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 平成20年キャンプ
 
 平成20年7月25日(金)〜27日(日)
* 高杖花火キャンプ(東和合同キャンプ) *
会津高原「たかつえスキー場」
 今年も東和モータースさん主催による高杖合同キャンプが開催された。参加するのは昨年同様、東和遊友倶楽部、エアストリーム、TML、VML、ドリームランド千葉、HMCC、そしてC.C.Cといったキャンピング団体である。
 場所は恒例になっている「たかつえスキー場」の駐車場。今年はC.C.Cがアストリア・ロッジ前のサイトとなり、「たていわ夏祭り」で打ち上げられる花火に最も近い場所ということもあって、とても楽しみであった。
 今回、デジカメを忘れてきてしまったので、パパやすさんと幹事のカネコさんに画像をいただきました。
 土曜日の午後、上原さんがキャンピングカーのオーニング下でライブを開催。懐かしのGSからユーミンまで、幅広い選曲で集まった観客を楽しませてくれた。
 リスナーたちは自分のキャンピングカーの前で聞いたり、椅子を持って集まってきたりしている。
 ノリのよい曲ではダンスする人もいた。
 この時けっこう強い雨が降ってきたが、みな傘を差しながら最後までミニライブを楽しんでいた。
 ライブ終了後、わたしは30キロほど離れたところにある宮床温泉に一人で向かった。
 キャンプ会場から徒歩5分の所にある「しらかばの湯」は毎年行ってるし循環なので、今年はちょっと違う温泉を探してみたかったのだ。
 カネコさんが「前に一度行ったことある、36キロって言ったってすぐだよ」と言うので頑張って行ってみることにしたのだが、住所も名前もカーナビに載っていない(うちのカーナビ、データが古いのだ)。温泉ガイド本の地図を頼りに目的地設定にして道をひた走る。
 しかし、地図とカーナビ画面の北の向きが違っていたため場所を見誤り、わたしは目的地を2〜3キロ遠く設定していた。それに気づかず宮床温泉前を通り過ぎ、なにもない山中に入りこんでしまった。
 おかしい。看板ひとつ出てこないなんて、どうしたことだろう。
 訝しみながらも、さらに山道を登っていく。登るとともに不安も増してきた。ガソリンの残りも少なくなってきたし、行けども行けどもなにもない。
 3キロほど山を登ったところで引き返し、改めてカーナビの地図を仔細に見ると、通り過ぎてきたルート上に「宮床」という地名を発見した。
 なんだ、ここに宮床ってあったんじゃないの。しかし、その先がわからないぞー。
 わたしはさすがに観念して、宮床温泉に電話を入れてみることにした。
 「はい」
 あまり愛想がよいとは言えない、ありていに言ってしまえばちょっとぶっきらぼうな年配の女性の声が応じた。
 「あのう、宮床温泉さんでしょうか」
 わたしは恐る恐る尋ねた。(ちゃんと名乗ってよ〜)
 「そうです」
 「そちらに向かおうとしているのですが、場所が見つからないので教えていただけますか」
 とお願いすると、今どこにいるのかと現在位置を訊かれた。「宮床の手前の289号線にいる」と答えると、
 「その道を真っすぐ進んで部落に入ったら、電光掲示板で宮床温泉って出てるから、そこを曲がってください」
 とのこと。
 ニュースでしか聞くことのない「部落」という言葉にも驚いたが、「部落に入ったら」という意味がよくわからない。
 わたしは言われたとおり車を進め、電話の相手が言っていた「車の修理工場」を通り過ぎた。
 やがて左の少し上に、電光掲示板の看板を発見。確かに宮床温泉と表示されている。そこの細い道を入り、数十メートル進むと到着。
 なるほど、「部落に入ったら」というのは「宮床地区に入ったら」という意味だったのね。たかつえスキー場からは実質28キロほどの距離であった。
 なんかとっても凄い大損した気分。なんでもっと早く、この宮床の地名に気づかなかったんだろう。
 駐車場は建物前に5台分くらいと、小径を隔てた側に3台分くらいある。
 建物はひどくボロっちいというわけではないが、新しいわけでもない。玄関の横のタンクの所に、ニホンカモシカと思われる鹿の骸骨がぶら下がっていた。
 これは魔除けなのか、はたまたおまじないか?
 おののきつつ玄関の引き戸を開ける。
 入るといきなり地場産の食べ物などを売っている棚や冷蔵庫などがあり、左手には休憩所のような感じになっている。
 全体的に雑然とした印象だ。日帰り温泉というより他人の家に入りこんだような、少し場違いな自分を感じる。
 すぐに、休憩所の床に座っていた年輩の女性が立ち上がってきた。「こんにちは」と挨拶は口にするが、笑顔はない。わたしも挨拶をして、入浴料の500円を渡した。
 その際、さっき電話で教えてくれたお礼を言おうと思ったが、相手の硬い表情にひるんでしまい、言いそびれてしまった。
 脱衣所にロッカーはなく、ご覧のとおりカゴがあるだけ。本当にシンプル。しかし清潔に保たれており、ゴミひとつ落ちていない。
 鍵付きの貴重品入れなどもないので、財布と携帯をビニールに包んで風呂場に持っていくことにした。
 浴室には奥行きのある浴槽が一つあるだけだ。
 先客がいたが、わたしが入って10分くらいで「ごゆっくり」と挨拶して出て行かれた。
 携帯電話のカメラなので茶色い湯の色がうまく出せなかったが、やや緑がかった茶色い熱いお湯が掛け流しになっている。
 お湯はさらっとしていて、ややツルツル感がある。鉄の匂いと、うっすらと硫化水素臭。周りを標高の高い山に囲まれているせいか、45度となかなか高温の源泉が湧出しているようだ。
 奥には「一度落湯した源泉を濾過しての再利用はしていません。湯船の中は地低からの天然温泉だけです」という張り紙が。
 「地低」じゃなくて「地底」でしょう、ご主人。読みながら、思わず突っこみを入れてしまった。
 とにかく沸かしも加水も、ましてや循環もしていない純・天然温泉らしい。期待していたほど凄い特徴のある湯というわけではないが、手を加えていない温泉は本当に心が安らぐ。
 浴室は鄙びというかB級というのか、微妙な雰囲気。男湯との仕切りの壁には、なぜか建築用の断熱材が数枚、繋げられた状態でぶら下がっている。後で知ったのだが、これは湯船の蓋がわりなのだそうだ。
 ところで、宮床温泉はNHKの「ふだん着の温泉」でも紹介されている。
 それによると、五十嵐さんという方が「高齢化と過疎化が進む宮床地区に活気を取り戻そうと決意し、たった一人で丸3年かけて温泉を掘り当てた。それから13年、夫婦で温泉を守り続けている」のだそうだ。
 五十嵐さんは現在77歳。そうすると、先ほど応対に出た年配の女性は奥様に違いない。
 ここの休憩所では、地元の常連さんたちが畑でとれた野菜などを調理して持ち寄り、団らんのひとときが持たれるという。 
  NHK「ふだん着の温泉 宮床温泉

