平成17年6月18日 |
実は昨夜、「古波久」で気分よく飲んでいたとき、我が家で急用が発生した。そのため、わたしは一時自宅に戻るハメになっていた。片道195キロを2時間20分で完走、深夜1時前に自宅に到着。用事を済ませると、すぐさまトンボ返りで戸倉上山田温泉へ戻った。時刻はすでに午前2時50分。宿に戻るやただちに温泉に入り、就寝したのだった。
だが、深夜のドライブで脳も目も冴え渡っており、なかなか 寝付けない。温泉に浸かったせいで汗が引かず、暑苦しさに寝返りを繰り返した。
ふと気づくと、窓の外が白っぽくなり、鳥のさえずりが始まりだした。
あ〜あ。わたしは布団の中で溜息をついた。鳥のさえずりはますます賑やかになっていく。それもオオヨシキリという水辺の葦などの草むらに棲息する鳥で、ギャッギャッ、グェッグェッと、とびきりやかましい声を放つ。さえずりの高まりとともに、外の明るさも一層増していく。
それでも5時くらいから少しは眠れたのだろうか。7時に起床したのだが、わずかな睡眠間にもかかわらず意外にすっきりと目覚めることができた。
窓を開けると、意外にいい眺め。そうか、千曲川に面した部屋だったんだ。だから、オオヨシキリの声がかしましかったんだわ。 |
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さあさあ、朝ご飯だ。二人とも起きてー。だが、わたしよりずっと長いこと眠っていたはずの夫と娘は、なかなか起きない。やっとこさ着替えさせ、布団を簡単にたたんで部屋を出る。食事は1階にある食事処「六文銭」で。
「六文銭」というのは画像ののれんにもあるマークで、真田家の家紋として有名(麻雀の牌じゃないよ)だ。
真田家というと、「真田十勇士」とか「真田幸村の陰謀」といった映画や、NHK大河ドラマでも常連?の幸村さんがつとに有名である。
豊臣方について徳川家を始めとする関東軍と闘った幸村は1615年、大阪夏の陣において戦死。だが、兄の信之の方は徳川方についたため真田家は生き残り、松代藩初代藩主となった。信濃の藩では最高の石高を有したそうである。
その真田家ゆかりの「六文銭」、なかなかいい雰囲気である。食べているのはわたしたちだけで、ひっそりと静か。合宿中の女の子たちは別の大広間で賑やかに食事をしていた。
元気のいい仲居さんが温かいお味噌汁を入れてくれた。ホテルの朝ご飯だと和洋折衷のバイキングというのが多いが、和食オンリーというのも悪くない。ちょびっと物足りない気もするが、まあこんなもんでしょ。 |
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食事が済むと、わたしは独り車に乗って日帰り温泉に出かけた。温泉宿に泊まっているのに、どうしてまた外の温泉へ? と訝しむ人もいるかもしれない。
ここ戸倉上山田温泉では、いくつかの源泉ごとに違う温泉が湧いている。「みやこ屋」では無色透明の硫黄泉だが、3年前に入った湯の花銭湯「瑞祥」はスモーキー・ブルーの硫黄泉だった。そうした違いを肌で感じるのが楽しい。同じ温泉地でありながら、微妙に違う温泉に出会えたとき、温泉めぐりの醍醐味を実感するのである。
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国民温泉から宿に戻り、廊下を歩いていると、ずいぶん軽装なお爺ちゃんが「今日は暑いねぇ」と声をかけてきた。むむ、この方は「みやこ屋」のご主人か? はたまた、ただの下働きか?(失礼)
よくわからなくて、「そうですね〜」と相づちを打っただけで終わったのだが、あとから思えばあの服装は従業員ではあるまい。従業員だったら、客に敬語を使うはずだし。となると、やっぱご主人だったのか。いかん、いかん、服装で人を判断してしまった。もっとお爺ちゃんとお話ししておけば良かった〜。 |
ちなみに上の画像は、由緒ありげな茶碗の展示物と、1988年の大河ドラマ「武田信玄」のポスター。(中井貴一が若い・・・)
部屋に戻ると、夫と娘がだらだらと寝転がって過ごしていた。
わたしは髪を乾かし、支度を整えた。さすがに部屋にドライヤーはついていない。持ってきて良かった、超軽量イオンドライヤー。イタリア旅行の時に活躍した海外・国内兼 用タイプのものである。
支度ができて、いよいよ宿を出立となった。荷物を持ってロビーに降り、精算をする。車に乗りこんで出発する際には、女性の従業員さんが一緒に出てきて見送りをしてくれた。車が遠ざかるまで手を振って送ってくれたのは嬉しかった。
夜8時半を過ぎての到着で、しかも一端自宅に戻るハプニングもあり、とてもゆっくりできたとは言いがたい滞在だった。それでも、楽しかった「みやこ屋」での一泊。
ぜひまた泊まりに来たい。「古波久」での食事も楽しかった。やっぱり戸倉上山田温泉は「マイ・ベスト5」に入る、お気に入りの温泉地である。 |
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