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 平成20年キャンプ
 
平成20年8月10日(日)〜11日(月)
* 軽井沢・北軽井沢プチキャンプ〜スウィートグラス *
 お盆休みに突入する前の週末、商工会のメンバーや事務長など交えてキャンプをすることになった。
 取りまとめ役の区議に「ご老体が多いので負担のかからないコテージ宿泊を」と依頼され、わたしは以前トレーラーでキャンプしたことのある北軽井沢スウィートグラスキャンプ場のコテージを予約した。
 さらに、「ただキャンプ場に行ってバーベキューするだけじゃ、なんなので」と言われ、熱心に軽井沢観光の計画を練る。ある時、いつの間にか幹事をやっている自分にふと気がついたが、あとの祭りである。
 知らないよ、こんなわたしに幹事役をさせて。思いきり趣味に走っちゃうからね。こうなったら幹事役の役得をフルに活用し、好き勝手にやってしまおう。
 軽井沢はこれまで何度も訪れたことがある、お気に入りの場所。しかし、訪れるのは野鳥の森や中軽井沢ばかりで、旧軽井沢や美術館などの一般的な観光はあまりしたことがない。この機会を利用して、美術館などの行ってみたい場所を訪れてみることにしよう。
 わたしはタイムテーブルと見学する施設や内部の写真、それに解説を加えた旅程表を作成し、区議を通して参加者に配布した。まるで海外旅行のパンフレットみたいなできばえに、わたしは悦に入って当日を迎えた。
 当日朝、商工会前で待ち合わせして2台の乗用車に分乗する。参加者はもっと多いはずだったが、都合の付かない人たちもいて、このような少数精鋭となった。
 関越道から上信越道へと車を走らせ佐久インターで降りて、まずは「メルシャン軽井沢美術館」へ。ここは軽井沢というより、佐久エリアだ。
 メルシャンという名前からわかる通り、日本の酒造メーカー「メルシャン」が運営する文化施設。ここでは現在「シャガール『花束(ブーケ)の伝説』展」が開催されている。
 わたしは高校生の時、シャガールのポスター画を額に入れて部屋に飾っていたほどのファンだ。パリ・オペラ座の天井に描かれたシャガールの絵が見たくて、何度も足を運んだこともある。
 今回シャガール展が開催されていること、ワインやウィスキーの試飲ができるという点が、ここを観光に選んだ理由だった。
 さて、それではメルシャン軽井沢美術館HPの解説を参考にしつつ、シャガールについて解説をしておこう。

「花束の上の恋人達」1975〜1978年
油彩カンヴァス、AOKIホールディングス蔵

 マルク・シャガールは1887年、ロシア(現在はベラルーシ)のユダヤ人家庭に生まれた。オペラ座の天井絵を描いた人というと大昔の画家のようだが、亡くなったのは1985年なので意外と最近の人である。
 1906年、シャガールはサンクトペテルブルクで美術を学びながら絵画を発表し、後にパリで成功を収める。
 1909年、22歳のときに運命の女性ベラ・ローゼンフェルト(当時14歳)と出会い、1915年に結婚。
 1941年、ナチスの迫害により、夫婦でアメリカに亡命する。
 1944年にベラが亡くなった後は、二人の女性の献身的な愛に支えられながら芸術活動を続ける。しかし、生涯彼の作品に多大な影響を与えたのは、ベラの存在だったと言われている。
 肖像画に「花束」を描き始めたのは、ベラに出会ってからであった。それから晩年に至るまで、「花」や「花束」はシャガール作品にとって欠かすことのできないテーマのひとつであった。
 シャガールの描く花束の世界が「妻への愛」から「女性への愛」へと普遍化しながら描き続けられ、彼を「愛の画家」たらしめたのである。
 この展覧会では油彩、リトグラフを中心に国内所蔵作品が約70点、「花束(ブーケ)」に焦点をあてて紹介されている。
 約1300点ものシャガール作品を所蔵する高知県立美術館からの出展が多いが、個人所蔵の作品も何点か展示されていた。
 シャガールの絵を所有する個人って、いったいどんな方なのだろうか。わたしもポスターじゃなくて本物を部屋に飾りたいぞ〜。