 1時間ほどして、わたしはお風呂を出た。最後まで誰も入ってこなかったので、ついついのんびりしてしまった。長湯したので非常によく暖まった。汗がなかなか引かない。
 一応小さなドライヤーが置いてあったので、風量が弱いながらもそれで髪を乾かした。
 脱衣所を出て、休憩所を軽く見渡す。カレーやラーメンなどが食べられるそうだが、よそ者は入りにくい雰囲気だ。
 座って誰かと話をしていた女主人が、ふとこちらを見た。わたしが会釈をすると、立ち上がってこちらにやってきた。笑顔で、「先ほど電話された方ですか?」と訊いてきた。
 さっきとは少し違う態度に驚きながらも、「はい、そうです。教えていただきありがとうございました」とお礼を言った。すると女主人はさらに笑顔をほころばせた。
 このあたりの人たちはよそ者に対して閉鎖的というか、警戒心が強いというか、総じて無愛想であることが多い。これは数年前から感じていたことである。
 人ずれしていないから朴訥で、根が正直だから心にもない愛想笑いはしない。だから取っつきにくく感じるが、本当はとても親切なのだ。
 少しだけ福島・奥会津の暖かみに触れたプチ温泉旅。心がほんわかしてアクセルを踏む足も軽やか♪ 行きは心に迷いがあったため・・・つまり、どうしようか、やっぱ止めようかと恐る恐るだった気分が影響してスピードも乗らずのったりとした運転で時間がかかった。しかし、帰りはびゅんびゅん飛ばして、あっという間にたかつえスキー場に辿り着いてしまった。
 キャンプサイトに戻り、夕飯など食べているうちに花火大会の時間となった。
 それまで晴天で空には星影すら見えていたのに、いざ花火の時間になると恨めしい曇り。花火がどーんと上がったはいいが、雲が光るだけで何も見えない。
 同じパターン、おととしもそうだった気がするなあ。
 キャンピングカーの周囲に椅子を出してのんびる見る構えだった人たちが、大慌てで花火会場の方へと駆けだしていった。上げているすぐ下に行けば見えると思ったらしい。
 しかし、間もなく戻ってきた彼らは「お祭り会場に行っても見えなかったよ」とこぼしながら、またキャンピングカーの側に腰を落ち着けた。
 しばらくすると花火の姿がチラと見えだしたが、アストリア・ロッジの三角屋根に半分ほど隠れてしまって、全貌が見えない。今回はロッジのすぐ前のサイトだから角度がわるいのだろうか。
 打ち上げ場所は時々変わるようで、やがてよく見える位置で上がるようになった。
 しかし、ポツポツと単発に近い上げ方で、もう終わったのかと思うくらい間が長い。
 わたしはカネコママと椅子を並べ、お喋りしながら花火を見ていた。膝の上には愛犬レディ。しかし、レディは花火の音に怯え、プルプルと小刻みに震えている。カネコさんちのルイは打ち上げの音などものともせず、ひょうひょうとその辺を歩いているのだが。
 結局、最後の方はよく見えるようになったが、フィナーレらしい盛りあがりに欠けたまま、終了を告げるキラキラした光花火もない。「えっ、もう終わったの? まだあるの?」と、わからないまま終わりを迎えたのだった。 
 
