかったと思う。残った財布は首から掛けるタイプのものだったが、うっかりしてショルダーバッグに入れたままにしておいた。万が一、財布と一緒に盗まれていたらと思うとゾッとする。
 場所がスーパーということ、あとは疲れや足の痛みから気が緩んでいたが、どんな場所でも安全な所などない。心して行動せねば、旅行すべてがパーになるばかりか命も危うくなる。
 すっかりパリに慣れたつもりで油断し、こういう事態に陥ったが、いい教訓になった。
 もう二度とヴィトンの財布は海外に持って行きませ〜ん。


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