「花束を持つ少女」1943年
グワッシュ、パステル、紙、山形美術館蔵
 シャガールの作品というと、青い空に馬の顔や魚が浮かんでいたり、巨大な花が遠近法など無視して描かれているといったファンタジックな作品のイメージが一般的だと思うが、聖書のエピソードを描いた作品もいくつか見られた。
 ユダヤ人なので、彼にとっての聖書はキリストの行跡を記した新約聖書ではなく、ユダヤ教の聖典である旧約聖書になる。そこから着想を得たポエムや絵画もあるので、ある程度旧約聖書の知識を持っていた方が彼の作品を鑑賞する手助けとなるだろう。
 鑑賞を終え、ウイスキーの樽貯蔵庫を改修したものだという美術館を出る。
 とっくりと絵を鑑賞していたわたしは最後であったようで、仲間たちはとっくにメルシャンプラザ(売店)へと移動していた。
 商工会のメンバーはほとんどが中小企業や商店の経営者なので、わりとマイペースな人が多い。
 今回の参加者のうち2人が高齢のおじいちゃんだが、その中でもIさんは最もマイペースな人だ。絵画にはあまり興味がないらしく、早々に美術館を出てベンチに腰かけていた。
 Hさんは勉強熱心な方なので、比較的熱心に鑑賞していた。
 事務長は「花より団子」ならぬ「絵より酒」のクチらしく、やはりスタコラサッサと売店に足を運んでいた。
 では、なぜ皆さんそんなに急いでメルシャンプラザに行ったのか。それは、ウィスキーとワインの無料試飲コーナーがあったためだ。
 ここでは地域限定ワインの「コンコード」や「ナイアガラ」などワイン数種の他、シングル・モルトウイスキー「軽井沢17年」が無料で試飲できる。
 お金を出せば、さらに高いウィスキーやワインも飲める。ウィスキー15年物が500円、 20年物が1,000円、25年物が1,500円、そしてナント30年物が2,300円というお値段だ。 
 特別なショットグラスに注がれた20年物のモルトウィスキー。一口舐めてみたが、深いというか、キツイというか・・・。うーん。ウィスキーが苦手なわたしには旨いも何もわからず、論評不能。
 しかし、これ20年前樽に詰められたウィスキーだよ。20年前っていったら、現在ハタチの若者が生まれた頃。(当たり前じゃん)
 1988年に樽詰めされたウィスキーが20年もの間、こうしてグラスに注がれる日を待っていたのである。
 でも、30年物までは存在しても、それ以上がないのはどうしてだろう。40年物、50年物があってもいいじゃないかと思うのだが、あまり古いと今度はまずくなってしまうのかしら。
 メルシャンプラザ内で事務長にすれ違うと、彼は運転手役という務めも忘れて、かなり酔っていた。聞けば、区議から譲り受けた無料試飲券を使って2倍飲んだとか。
 この無料試飲券は美術館の入館料を支払った人に渡されるもので、これがないとタダ酒できない。しかし、カウンターのお姉さんに試飲券を渡してしまった後でも、試飲は繰り返せる。
 わたしは無料ワインを何杯か飲んだあと有料ワインまで手を出して、けっこういい気分になってしまった。
 のんびりとワインを飲んでいたら、突然「ウィスキー蒸留所の見学ツアーが出ます」と声を掛けられた。
 わたしは確かに、旅程表に「希望する方は、時間が合えば蒸留所の見学ができます」と書いておいたが、自分自身は見学するつもりはなかった。
 だって、見るより飲む方が好きだもん。
 しかし、気がつくと爺ちゃん2人と事務長、区議までが見学ツアーにくっついて行ってしまった。
 これは予想外。誰も参加しないと思っていたのに。
 夫に早く早くと急きたてられ、走って見学ツアーの尻尾に追いつく。家族連れから年配の夫婦まで、これも予想以上に参加人数が多い。
 ガイド役のきれいなお姉さんに先導されて、一行は建物の中に入った。
 ここから先は撮影禁止になっていて、おそらく企業秘密であろう様々な機械やコントロールルームなどがあった。
 最初は興味がなかったものの、話を聞いていると興味深いことがいくつかあった。
 まず、ガイドの説明によれば、この軽井沢の地に蒸留所が建てられたのは1955年(昭和30年)のこと。浅間山の雪解け水や夏の間も冷涼で寒暖差の少ない気候など、ウイスキーづくりに適していることから選ばれたという。
 現在でもスコットランドから発酵させた大麦を輸入し、ここで醸造しているそうだ。また、建物の壁を覆うツタは、内部の急な温度変化を防ぐ役割があるのだとか。
 貯蔵倉庫に足を踏み入れると、下から上までびっしりと積み上げられたウィスキー樽に圧倒される。ひんやりとした空気の中には木の香りとウィスキーの香りがない交ぜになって、なんともいえぬ甘い芳香が漂っていた。
 ウィスキーのあの琥珀色は、樽の木の色が染み出て形成されたものだという説明には、見学者の皆が一様に驚きの声を挙げていた。
 砂糖水を煮詰めていくと茶色になるように、ウィスキーも熟成するにつれて自然に黄色くなるものだと思っていた。しかし、あの色が木の汁によるものだとは、まったく意外であった。
 となると、モール泉と称される茶褐色の温泉は、ウィスキーと同じ成分で色づけされていると言えるだろう。
 また、これは公式サイトに書いてあったことだが、ここの樽貯蔵庫群は、ルーヴル美術館のリシュリュー翼やエリゼ宮の改修を手がけたフランスの建築家、ジャン=ミシェル・ヴィルモットの設計により改修されたものだそうだ。 
 庭園も美しく整備されていて、都会型の美術館とはまた違った趣があって素晴らしい環境だ。 フレンチレストラン「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」もあって、次はここでランチでもいただきたいと思っている。
メルシャン軽井沢美術館
■住所/ 長野県北佐久郡御代田町馬瀬口1799-1
■TEL/ 0267-32-0288
■開館時間/ 9:30〜17:00(最終は閉館30分前)
■休館日/ 火曜日(7・8月は無休、9/23は開館)
■料金/ 大人1,000円 大学生800円 高校生600円 中・小学生以下無料、
     65歳以上は半額
■HP/ http://www.mercian.co.jp/musee/
  