 ※今年はデジカメを忘れたため花火の画像はなし。昨年のキャンプ日記をどうぞご覧下さい。
  平成19年「高杖花火キャンプ
 翌、日曜日うだるような暑さ。皆、オーニングの下で暑さをしのぎながら思い思いに過ごす。
 我が家はトレーラーのオーニングが前夜の豪雨で折れてしまったので、パパやすさんちのオーニング下をお借りしてギョウザを焼いたり、かき氷をふるまったりした。
 別のキャンピングカークラブの子どもたちも噂を聞きつけ、かき氷をもらいにやってきた。しかし、あいにく器を切らしてしまったところ。
 わたしが「自分ちから器を持っておいで」と声を掛けると、子どもたちは大急ぎで自分のキャンピングカーの方向に引き返し、すぐにお椀とスプーンを持ってやってきた。
 こうれいの集合写真の時間になった。
 おくずみさんがC.C.Cの横断幕を持ってアストリア・ロッジ前にやってくるところ。
 りゅう@新潟さん、カネコママとルイも一緒だ。
 横断幕を広げて広げる。暑いのをガマンして最前列をキープ。
 レディを抱っこして前の方に立つわたし。しかし、おデブのレディは8キロもあって、抱っこはしんどい。おまけに暑い。早く撮影しておくれー。
 ふと隣を見ると赤ちゃんが。こっちも大変そうだ。
 暑いせいか、ぐずって泣いている。あらあら大変。
 日傘を差して日陰をつくってあげたが、泣きやまない。もうちょっとの辛抱だよ〜;
 レディも暑そう。
 
 ↓
 はい、チーズ!
 
 レディが重いので前にいる夫に預けて、カメラににっこり。
 あとで写真を見たら、レディが一生懸命わたしの方を見てる。
 ママのとこ行きたいよーって言ってるみたいで、思わずホロリ。
 隣で泣いてた赤ちゃんも泣きやんで、渋い表情ながらもカメラ目線だ。よく頑張りました。
 ロッジの階段にいる幹事さん+カメラマンたち。お疲れさまでした。
 それにしても加藤さん、顔よりもなによりもそのTシャツ、怖すぎです。
 
宮床温泉
   他の温泉    
白樺の湯   夢の湯
湯ノ花温泉 湯端の湯   湯ノ花温泉 天神湯
 
 
 
