| ダイアナ妃の事故現場 |
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このトンネルを通ったのは、パリ滞在4日目のことだった。モン・サンミッシェル観光からの帰り道、パリ市街地に入り、エッフェル塔が右手に見えて間もなくのことだ。
なんの変哲もない普通のトンネルで、ここが歴史的な場所であることを示すものはなにもない。
だが、ここは故・ダイアナ妃の乗った車が事故を起こした、まさに歴史的と言ってもいいトンネルなのである。
ガイドさんのアナウンスで、わたしは慌ててカメラを向けた。走行中のバスの中から映したので、見事なピンぼけ写真だ。
ダイアナがチャールズ皇太子と婚約したときからのファンだったわたしは、もちろん彼女の伝記も読んだ。1996年に正式離婚し、王妃になる道が絶たれたときは非常に残念だったが、幸福な第二の人生を送ってほしいと願っていた。
ダイアナ妃が交通事故に遭ったという衝撃のニュースが流れたあの夜を思い出しながら、わたしは息を呑んでトンネルの柱を見つめた。 |
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事故があったのは、1997年8月31日の未明のこと。ダイアナ妃が恋人のドディ・アルファイド氏とともに乗りこんだメルセデツ・ベンツが猛スピードでアルマ広場下のトンネルに突入、ドライバーが運転を誤り中央分離帯の柱にぶつかった後、側壁に激突したとされている。
車体は大破し、ドディとドライバーは即死。助手席のボディガードは一命を取り留めた。頭や全身を強打したダイアナ妃は事故1時間後に救出され病院に運ばれたが、肺からの出血多量で死亡した。
わたしは見つけられなかったのだが、ベンツが激突した柱か壁に、このとき白いユリが手向けられてあったという。今でもダイアナ妃の死を惜しむ人の参拝が後を絶たないのだろう。(だけど、こんなところで車を停めて花を置くなんて、危ないよねえ。交通量の少ない深夜とかに置いたのかな?)
あとで地図を見ながら検証してみてわかったのだが、事故があったのはおそらく反対車線側だったと思う。というのは、わたしたちのバスはブローニュの森の方からコンコルド広場方面に向かってトンネルに侵入したが、ダイアナたちのメルセデスは、その逆、ホテル・リッツからコンコルド広場を経て、シャンゼリゼに向かっていたからである。
ちなみに、日本のマスコミはダイアナのことを「ダイアナ元妃」と呼んでいるが、彼女は離婚後もウェールズ公妃ダイアナ(Diana,
Princess of Wales)と称していた。だから、はばかることなくダイアナ妃と呼んで差し支えないのではないだろうか。
ダイアナは離婚でウェールズ公妃殿下(Her Royal Highness The Princess of
Wales)の称号は失ったものの、慣習として元夫の身分に基づく称号は保持できたのである。
これはフランスの例となるが、のちにナポレオン1世の妻となったジョゼフィーヌは、ボアルネ子爵と離婚した後もボアルネ子爵夫人と名乗っていた。そして、ナポレオンから離縁された後も、皇妃の称号を保っていたのである。 |
さて、この事故の原因であるが、ハエのように群がるパパラッツィを振り切ろうとスピードを出し過ぎたためのドライバーの過失だとされている。だが、不思議なことに、大勢のパパラッツィたちが追いすがっていたにもかかわらず、実際は誰も事故の瞬間を目撃していない。また、パパラッツィたちが撮影したフィルムは、すべてフランス警察当局に押収されてしまった。
ただの交通事故とは単純に言い切れない状況証拠も様々飛び出し、あれは謀殺だったのではという説が流布されている。
日本のメディアでも、たびたびダイアナ暗殺説が取りあげられている。
メルセデスに接触したという不審なフィアット・ウーノの存在、目がくらむほどの白い閃光がトンネル内にほとばしったという目撃情報、後部座席のエアバッグが横から飛び出していなかったなど、謀殺説を裏付けるような奇怪な情報は数々存在する。
そしてきわめつけは、検死の結果、ドライバーの血液中から許容量の3倍のアルコールが検出されたというもの。実際問題、それだけのアルコールを摂取していれば、泥酔して普通に歩くことができないはず。ドディとダイアナが、そんなドライバーの状態に気づかないということはあるだろうか。よほど信頼していたとしても、果たしてそんな酔っぱらいにハンドルを握らせるだろうか。
仮に、ラブラブ状態だった後部座席の二人が色ボケしていて気づかなかったとしても、そもそも泥酔していたら猛スピードなんか出せやしない。ノロノロ運転か蛇行運転になるのが普通で、パパラッツィを振り切ることは不可能に近いのではないだろうか。
テレビ朝日のビートたけしの番組では、「ドライバは酔ってなどおらず、死後、アルコールを直接注射されたのでは」という疑惑が紹介されていた。
では、なぜダイアナは暗殺されたと言われるのか。
それは、ドディ・アルファイド氏がエジプト人で、イスラム教徒だったからだ。父親は武器商人で、ハロッズやホテル・リッツのオーナーとなった成り上がり者である。
つまり、ダイアナがドディと結婚すれば、将来のイギリス国王の義父はエジプト人ということになる。イスラムの戒律ではダイアナも改宗しなければ結婚は認められないだろうから、そうしたら国王の母も異教徒ということになる。
しかもこのとき、ダイアナはドディの子を身ごもっていたと噂されている。二人の間に子どもが生まれれば、国王の異父兄弟がイスラム教徒という事態となってしまう。これらのことは、キリスト教国家であるイギリスにとっては大変な大問題だった。そこで、王室の内意を受けてか否かは定かでないが、イギリス情報局秘密情報部(MI6)が動いたと噂されているのである。
事故のあった夜、ドディはプロポーズするため購入しておいた30万ドルのダイヤの指輪を、シャンゼリゼにあるアパルトマンに置いてあったという。事故は、ドディの父親がオーナーを務めるホテル・リッツから、そのアパルトマンに向かう途中に起こった。
パパラッツィを振り切るためか、コンコルド広場からシャンゼリゼまで直線ですぐだったにもかかわらず、わざわざセーヌ川沿いの道路を通って遠回りしようとしている。
これから正式なプロポーズがされようとする夜に事故死というのも、状況証拠のひとつかもしれない。暗殺を決行するにはこの日をおいて他にないというくらい、絶妙なタイミングだった。
二人がイタリア・サルディーニャ島からチャーター機でパリ入りしたのは、8月30日。事故があったのは日付が変わった未明のこと。となれば、車が人目につきにくいトンネルに入ったこの瞬間は、まさに絶好にして最後のチャンスだったかもしれない。
ケネディ暗殺の真犯人が未だ明かされないように、ダイアナの死の真相も永遠に封印されたままなのだろうか。いや、いつかきっと、わたしたちの前に真実が明かされることを期待したい。 |
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