 もしも夫と2人だけの旅行だったら、まず間違いなくメルシャンの「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」で食べていただろう。
 しかし、今回は低予算に抑えなければならなかったし、ご老体お二人のため脂っこい料理は避けなければならない。
 で、選んだのがここ、信州そばの「大禅」。重要なのは十割蕎麦であること、それから最も大事なのがテラス席があってペット可な店。
 そう、今回はレディも同伴だったのである。
 天ぷら蕎麦。ざるの下に白いスクエア皿を敷いているあたりが、さすがに軽井沢っぽい。
 コシのある麺で、なかなか美味しかった。しかし、十割蕎麦というわりには蕎麦の風味が薄いような気もする。十割は十割でもボソボソと荒削りな田舎蕎麦が大好きなわたしにとって、少々物足りない感じだった。
 しかし、蕎麦の実の皮ごと轢いた田舎蕎麦は消化が悪いので、ご老体にはこれ位でちょうどよいかも。
 お蕎麦を食べる面々。
 うちのダンナは前日、としまえんプールで日焼けしすぎて、赤鬼のようになってしまった。あまりにヒリヒリ痛いので、この夜の温泉はパスしたほどである。
 大禅は、聖パウロ教会前のT字路を入った所にある。軽井沢駅から行くときは、旧軽井沢銀座を聖パウロ教会に向かって左折する。
 お店に電話を入れて確認したところ、「店の前の道は通行止めになってるけど、無視して入ってきてください」とのことだった。駐車場は2台分ほど店頭にある。
 
 →聖パウロ教会。軽井沢ウェディングの人気教会だが、再婚者は式を挙げられないとか。
軽井沢 十割そば
■長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢605-7
■TEL 0267-42-3344
■公式サイトhttp://www.da-i-zen.co.jp/
 
 
 それでは、ここで軽井沢について説明しておく。
 軽井沢町は長野県北佐久郡にある日本有数の避暑地で観光地だ。高速道路だと、上越自動車道の碓井・軽井沢インターチェンジが最寄りとなる。
 元々は軽井沢(現・軽井沢)、沓掛(現・中軽井沢)、追分の三地域が、関東の出入り口を固める”碓氷の険”を控えた浅間根腰の三宿として栄えた。
 しかし、明治時代になると宿場町としての機能を失い、街は寂れてしまった。
アレキサンダー・クロフト・ショー(1846年〜1902年)
 1886年(明治19年)、キリスト教伝道のために「英国聖公会」より派遣されていた宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが、偶然軽井沢を訪れた。
 ショーはカナダ生まれだが、元はスコットランドの名家の出身。軽井沢の自然や涼しい気候に祖国スコットランドの風景を見いだしたショーはたいそう感激し、開店休業状態だった旅館「亀屋」(万平ホテルの前身)を一夏の間借り切って、友人らと過ごした。
 さらに2年後、ショーは旧軽井沢に別荘を建てた。実は軽井沢に別荘を建てた最初の人が、このショーなのである。
 ショーが友人・知人らにも軽井沢の素晴らしさを紹介したため、外国人だけでなく数多くの著名人たちが軽井沢を訪れるようになり、次々と別荘を建てた。
 おそらく欧米からやって来た外国人たちにとって、高温多湿な日本の夏は耐え難いものだったに違いない。軽井沢に彼らの別荘や教会が数多く建った背景には、明治時代になってキリスト教の宣教師たちが来日できるようになったことも関係しているのだ(江戸時代はキリスト教や外国人の入国が禁止されていたから)。
 旧軽井沢銀座商店街を抜けた先には、ショー記念礼拝堂がある。1895年(明治28年)に軽井沢最初の教会建造物としてショーによって建立されたもの。元々はバンガローだった建物だという。
 隣にはショーが最初に建てた別荘が移築され、見学もできる。
 
(ショーの肖像と右画像は旧三笠ホテルのパンフレットより転載)
ショー記念礼拝堂
■長野県軽井沢町大字軽井沢57-1 / TEL 0267-42-4740
■見学時間 9:00〜17:00(冬期は16時まで)
■休業日 不定休