 平成20年8月2日(土)〜3日(日)
* 長 岡 花 火 キ ャ ン プ *
悠久山公園駐車場
 今年も長岡花火にやってきた。昨年は桟敷席を購入し、指定の丘陵公園にトレーラーを停めてシャトルバスで花火会場の信濃川河川敷に移動。しかし、バスから降りて歩く距離が長くて大変だった。
 今年は地元のりゅうさんが団体桟敷席を取ってくれ、P泊場所も探してくれた。
 P泊場所は花火会場から東南に数キロ行ったところにある悠久山公園の駐車場だ。許可を得て、C.C.Cのメンバーたちと一泊する予定である。
 わたしたちは朝9時くらいに出発し、長岡を目指した。参加予定だった長男と娘は2人とも直前になって友だちと遊ぶと言ってドタキャンし、留守番することになった。
 午後3時過ぎ、悠久山公園前に到着した。しかし、駐車場は直進か、左折かで迷い、いったん停止。りゅうさんに確認の電話を入れていると、突如目の前に自転車に乗った あるちゃん@厚木さんが現れた。
 後で聞いたが、この新潟までキャンピングカーではなく自転車でやってきたのだそうだ。あるちゃんの案内で、少しわかりにくい駐車場への進入路を発見することがでできた。 
 実は、一緒にP泊する予定のりゅうさんを始め、大森さんファミリー、パパやすさんファミリー、藤村ファミリー、そして急遽ドタ参となった るるちゃん&るっちゃん夫妻はすでにシャトルバスに乗って移動中であった。
 公園を出発するのはもっと後の予定のはずだったが、シャトルバスの最終が思いのほか早かったらしい。
 となると、わたしたちが乗るシャトルバスはもうないということになる。りゅうさんが「駐車場の近くに越後交通の営業所があるから、そこでタクシーを呼んでもらって」と言うので、わたしは営業所に向かって歩きだした。
 すると、駐車場のトイレ横にタクシーが一台停まっているのを発見。今まさに、トイレから出てきた運転手さんが運転席に乗りこもうとしていた。
 すかさず「今から花火会場までお願いできますか」と声を掛けると、「いいですよ」という答えが返ってきた。
 やった、ラッキー! さっそく後部シートに乗りこみ、他のキャンピングカーに声を掛けている夫の所まで戻ってもらう。
 キャブコンからはオフ会初参加の相馬@さいたまさんと、そのご家族が出てきた。中に、まだ奥様やご友人らが残っているという。
 わたしは運転手さんに「もう一台呼んでもらえますか」と頼んだ。その到着を待たず、こっちのタクシーに相馬さんと息子さん、そしてわたしの夫が乗りこんで、とりあえず先に出発することにした。
 あるちゃんは自転車で花火会場に移動だ。
 とにかく広い悠久山公園の駐車場。夜間は静かでトイレもあってP泊に最適だ。しかし、すぐ目の前に民家があるので静かに過ごしましょう。
 園内には蒼柴神社、郷土史料館、日本庭園、プール、野球場、ミニ動物園、猿山などがあり、公園自体もむちゃくちゃ広い。
 春には桜が見事だという。 
長岡花火の会場〜信濃川河川敷
 タクシーに乗っていたのは10分ほどだっただろうか。目的地は待ち合わせ場所のジャスコ長岡店。
 大手大橋にさしかかった。ジャスコはもうすぐ目の前である。
 橋からは、花火会場の観客席が見えて壮観。もの凄い観客数だ。
 りゅうさんたちは先に出発していたものの、ジャスコへの到着はわたしたちの方が早かった。
 りゅうさんたちと合流してジャスコの中に入ったが、ここも年末のアメ横並みに混雑していた。レジは長蛇の列で、とても買い物などできる状況ではない。
 りゅうさん一家はここで買い物を始めたが、わたしは諦めて外に出た。夫ともはぐれてしまって、どこにいるのと電話で聞くと、ジョイボンドさんのキャンピングカーでビールを飲んでいると言う。
 「なによ、あなたがジャスコで買い物すると言うから店に入ったのに、勝手に出ていってジョイボンドさんの所でビールですって!?」と、わたし怒り心頭。
 妻を置いてきぼりにして涼しい人んちでビール飲んでいるとは。
 すると、通り沿いでパパやすさん、藤村さんらに遭遇した。りゅうさんと一緒にシャトルバスでやってきたのだが、ジャスコの混雑ぶりがあまりに凄いのでそのまま花火会場に向かうことにしたらしい。
 夫の行方もよくわからないので、わたしも彼らと一緒に花火会場に向かうことにした。
 ジャスコ前の道路を渡り、観光バスがずらりと停まる駐車場横を通る。ここから会場にアプローチするのは初めてだが、適当に勘を働かせて近道をとる。
 人の流れに惑わされて違う方向に行きそうになる仲間に声を掛け、皆さんこっちですよと誘導していると、なんだかツアーの添乗員になった気分だ。
 パパやすさんが「旗を振らなくちゃ」と、冗談を言った。さすがに旗は用意していなかったが、傘でも掲げないと後ろの人が見失ってしまうほどの雑踏なのである。
 土手を歩いて階段を降り、さてここからが結構遠い。団体席はずっと奥だ。
 昨年の桟敷席にはスノコが置かれていたが、団体席は直にブルーシートを敷くようになっている。これは席に用意されていて、自分たちで広げることになっている。
 わたしが席に到着すると、一番に着いていた岩崎@つくば市さんがすでに敷いてくださっていた。
 右手前が岩崎さんご夫妻と2人のお嬢さん。
 甚平で涼しげな藤村さん、パパやすさん、可愛い浴衣姿のお嬢さんたち5人。
 後ろはアロハ姿のるるちゃん夫妻だ。
 花火が始まる前のひととき、食べ物を分けてくださったり話し相手をしてくださった皆さん、ありがとうございました。