■見学無料
  
 白糸ノ滝に通じる道を上がり、旧三笠ホテルに向かう。そこは軽井沢でもっとも高級な別荘地、三笠地区と呼ばれる一角だ。あの麻生太郎さんも軽井沢に別荘をお持ちだそうなので、おそらくこの辺りにあるのではないだろうか。
 大学時代にタクシーをチャーターして軽井沢観光したとき、このカラマツ並木が一直線に続く通りを走ったことがある。芸能人の別荘がたくさんあって、女優の森光子さんなど有名人を何度も乗せたと、運転手さんが話してくれた。
 あれからウン十年間、一度もこの道を通ることはなかったので、非常に懐かしい想いで並木道を走った。
 木々の奥には壮麗な豪邸が建っている。これだけの別荘を構える人の年収は、一体どれくらいなのだろう。
 旧三笠ホテルに到着した。駐車場は300メートルほど離れたところにあって、かなり不便。そのせいかレンタサイクルで訪れる人も多いようだ。
  旧三笠ホテルは日本郵船、明治製菓、十五銀行などの重役を務めた実業家の山本直良(1870年〜1945年)が明治39年(1906年)に創業した、純西洋風の木造ホテルである。
 直良は未経験のホテル経営を始めるにあたって、万平ホテル(軽井沢町軽井沢925)の経営者に頼みこんで監督になってもらった。
 設計・施工にあたったのは、アメリカで設計を学んだ設計士や軽井沢随一の棟梁などの純日本チームであった。
 完成したホテルにはシャンデリアによる電気照明に英国製のカーペット、英国製タイルを貼った水洗トイレ、プールまで完備されていたというから、明治時代後期としてはまさに最高品質・最先端の超豪華ホテルであった。初めのうちは外国人が多く宿泊したが、次第に華族、文人、財界人などが多く滞在するようになった。
 これは「軽井沢の歴史」でも紹介したように、寂れた軽井沢を最初に避暑地としたのが外国人だったことと一致する。そこに目を付けた直良の実業家としての才覚は大したものだ。
 多くの外国人が滞在するため、軽井沢には海外経験のある政財界人も訪れるようになり、次第に華族、文人、芸術家なども増えていった。こうして三笠ホテルは一大社交場として栄え、「軽井沢の鹿鳴館」と異名をとるようになったという。
 竣工当初の約半分の建物が現存していたため、昭和55年(1980年)、国の重要文化財に指定された。日本人の手による純西洋式木造ホテル、それも「西洋風」ではなく純粋な「西洋式」建造物をこの時代に造りあげた点が高く評価されたものである。
 八角の塔屋、非対称形による荘厳な造形とともに、デザイン的にも優れた手のこんだ装飾が随所に見られる。
 外装でいえば、軒を支える湾曲したブラケット(腕木)や窓の太い縁どりなどである。内装については後述する。 
 ちなみに、童謡「一年生になったら」や「大きいことはいいことだ!」で知られる音楽家の山本直純(2002年他界)は、直良の孫である。
 また直良夫人の愛は作家・有島武郎の妹で、三笠ホテルより少し奥には有島家の別荘「浄月荘」があった。
 その有島武郎は1923年(大正12年)、「浄月荘」において人妻と心中死を遂げ、世間を驚かせたという。
 資料展示室で展示されていた宿帳。東京都が「東京市」になっていたり、外国人の名前が見られるのも興味深い。
 この宿帳には皇太子妃になる前の美智子さまの名前や、元幕臣で実業家の渋沢栄一、三井財閥の総帥であった團琢磨、住友財閥の創業者・住友吉左衛門、陸軍大将・乃木希典、清朝最後の皇帝”ラストエンペラー”溥儀の名前も載っているそうだ。
 では、こんなお歴々が泊まったこのホテル、宿泊料は一体おいくらなの?
 と、一般平民としては大変気になるところである。
 部屋によっても違ってくるだろうが、軽井沢商工会の資料によると12円だったそうだ。大正時代初頭の換算で「1円=現在の5千円程度」だというから、一泊6万円ということになる。
 当時、一般の旅館で1円、万平ホテルは8円だったそうなので、一般庶民とは住む世界の違う人々の集うところだったようである。
 なおパンフレットには3,000円と書いてあるが、これは昭和初期くらいの料金だと思われる。
 さて、「軽井沢の鹿鳴館」と異名をとっただけあって、ここ三笠ホテルではたびたびパーティが開かれた。時には仮装舞踏会のような華やかな催しもあったという。
 →ここが晩餐会や舞踏会が開かれたラウンジ。質素な印象を受けるが、当時はまだ障子・ふすまの家屋がほとんどだったのだから、格段にゴージャスなものだったに違いない。
 これは↓ラウンジに掲示されている写真で、明治末もしくは大正始めに開かれた晩餐会の模様。「軽井沢の鹿鳴館」というわりには、服装がすごく地味なのが印象的だ。
 このテーブルの一番左に本来なら山本愛が写っているのだが、なぜか近衛文麿の所ですっぱりカットされてしまっている。別の部屋にある同じ写真には夫人が写っており、なぜオーナー夫人の姿がカットされているのかわからない。
 で、愛の左隣(向かって右)に写っているのが近衛文麿。のちに公爵の爵位を継ぎ、三たび内閣総理大臣に就任した人物だ。戦後、GHQからA級戦犯の容疑をかけられ、荻窪の自宅で服毒自殺した。
 なんとこの方、あの”熊本のお殿さま”こと細川護熙氏のお祖父ちゃんにあたるそうだ。
 現在(2008年9月)、福田首相の「政権投げだし」がトップニュースになっているが、近衛文麿も太平洋戦争開戦直前に政権を投げだしているし、細川氏も突然退陣している。
 お祖父ちゃんと孫だから2人は容貌もよく似ており、「政権投げだし」まで同じだと評する向きもある。しかし、「政権投げだし」がこの2人に限ったことではないのは、福田さんや安倍さんの例を見ても明らかである。
 さて、近衛文麿から2人置いて右、立派な髭をたくわえた和服の男性が山本直良である。このメンバーの中で最も堂々として自信に満ちあふれ、一番偉い人のように見える。
 その右が尾張徳川家当主で侯爵の徳川義親。彼は越前藩主であった松平春嶽の五男だ。
 暖炉の前に座る毛利夫人は、下の名前がわからないので詳細不明。ネットで調べたところ、毛利子爵夫人(元・豊後佐伯藩主家)ということだ。
 近衛文麿の夫人、千代子(画像右端)は毛利子爵家の出だそうなので、彼女の母親か誰かではないだろうか。この晩餐会は子爵夫人を囲んでのものなので、あるいは彼女の誕生日会かもしれない。
 そして、次に座るのがこの写真より12年後に情死することになる有島武郎。その最期を象徴しているわけではないだろうが、後ろの方にぼんやりと写っている状態である。そのすぐ隣りは有島の実弟でやはり小説家の里見ク(さとみ・とん)。
 その隣りの徳川慶久夫人は、有栖川宮威仁親王の第2王女・實枝子(みえこ)。夫の慶久は徳川幕府最期の将軍、慶喜の7男で、嫡男として父の家督(徳川宗家ではない)を継いだ人物だ。
 なぜかこの写真に写っておらず、最初は晩餐会に出席していないのだろうと思っていた。
 しかし、この時代、というか現代の日本でも欧米でも同じだが、フォーマルなパーティは男女ペアでの出席が基本である。この席に夫の慶久もいたはずだと考えると、カメラを構えシャッターを押したのは慶久だったという可能性もある。
 父の慶喜はかなりのカメラ好きだったそうだから、慶久もよいカメラを持っていたのではないだろうか。
 毛利子爵夫人の左隣の席が空いているように見えるので、彼はそこに座っていたのかもしれない。
 そして、右端に映る女性が前出の近衛文麿夫人、千代子だ。女学校一の美女だった千代子を文麿が見初めて結婚したという。確かに愛らしい細おもて顔の、チャン・ツィイー似の美人である。
 さて、一部割愛したが改めて晩餐会のメンバーを見てみると、ホテルオーナーの妻、妻の兄弟といった親しい家族・親類の他は、すべて華族で占められている。
 山本家、有島家はともに藩士の家柄だ。世が世なら、徳川家、近衛家、毛利家、黒田家の当主やその奥方とは直に話をすることもできない身分である。
 将軍の息子や親王の娘、関白の孫、殿さまの息子といったやんごとなき人々をゲストに迎え、一緒の写真に収まる直良の晴れがましさが、こちらにまで伝わってくるようなシーンだ。
 それにしても女性がすべて和装で、しかも慎ましやかに目を伏せている様子は非常に興味深い。現代であれば堂々とカメラ目線で満面の笑みをつくり、さらにはVサインなんかしてしまうところである。
 着物が地味なあたりも、華族といってもこんなものだったのかという思いがする。
 日本が近代的国家であることを西洋諸国に示すため日比谷に鹿鳴館(明治16年〜明治23年)が建てられ、ドレスをまとった上流夫人がダンスをした時代である。
 明治の末なら当然、みんな普通に洋装していたのだろうと思っていたが、それはあくまでも外国向けのパフォーマンスであって、多くの上流女性はまだ着物を好んでいたのに違いない。
 これはラウンジを別の角度から撮影したもの。
 ソファは当時のものを修繕・修復して展示しているそうだ。
 ピアノと暖炉。暖炉は各客室にも設置されており、寒さ厳しい冬の間も宿泊はあったのだろう。
 太い縁の窓枠と、幾何学模様のガラス窓。
 このガラスには歪みがあって、当初からのガラスがそのままはめこまれているという。
 カーテンボックスは鶴と松を組み合わせた浮き彫りになっている。
 カーテンボックスをアップにしたもの。鶴と三つの松かさ、三笠ホテルのイニシャルである「MH」があしらわれている。
 