 夫も無事に到着し、参加メンバーもほぼ揃ったところで花火が始まった。
 この長岡の大花火大会は毎年8月2日と3日に打ち上げられる。
 その歴史は天保11年(1840年)にまでさかのぼる。時の長岡藩主、十代牧野忠雅に川越移封の命が下ったが、 翌年それが沙汰やみになった。 それを祝い、「合図」として打ち上げたのが発祥とも言われている。
 本格的な花火は明治12年9月14日から。
 しかし、昭和13年には戦争のため花火大会の歴史がいったん途切れることになる。そして戦後の昭和22年8月1日と2日、「長岡市戦災復興祭」の名で復活。
 翌年からは8月1日を戦災殉難者の霊を慰めることに重きを置くことにし、花火は2日、3日に変更。以来、長岡花火は戦後の長岡復興の象徴として再出発することになる。
 現在、正三尺玉4発を含め2日間で打ち上げられる花火は約2万発、60万人を越える人を集め盛大に開催されている。  
 1尺玉、2尺玉、3尺玉と、その玉の大きさにも度肝を抜かされるが、右からも左からも、至るところに花火が打ち上がるスケールの大きさは最大の魅力だ。
 ここで、花火の玉の呼び方と大きさについて説明しておこう。1尺というのは10号玉のことで、玉の直径30センチ。打ち上げ高度は330メートル、開花半径は160メートルということである。
 3尺玉は90センチ、高度は600メートル、開花半径は275メートル。
 世界最大の尺玉は同じ新潟の小千谷で上げられた4尺玉で、上空800メートル、直径800メートルだという。これはギネスブックにも載っているそうだ。
 また、ひとつひとつの打ち上げにテーマやストーリー性があるのも長岡花火の大きな特徴である。幕末の長岡藩にまつわる「米百俵」の逸話をテーマにした「米百俵花火・尺玉100発花火」や、蓬平温泉組合が復興への願いをこめて打ち上げる「希望の花」などは感動を誘う。
 特に視界いっぱいに100発の花火が打ち上がる「米百俵花火」では、観客からひときわ大きな感嘆の声が沸き上がった。
 この長岡花火を一度間近で見てしまうと、普通の花火大会がショボく感じられてしまうのが困りものだ。
 ところで今回は、来年のNHK大河ドラマ「天地人」(新潟が待ち望んだご当地ドラマ!)をテーマにした特別花火「愛と雪」が、池端信宏氏のプロデュースにより打ち上げられるという。
 「天地人」の主人公は上杉家の家老・直江兼続。昨年の「風林火山」でGackt(ガクト)が演じた上杉謙信の甥で跡継ぎとなった、上杉景勝に仕えた武将である。
 その兼続が信条として掲げた「愛」、そして新潟の「雪」をテーマに池端信宏氏が作曲を手がけ、さらに花火のプロデュースもするというのが今回の「愛と雪」なのだそうだ。
 ちなみに池端氏は加山雄三氏の長男で、湯沢フィールド音楽祭のラストを飾る花火を毎年打ち上げてきた人である。
 しかし残念ながら、この特別花火は3日の夜のみ。2日しか見られないわたしたち(3日は日曜日だから夜までいられないのだ)は、心の底から残念な思いで一杯だ。りゅうさん夫妻は明日の花火も見に来るという。つくづく羨ましい。
 フィナーレを飾るのは、恒例となった「復興祈願花火」フェニックス。今年も平原綾香の「ジュピター」にのって、河川敷いっぱいに打ち上げられた。
 完全に人間の視界の限界を超えた「全視界花火」にひたすら感動、ただもう感動。
 この感動を来年もぜひ、同じ長岡の地で、みなと一緒にまた味わいたいものである。
 セッティングしてくれたりゅうさん、本当にありがとう。
 YouTubeで「天地人花火〜愛と雪」が観られます。
 