 下の2枚はイギリス製のカーペットが敷かれた階段。お城の天守閣もビックリといった急勾配の階段は現在使用されておらず、当時のままのカーペットが現存している。

 ラウンジを出て、客室を見てまわる。
 ここも壁はやはり真っ白なままで、まるで病院のよう。当時も壁紙で飾ったりははしなかったのだろう。
 客室はシングル、ダブル、スイート、ベビーベッドのある部屋など、様々なスタイルで構成されていた。
 ここが1号室、ここが2号室、ここが11号室・・・と各部屋のドアの上に刻まれた部屋番号を見ていくと、13号室がないことに気がついた。
 「そうか、西洋式のホテルだから13号室がないんだ」と思わずつぶやく。
 バスタブ。すべての部屋にお風呂があるわけではなかったようだ。
 廊下にある共同トイレ。このタイル張りってところが、当時の日本では画期的だったのだそうだ。タイルはイギリス製で、もちろん水洗だった。
 うちの田舎なんか、昭和にも関わらず板張り・落としのトイレだったのに。
 しかし、上流階級向けの豪華ホテルでもトイレが共同ってところは、ちょっぴりカワイイ。
 見学を終えて、玄関から出る。マイペースなIさんはここでも早々と見学を終えており、外のベンチで待っていた。わたしと区議が最後のようだ。
 玄関でスリッパを脱ぎ靴に履き替えていると、区議がこんなことを言いだした。
 「1号室に幽霊が出るって書いてあったわねえ」
 「ええ? そんなこと、いったいどこに?」
 「最初にあった資料室。1号室に出るって。わたしその部屋に入って、なんか暗いなあと思ったのよね」
 「・・・」
 わたしはしまった、見逃したと、ほぞを噛んだ。説明も読んでなかったし、その部屋のことも気づかなかった。これはもう一度、その部屋に戻ってみなければ。
 しかし、一人では心細い。すでに靴を履いていた区議を道連れに、わたしは1号室に戻っていった。
 1号室は2階にあるため、先ほど降りてきたばかりの階段をまた昇っていかなければならない。わたしは苦笑いする区議を引っぱって、階段を駈けのぼった。
←パンフレットより転載
 ←階段の上から踊り場を見たところ。かつて、この踊り場の向こうには渡り廊下があって、その奥にも建物が続いていたそうだ。
 ところで、資料室にあった説明は以下のようなものであった。
 『この三笠ホテルにも、コワイ話がございます。2階にあるスウィートルーム、No.1とNo.2・・・
 見物客が一瞬途絶え、あなたとお友達だけになり、シーンと静まり返ったとき・・・
 スキップをする女の子や、渋沢栄一に会えるかもしれません』
 2階の奥まったところにあるスウィートルームに到着。区議の言うとおり、確かに薄暗い。うっそうとした森に面した北側の部屋なので、なにやら出そうな印象を受けるのだろうと思う。
 それにベビーベッドの存在が、なんだか妙に怖い。そこはかとなく楳図かずおの世界。
 部屋には区議とわたしの他には誰もおらず、ひっそりと静かだ。だが、スキップする女の子も渋沢栄一も現れない。
 いや、本当に出たらマジで怖いが。
 渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれた実業家で、現在の埼玉県深谷市の農家の生まれ。徳川慶喜の家臣となり、慶喜が将軍になったことで幕臣となった。学校教育や慈善事業など社会活動にも力を注いだ立派な人物だったようで、91歳の長寿を保った。
 どう考えても化けて出るような御仁ではないのだけど。
 わたしたちは再び階下に降り、玄関の外にあるベンチに腰かけた。そこで夫や他のメンバー達に「幽霊の出る部屋」について説明していると、さっきから館内を撮影していたカメラクルーが近づいてきた。
 どこの局かは知らないが、「ベンチで談笑しているシーンを撮らせてください」と言う。よほど楽しそうに見えたのだろうか。
 いいですよ、と応じて、わたしたちは素知らぬ顔をしてお喋りを続けた。
 いったいどこのどんな番組で放送されるのだろう。軽井沢の観光スポットを扱った番組か、それとも夏の心霊特集だろうか。
旧三笠ホテル
■長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1339-342
■TEL 0267-42-7072(旧三笠ホテル) / 0267-45-8695 (教育委員会文化振興係)
■営業時間 9時〜17時 (入館は16:30分まで)
■休館日 年末年始
■料金 大人400円 子ども200円
  
 旧三笠ホテルを後にし、白糸の滝の横を抜けて北軽井沢に到着。知っている人もおられると思うが、北軽井沢は長野県ではなく群馬県である。
 夏休み前、わたしの美容師さんが髪を切りながら「母と一緒に軽井沢旅行しようと思ってるんですけど」と相談してきた。
 「どこかいいホテル知りませんか?」
 と言うので、
 「『星のや』なんていいんじゃない。ちょっと高いけど」
 と、キャンプばかりでホテルはあまり知らないわたしは思いつくままに答えていた。
 「値段のことはいいんですけど・・・北軽ってどうですか?」
 おっ、お母さんの奢りでお泊まりかな?じゃあやっぱり「星のや」がお薦めだわと思いつつ、
 「北軽は群馬県だからねえ。初めてなら、軽井沢に泊まるのがいいんじゃないかな」
 と言うと、彼女、もの凄く驚いていた。
 「えっ? 北軽って長野じゃないんですか?」
 「そうよ〜」こっちの方が驚いた。知らない人もいるんだ。「北軽は軽井沢の北にあるから北軽井沢って地名にしてるだけで、ホントは群馬県なんだよ」
 「そうなんですかぁ〜」
 おっとっと。北軽井沢が大好きな人やそこに別荘をお持ちの人、住んでらっしゃる人たちには申し訳ないけど、両者は違うんだってば。
 スウィートグラスへの入口がわからずちょっとまごまごしたが、なんとか管理棟にたどり着いた。
 そこで受付を済ませ、コテージへ。
 新しくてなかなか綺麗なコテージだ。定員10名なので、とても広々している。
 すぐ近くはテントサイトで、隙間なくオートキャンパーがひしめいて火をおこしたりペグを打ったりしている。
 キッチン、トイレのみというシンプルな1階。備品はファンヒーター、冷蔵庫、湯沸かし器、食器、テーブルのみ。
 急勾配のハシゴを登ると、ロフトスペースだ。窓を開けて風通しを良くする。
 ここを区議とわたしの寝室にしよう。荷物を上げるのに苦労しそうだけど。
 ところで、C.C.Cのお友だちケビンパパファミリーが今日から3日間の予定で、やはりこのキャンプ場に泊まることになっていた。もちろん偶然、同じ所になったのである。
 わたしたちよりずっと早く到着していたので、わたしはメールで「着いたよ」と報告。すると、オートキャンプサイトから挨拶に来てくれた。
 ちょうど、わたしたちはブルーベリー狩りに行くところ。毎年ここに来ているケビンパパは周辺の地理に詳しく、そこの道をずっと行くとブルーベリー園ですよと教えてくれた。
 コテージのすぐ裏が農道になっていて、数百メートル歩くと竹内ブルーベリー園に行き着くはずであった。
 木の柵をくぐって農道に出て、歩き始める。連れは2人のじっさまと区議である。
 100メートルも歩かないうちにケビンパパが追いかけてきた。ここを歩いていけばいいと言ったものの、結構遠いのではないかと心配になったらしい。
 実際、道に立って行く手を見てみると、ブルーベリー園など影も形も見あたらない。これは相当歩くのでは思っていたので、車を持ってきてくれると聞いて内心ホッとした。
 途中、じっさまたちがぶっ倒れたら困るもんね。 
スウィートグラス
■群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢1990
■公式サイト http://sweetgrass.jp/index.html
■施設、料金などは公式サイトをご覧下さい
  