 YouTubeにはフェニックスの動画もアップされていますので、併せてどうぞ。
 しかし、いつも花火が終わってからが大変なのだ。
 数万人の観客が一斉に帰ろうとするから、土手には人の海ができてしまう。なかなか前に進まない中、人いきれで熱気がむんむん。警備員は将棋倒し事故を防ごうとピリピリしており、「押さないでください」「走らないでください」と、誰も走っちゃいないのにマイクでがなりたてる。
 わたしたちは長い大手大橋を渡り、長岡駅方面へと向かっていた。居酒屋で二次会をするためである。
 大手大橋の長さは約300メートル。信濃川が広いからしょうがないが、渡り終わってからがまた遠い。信濃川から駅まではおよそ1.5キロはあった。
 この道のりのほとんどを、Haya@富山さんの2歳の長女が両親に手を繋がれつつテクテク歩いたのには驚かされた。もちろん赤ちゃんを除く2人のお兄ちゃんも我が儘や不満を口にすることは一切なく、みな立派に歩き抜いた。すごいぞ、たくましいぞHayaきょうだい。
 汗だくだくになりながら長岡駅近くのチェーン居酒屋「船栄総本店」に到着した。入口には順番待ちの列ができていたが、りゅうさんが予約しておいてくれていたため、わたしたちはすぐに座敷に通された。
 さっすが、りゅうさん。きめ細やか。名幹事!
 生ビールで乾杯し、刺身の盛り合わせなどをいただく。疲れたけど楽しいひとときだ。
 ここでもまたHaya家兄弟の食欲旺盛なこと、食べ終えたらその場であっという間に寝てしまい何があっても起きない逞しさには恐れ入った。さすがに兄弟の頭数が多いと逞しくなるんだなあ。
 手作りプリンがおいしい、デザート盛り合わせ。
 アイスのほとんどをHaya家の次男坊がこっくりこっくりと舟を漕ぎながら食べ尽くした。半分寝ながらもアイスは手放さない、その執念に感服。
悠久山公園駐車場
 翌朝、8時に起床し、レディと散歩に出かけた。駐車場のすぐ上に蒼柴神社というのがあったので、登ってみた。
 蒼柴神社は越後長岡藩の第3代藩主・牧野忠辰と、事代主命(ことしろぬしのみこと。恵比寿さま)を祀っている。
 途中、石灯籠が倒れていた。中越地震で倒れたままのもののようだ。
 蒼柴神社は「あおしじんじゃ」と読む。
 神社の御祭神が「ナントカのみこと」であるのは当たり前として、一緒に藩主が祀られているのは少し不思議な感じがする。さらに蒼柴神社は長岡藩の歴代藩主の霊廟でもあり、二重にユニークな存在なのだ。
 長岡藩の初代藩主・牧野忠成は父の代から徳川家康に仕え、戦国の世を戦い抜いた三河武士である。元和4年(1618年)、越後国長岡6万2千石に加増移封され、約250年続く長岡藩政の礎を築いた。
 3代藩主・忠辰も藩政に力を入れ、学問の発展にも尽くした。江戸で亡くなり、池上本門寺に葬られる。
 神道を深く信じていたことから、没後「蒼柴霊神」の神号が送られた。
 それがきっかけとなって次代藩主・忠寿が長岡城内に社を建てて忠辰の遺骸を移し、霊神として祀った。同時に祀られたのが、忠辰がとりわけ尊敬していた出雲の事代主命(大国主尊の子)であった。
 その後、忠辰の50回忌にあたって「蒼柴大明神」の神号が贈進され、9代藩主・忠精が蒼柴神社を悠久山に移した。そのとき日光東照宮を模して建てられた新社殿は戊辰戦争、太平洋戦争の戦火をかいくぐり、今も当時の姿を残している。

 1983年(昭和58年)、東京三田の済海寺から歴代藩主の墓石17個がが移転され、1994年(平成7年)には池上本門寺から三代・忠辰の墓石も移された。
 蒼柴神社が牧野家霊廟とされるのは、そのためである。

 隣接した所に、「北越戊辰戦争」で戦没した藩士309名と「西南の役」で戦没した藩士18名が祀られる「招魂社」があった。
 戊辰戦争は1868年(慶応4年/明治元年)に勃発した、明治新政府と江戸幕府との内戦である。
 この戦いは当初、「大政奉還」後の新政府における薩長と旧幕府の主導権争いが発端となって起こった。(鳥羽・伏見の戦い)
 この戦いに勝利した新政府軍は東征軍を組織し、そのうちの一つが北陸道を進軍してきた。
 長岡藩では、第11代藩主・忠恭に重用され台頭した河井継之介がプロシアやフランスから武器を購入し、軍備増強に努めていた。
 河井は新政府に恭順すべしという一派を封じ、佐幕派である奥羽越列藩同盟への加盟を拒んで長岡藩の武装中立をはかろうとした。
 河井は小千谷において新政府軍と会談を行い、停戦を求めるも短時間で決裂。このため長岡藩は奥羽越列藩同盟に加わり、河井を総督、上席家老の山本帯刀を大隊長として戦うこととなる。
 これを北越戦争と呼ぶ。
 河井の指揮のもとで一時は新政府軍を圧倒するが、物量・兵力ともに劣る長岡藩はジリジリと後退。長岡城を奪還され、藩主一家は仙台藩へ逃れた。河井は会津へと落ちのびる途中、鉄砲傷から破傷風を発症して死亡した。
 山本帯刀も会津へと転戦するさなか捕らえられ、恭順することを拒んで処刑された。
 この会津での戦闘については土方歳三ら新撰組の生き残りも参加しているので、ご存じの方も多いことだろう。
 現在(2008年8月)、NHK大河ドラマでは「篤姫」を放送中で、1860年に起こった「桜田門外の変」が終わったところ。この変事は幕府大老の井伊直弼が暗殺されるという、前代未聞のテロであった。その年から、大政奉還までわずかに7年。北越戦争はその翌年だ。
 幕府の終焉は、実にあっけないものであった。なぜこんなにも早く時代は変貌し、日本は近代国家への道を駆けだしてしまったのだろうか。
 