 ケビンパパが回してくれた事務長の車に乗り、ブルーベリー園に到着した。実際、この距離を歩いたら結構な時間を要したところだ。若い(?)わたしと区議はいいが、じっちゃんたちには無理ってもんである。
 さて、このブルーベリー園は「竹内ゴルフ」というところの一角にある。
 小さな管理小屋におじさんが一人いて、ブルーベリーの摘み方を教えてくれた。
 園内はたいそう広く、列ごとに品種の違う木が植えられている。この農園では北部ハイブッシュ系32種が植えられているという。
 ブルーベリーの品種は本当にたくさんあって、実も大きい粒から小さい粒まで他種多彩だ。甘いのや酸っぱいの、これもまちまち。 
 お気に入りの木を見つけたら、その木からパックに詰めて持ち帰ることができる。
 ブルーベリーは本来寒冷地の植物で、以前は暖地の真夏に弱いとされていた。北部ハイブッシュ系がそれである。しかし、最近は暖地向きのラビットアイ系が出回るようになって、我が家のベランダにも一株植わっている。今年の異常に暑い夏も無事乗り切った。
 ブルーベリーは病害虫がほとんどつかず、他の果樹に比べて格段に手がかからないのも大きな魅力。
 しかし、他家受粉性があるため、結実させるためには別品種がもう一株必要らしい。近々買ってきて植える予定である。
 ベランダで水やりしながら食べるブルーベリーはとっても美味しいのだ。
 ブルーベリーを摘む区議。じっちゃんたちも思い思いの場所で実を摘んでいる。
 しかし、あっという間にお腹いっぱいになったらしく、ものの10分もしないうちにベンチに座りこんでいた。孫へのおみやげと言って、ブルーベリーが詰まったパックを大切に手にしている。
 イチゴやサクランボと違って、ブルーベリーというのはそんなにたくさん食べられるものではない。美味しい実は美味しいのだが、酸っぱいのも結構あってムラが多いのが難点だ。
 農園の端には牛と馬一頭が放牧されていた。匂いがちょっと漂ってきて、ブルーベリーの味と混ざるのがなんとも。
 反対側に目をやると、ゴルフ場越しに浅間山が。雲がかかっていて頂上付近がよく見えない。
 折しも前日、火山注意情報が出されたところだった。
竹内ゴルフ・ブルーベリー園
■群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢 / пF0279-84-3273
■公式サイト http://www5.wind.ne.jp/takeuti/
■時間・料金などは公式サイトをご覧下さい
 
 ブルーベリー狩りを終えてキャンプ場に戻ると、次にレディをドッグランに連れて行った。
 遊びに来ているワンちゃんが少なくて、今ひとつ盛りあがらない。気の合うワンちゃんがいれば隅から隅まで走りまわって、それはそれは楽しく遊ぶのだが。
 このチョコラブちゃんは遊ぶ気満々だったのだが、うちのボールをくわえようとしてレディにガウッと怒られ、たちまちしゅんとなって帰って行ってしまった。でっかい図体してるのに気が優しいのね。
 このシェットランドシープドッグのユキちゃんも気が弱くて、遊びたいんだけど、すぐママの後ろに隠れてしまうタイプ。
 しょうがないのでレディとわたし、延々とボール投げで遊ぶ。
 はあ、暑い暑い。
 いっぱい走りまわってゼイゼイと息が上がるレディ。
 しかし、ボール投げだけだと間が持たない。気の合うワンちゃん、来ないかなあ。
 そろそろ夕方が近づいてきた。わたしはハマーに夫以外のメンバーを乗せ、「ホテルグリーンプラザ軽井沢」にやってきた。
 隣接する「軽井沢おもちゃ王国」のオフィシャルホテルで、白い外観に赤いとんがり屋根がお洒落な北欧風リゾートホテルである。国道から入ってホテルに辿り着くまでかなり距離があり、やっと温泉に着いたと思ったら、駐車場の整理係に「ここは宿泊者用。あちらの駐車場をご利用下さい」と、遠くに飛ばされてしまった。
 同乗者を温泉入口前で降ろして車を停めに行ったが、外来用パーキングはホテル本館向こう側。凄まじく遠いというわけではないが、やっぱりかなり遠い。雨でも降っていたら、整理係に喰ってかかっていたかもしれない。
 これだけ敷地が広いのだから、もっと温泉に近い場所にパーキングを作るべきだろう。
 入浴料が1,000円と高いのも大いに不満。リゾートホテルとしては1,000円は妥当な値段であるが、皆レジャーでやって来ていて他でもお金を使っている。年金生活者にも1,000円はかなりの負担だ。やはり800円くらいにしてもらいたいものである。
 さて、温泉の方は「リゾートホテルの温泉」という先入観を大いに裏切ってくれた。水で希釈されている感はあるものの、いちおう掛け流し。黄渇色の透明なお湯で、北軽井沢にしては珍しい良泉である。ツルツル感もありオイル臭&鉄臭もあって、かなり好みのお湯だ。
 それに源泉温度が72.9度と、かなりの高温。鬼押し出しから約2キロという近距離がポイントだろうか。温泉自体は火山性ではないが、この高温は火山パワーのたまものに違いない。
 しかし、じっちゃんたちと取り決めた40分という制限時間は、髪洗って顔洗ってボディ洗って露天風呂に浸かって区議とお喋りして・・・なんてやってたら、あっという間に消費してしまった。
 ああん、もっとゆっくりじっくり浸かっていたいよう。
 それにしてもファミリー向けリゾートホテルなので、凄まじく子連れの利用が多い。浴室内には子どもの泣き声が終始大きく響き渡り続け、一時も気が休まらない。
 子どもが嫌いというのじゃなくて、これまで子育てしてきた者として小さい子が泣いていると気になってしょうがないのだ。ただの雑音として聞き流すことができない。母親の性みたいなもんである。
 露天風呂では飛びこむ子、泳ぎだす子などいて、なんとも落ち着かない。できれば子どもの少ないお昼時にゆっくり浸かりに再訪したいお湯であった。
ホテルグリーンプラザ軽井沢 奥軽井沢温泉あさまの湯
■群馬県吾妻郡嬬恋村大前細原2277 / TEL: 0279-86-4111
■日帰り入浴時間: 不明。ホテルに問い合わせしてください。
■料金: 大人1,200円
■公式サイト: http://www.hgp.co.jp/inf/Z10/hgp/
 
 キャンプ場に戻ると、夫がバーベキューの支度をして待っててくれていた。肉を焼いてビールを飲んで、最高のひとときだ。
 ビールを梅酒に切り替えて飲み進めるうちに酔っぱらってきて、もうなにを話したのか覚えていないほど。ケビンパパとママも挨拶に来てくれたが、その頃には訳がわからないほど酔ってしまっていた。
 キャンプ場の消灯時間は10時で、それを過ぎると静かに過ごさなくてはならない。しかし、酔っていたわたしたちは相当大声になっていたため、巡回のスタッフに注意されてしまった。
 寝たのは2時くらいだっただろうか。ロフトで寝るのは初めてのことだったので、なにやら宙に浮いたような不安な心持ちで床に就いた。
 翌朝、片付けをしてキャンプ場をチェックアウト。ここからは二班に分かれて別行動となる。
 区議と事務長、じっちゃんたち4人は白根山ハイキング、夫とわたしは「プリンスショッピングプラザ」である。
 「プリンスショッピングプラザ」は通称、軽井沢アウトレット。御殿場や入間のアウトレットとは経営が違い、こちらは名前からわかるようにプリンス系だ。
 軽井沢から上信越道の碓井軽井沢インターに向かう道の左側に、ショッピングプラザはあった。以前から入庫待ちの車の行列を横目に見つつ、立ち寄ったことは一度もない。
 今回念願叶って初訪問となったが、とんでもなく広い敷地に目を白黒させてしまった。ウェスト、ニューウェスト、芝生広場を挟んでイースト、ニューイーストと四つのエリアに分かれているのだ。
 これを全部歩いて回るなんて、無理なんじゃないだろうか。幸い、各エリアごとにパーキングがあるので、まずニューウェストのパーキングに車を入れ、そこからウェストまで回って買い物。次に車をイーストに移動させて買い物、という手段を用いた。
 →ニューウェストからイーストに移動するところ。お昼近くになっていたので、入庫待ちの列が長く伸びていた。
 景観はイースト、ニューイーストの方が圧倒的に素晴らしい。とにかく日曜日や夏休みは大勢の人でごった返すし駐車場も混むので、できるだけ早い時間帯に入っていた方がいい。
 もちろん体力も必要になる。店の数は御殿場のプレミアムアウトレットよりはるかに多いので、マップを見て隅々まで歩くのはかなり大変。
 でも、とっても楽しい。食事を抜いてクレープで済ませ、買い物に没頭したわたしたちであった。
軽井沢プリンスショッピングプラザ
■長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1178-232 / TEL: 0267-42-5211
■営業時間: 10:00〜20:00(季節によって変動あり。HPで確認のこと)
■公式サイト: http://www.princehotels.co.jp/shopping/karuizawa/
 

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