 新政府に恭順の意を示した牧野家は、河井と山本を乱の首謀者と届けることによって存続を許された。忠恭の五男・牧野忠篤は子爵となっている。
 大正4年(1915年)、旧長岡藩士高野家の六男が、永らく廃家となっていた山本家を相続した。
 ここに山本家は再興し、父祖の代から深い繋がりのある山本家再興に尽力してきた忠篤子爵の悲願が達せられることとなる。
 こうして山本家を継いだのが、後に海軍大将となりソロモン諸島の空に散った山本五十六(明治17年〜昭和18年)なのであった。
 右が「総督 河井継之介秋義」、左が「大隊長 山本帯刀義路」と刻まれた碑。2人とも長岡市内の別々の寺にそれぞれ埋葬されているので、ここにあるのは石碑のみと思われる。
 驚いたことに、藩士の石碑の後ろにはミサイルのようなものや丸い鉄の玉が、なんの説明文もなく置かれていた。
 単純に「北越戦争で使われたものか」などと思ってはいけない。明治維新の頃には、ミサイルなんてものはまだ存在しなかったのだから。
 実はこれ、太平洋戦争で使われた魚雷と機雷で、山本五十六元帥ゆかりのものだそうだ。
 魚雷の尻尾のほうには、スクリューが付いている。
 ちなみに小泉純一郎元首相が紹介して有名になった「米百俵の精神」は、この北越戦争の直後のお話である。
 おまけ。なぜかガンガンに日当たりの良いところに生えていたキノコ。なにもない地面に唐突に生えていることや、えぐれたお椀状の形が物珍しくて、思わずしげしげと見入った。
 帰宅して「キノコ百科」で調べたら、どうやらアイタケという食べられるキノコらしい。癖のないまろやかな味で、バター炒めにしても美味しいとか。採ってくればよかった・・・かな?
 悠久山公園を引き払ったわたしたちは、りゅうさんのトレーラーに先導されて温泉とラーメン屋さんへと向かっていた。
 まさに「米どころ新潟」を象徴する風景の中、ひた走る。
 寺宝温泉に立ち寄った後、「飛雄馬」というラーメン屋さんに到着。すでに行列ができており、人気の高さを物語っている。
 外は灼熱の暑さだ。日傘を持ってきていないので車から雨傘を取ってきて、日差しをよけながら列に並ぶ。
 その時、りゅうさんの実家からお母さんや叔母さんらがやってきて、仲間に加わった。
 間もなく順番がやってきて、わたしたちは2つのテーブルに分かれて座った。店内はクーラーが効いていて、まるで極楽である。
 店内は、スポーツやアニメ関係のグッズでいっぱいだった。「飛雄馬」という店名から察するに、店長は間違いなく巨人ファンであろう。
 店員さんはジャイアンツのユニフォームを着用しており、背番号は5。あれ、ラミレスって書いてある。背番号5って清原選手じゃなかったっけ?(それ古すぎです)
 
 下はりゅうさん一家が注文したつけ麺。
 わたしの味噌ラーメンがキターーーーーー!
 この暑いのに、涼しげなつけ麺を横目に熱いラーメンを食べる。ちょっとだけ、つけ麺が羨ましい。
 味噌ラーメンはおいしかった。わたしのベスト3に入る味である。
 しかし麺が少なすぎて、あっという間にモヤシだけになってしまった。麺好きなわたしとしては極めて物足りない。りゅうさんのお母さんが見かねて、つけ麺の麺を残してわたしにくれた。
 が、それでも何やら不完全燃焼である。 
 ううう、モヤシが多すぎるよ、店長。(涙)
 でも、また行きたい「飛雄馬」であった。
 ラーメン屋さんの前でりゅうさん&Naokoさん、りゅうさんママたちとお別れし、わたしたちは越後川口にある「えちご川口温泉 和楽美の湯」に立ち寄った。
 急な坂道を登った所にある振興公社経営の総合レジャー施設だが、ここへ登ってくる手前の道の駅で、夫は「ここ、来たことある」と言い出した。
 2004年の中越地震が起こったときボランティア活動のためトレーラーを牽いてやってきて、道の駅「あぐりの里」でP泊したという。
 夫は山沿いにある住宅街を指差し、「あの辺りは立ち入り禁止になってた」と言った。また別の家を指して、「あの家は赤い紙が貼られてた」と。
 よく見ると、まだ壁と窓の間に歪みが残っている。
 何気なく通り過ぎてしまいそうな街並みに、こうして震災の爪痕が残っているとは意外であった。
 温泉施設のロビーや露天風呂からは、魚野川(加山雄三さんの「湯沢旅情」にも出てくる河です)が眺められる。
 なかなか見事な景観だ。
 お湯は茶褐色で、石油のような匂いがする。
 新潟ではアブラ臭のする良泉によく出くわすが、ここも源泉そのままを投入しており嬉しくなってしまった。
 お湯はかなり熱め。この源泉岩風呂以外の浴槽は循環させた湯を使っている。
 とても綺麗な色で、陽の加減でオレンジ色にも見える。
 かなり塩辛いお湯だし、湯温も外気温も高い状態なので、長湯できなくて残念だった。
 もっと時間があれば水風呂と交互に入って、のんびり風景を眺めて過ごせたかもしれない。
 プールも併設しており、館内は非常に混雑している。それに加えて、使い方のよくわからないロッカーに無駄な時間を費やしてしまった。
 もっと小ぢんまりとした施設で、ただ静かに味わいたいお湯である。

寺宝温泉    えちご川口温泉


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杉江家のどこでも別荘:キャンプ日記
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